BABELについて
今回新しくclusterにてワールドを投稿させていただきました。
今回の投稿では、この「BABEL」というワールドについて補足の説明を書かせていただこうと思います。
このワールドは旧約聖書「バベルの塔」を題材としたアスレチック型アート作品としてのワールドです。
塔最上部に位置するモノリスをゴールとする塔型のアスレチックになります。
旧約聖書のバベルの塔を参考にしつつ、映画のモチーフとして扱われたり、以前突如として現れたことが報道されたモノリスをワールドのシンボルとして活用し、ワールドを構成しています。
ところで、モノリスとはご存知でしょうか?
wikipediaによると、建物や構築物に配置される単一の大きな岩、もしくは一枚岩と意味するもののようです。
こちらがイメージ図です。
作者制作ワールド Central monolithにて撮影
神秘的な印象を持たせるモチーフでもあるため。映画「2001年宇宙の旅」の中でこのモチーフは象徴的に描かれています。
作中に登場するこのモチーフは猿が人間へと進化するきっかけとなるような描写のほか、モノリスを調査する人を妨害するかのような描写などがみられます。それはどこか禁忌に触れたような印象を持たせる場面です。
これらの描写からはこのモチーフがどこか計り知れない叡智のそのものを有しているように想起させます。
神秘的且つ叡智とも受け取れる印象、そして水平垂直の長方形の形状。不思議な雰囲気を漂わせるシンボルです。
こちらのモノリスというモチーフですが、叡智そのものの連想を促すほか、技術の象徴とも考えることができます。
なぜなら水平垂直の形状は自然界では生成されない、いわば人の技術によって生み出される物ですから。幾何学的な形状のモノリスというモチーフは技術のシンボルとも捉えることはできないでしょうか?
「2001年宇宙の旅」に出てきたモノリスもこのような印象からモチーフとして選ばれたのかもしれません。作中のモノリスは自然によって生成されたものではなく、何か人為的なものの力で作られた雰囲気を漂わせているからです。
さて、ここから旧約聖書の話へと移っていきます。
旧約聖書バベルの塔の中で、人々は塔を建てるため石を用い、石からレンガ、レンガから瀝青(コンクリートのようなもの)へと素材を変えて塔を建てていきます。原始的な建材から次第に人工的な建材へと変化していくわけです。
この描写を切り取ってみると、私たちが日常的に扱っているテクノロジーも似たものと捉えることはできないでしょうか?
バベルの塔においては、建材を変化させていくなかで天まで届く塔を建てようと邁進していきます。塔を作る彼ら自身を有名にするという目標があるからです。
転じて、こうしたバベルの塔の描写は現代のテクノロジーにも当てはまる部分があるように考えることができます。
技術を向上させて目標を達成していく。例えば、空を飛ぶことであったり、世界中のどこへでも通信できることであったり、宇宙へいくことだったり。
塔を建てることではないにせよ、技術を発展させて物事を実現させていくことは、バベルの塔における建材を発展させて高い塔を築くことと、類似性があるように考えられます。
最終的にバベルの塔の物語では、天まで届く塔を建てるという人々の振る舞いが神の反感を買うことになり、人々が使う言語がバラバラにされ、人々は建築を放棄します。
私たちの社会において、神の手によって言語がバラバラになることはありませんが、この物語は、私たちに対する過剰な追及への注意喚起とも受け取れる物語だと考えます。
今回私は、モノリス(技術)を頂点とする塔を人類の歴史そのもののメタファーとして位置づけました。この塔を昇るプレイヤーは人類そのものとして捉えています。
人類が歩んできた歴史、技術の追求という側面から見た人類のあり方そのものを、塔(BABEL)として表現しています。
これを踏まえた際、プレイヤーがモノリスへと進んでいく姿はまるで、テクノロジーの進歩を追求する人類そのもののように捉えることはできないでしょうか?
プレイヤー自身もアートの一部であり、登ることでアートの中に没入していく、そのような世界を考えています。
僕自身、身の回りの様々なデバイスや生活用品などに恩恵を受けていますが、その反面、どこか頭の片隅に時折芽生える、技術そのものに対する懸念というものを表現しました。
浅学ながらですが、ワールドそのものをアート作品として位置付けてアプローチできないか?
そうした実験精神のもと、日々変化する日常の中から得た着眼を元に制作させていただいています。
解説は以上となります。
改めまして、作品の方を楽しんでいただけると幸いです。
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