℘*《神が舞い降りる時》人間には必ず《表と裏》がある🍀その時《神は静かに手を差し伸べる》*℘【アユレム】
《神が舞い降りる時☆神は静かに手を差し伸べる》
人間には必ず《表と裏》がある。
どんなに、優しく、素晴らしく、笑顔の人間にも、それが《表》なら、必ず《裏》がある。
ただ、それは本人でさえも気が付いていない場合もあるんだよね。
《私は今まで誰も困らせた事も、迷惑をかけた事もありません》
そんな人間も居るかもしれない。
でも、本当にそうだろうか。
虫も一匹も殺した事も無い。
本当に、何一つ俗に言う《悪いこと?》はした事が無い人間も居るかもしれない。
でも、それが《裏の悪》になるんだよね。
どうして?。
そうだね。そんな人間は存在しないから。
そう、裏の顔は《自分自身への悪》になるんだよね。
完璧な人間は、存在しない。
何故なら、すべての人間には《感情》というものがあるから。
その感情は、すべての人間が同じでは無いから。
《誰にも迷惑も、困らせた事も無い》なんて思っている人間が居たなら、それは最高の【悪】になる事なんだよね。
それに気づきもしない、気づこうともしない《悪》。
【因果応報】とよく言うけど、因果応報は勿論、そんな人間に《神は静かに手を差し伸べる》んだよね。
そうだね《試練》と言うのかなぁ。
今、まさに《神が舞い降り、静かに手を差し伸べている》よね。
自惚れや驕りが、やっぱりどこかにあれば《神は目を覚まさせる》。
ルールを守らず、自分勝手を振る舞えば《神は目を覚まさせる》。
思いやりや私利私欲に走れば《神は目を覚まさせる》。
それだけの事だけど、たぶん人間という生命体には《キツイ試練?》になるのだろうね。
それから学び、気づき、目が覚めれば、また今度は《神は静かに微笑む》。
神とのやり取りは、それだけの事なのだけど、ものすごく重要な事。
どんな命も大切であって、どんな命も守らなければならない宿命の中で、いつの時も【神は時に舞い降り、そして静かに手を差し伸べる】んだよね。
この、コロナ禍の中にあって、世界平和を謳うオリンピックの中にあって、
【神は静かに手を差し伸べる】。
その、神は《微笑む》のだろうか。
それも、個人個人違うだろうね。
ただ、例え《今は微笑まなく》ても、ちゃんとした宿命や運命の中では、《神は見捨てない》という事。
手を差し伸べている事を感じて欲しい。
今、まさに《面白いくらいに神が舞い降りている》。
℘*🍀
神を信じない人間も、居るのは当たり前。
何故なら、人間という生命体は、自分自身の目で見えないものを信じたり認めたく無い人間がたくさん居るから。
でも、そんな人間ほど、何故か、祈ったり願ったりするんだよね。
℘*🍀
今、確かに神が舞い降りている。
神の手に触れてみてね。
その、神の手は、例え苦しみや辛さの中に居ても《感謝の思い》から繋がるんだよね。
じゃぁ、またね*℘
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