東京芸術劇場 「わが町」2幕
2幕 結婚するって何だろう
役者さんたちの手によって白い布のスクリーンが垂れ下がり、第二幕が始まる。
この作業の前だった気がするけど、役者さんみんなが一斉にマスキングテープを持って床に貼り始めた演出があって、その意味に後からギョッとした。そう、当パンに描かれていた謎の色の線の正体がここで分かったのです。
後々公式Twitterでネタバラシがあったけど、実はあのいろとりどりのマスキングテープの線は東京の路線図で、舞台はこの瞬間からアメリカから東京に移っていたのだ。なぜなら次のシーンからはっきりと2023年東京を舞台にした、エミリーとジョージの馴れ初めが映像で描かれていたから。
そういうことか〜とネタバラシを見るまで分からなかったのが悔しいな〜。
この2幕も生の劇と同様に人形を使っていたのですが、実際に人形は登場せず、人形を使って外でロケをした映像を使用していて、それに今時の音楽(ちょっと古いか)を合わせていて、現代の東京感を出そうとしていて。例えば、恋が始まるシーンでお決まりの嵐の「Love so sweet」とかが流れたのはちょっと笑った。
ジョージ役の三津谷亮さんがエミリーへの精一杯な想いを伝える青年役としてありありと存在していて、会場を柔く包み込むような演技をされていて。圧巻。
そのあと二人は無事結婚式を挙げるんですが、結婚式当日の朝のエミリー家に感極まったジョージがやってきてしまうというプチハプニングが起こって、とりあえずエミリーとは会わせちゃダメということで(結婚式当日は式の前に新郎新婦は会ってはいけないらしい、知らなかった…)とりあえず立ち話も何だからとエミリーの父親がジョージに結婚について語るシーンがあって、家庭っていうのはこういう風に受け継がれていくということを表していたシーン。
一方エミリーは「結婚するっていうのは嬉しいんだけど、何だか怖い」といった趣旨のことを言っていて、この「怖い」という気持ちは、現代女性の中にも芽生えている感情だと思って。この、結婚における「相手の妻」にならなきゃいけない、家庭に入らなきゃいけないとか、いつも一人でしていたことが絶対に二人セットですることになったりとか…この「自分が自分じゃなくなる感覚」っていうのが私は昔から感じているところがあって、それを言い表してくれたのがこのシーンで一人でスッキリしていた。当日は母と見にきていたのだけど、母もうん10年前はこんな思いで結婚したのかな〜なんて。でもエミリーを見て私はそんな不安になるくらいなら結婚したくないな〜って思っちゃったのですが。
いよいよ結婚式のシーンで、神父(牧師だったかな?)役の藤井千帆さんが進行していて、その佇まいの爽やかさが結婚を誓う相手としてとても良かったな〜って。何組かのカップルが舞台に現れてそれぞれ指輪交換と誓いのキスをするのですが、女性同士だったり、男性同士だったり、袴に対してドレスだったり、さまざまな多様性への眼差しの見える演出で良かった。神父二人に対して結構な数のカップルがいてびっくりした。
私はこの章に対して共感というよりは驚きが多かった。聡明なエミリーが進学をせず、家庭に入ってくれないかってすぐ言われて家庭にはいっちゃうし、ジョージは進学をせずに叔父の農場を継いじゃうし、みんな環境に流されてないか?と思ってしまった。
現代の結婚観
2023年という今の時代、結婚するもしないも決めるのは男女その他共に平等なはずだけど、いまだに結婚して一人前みたいな風潮は完全には消えていないですよね。私は、結婚するのって二人の人間の価値観のすり合わせからできることだと思っていて。でも簡単にピッタリ擦り合わせられたらこの世の中対人トラブルなんて生まれないはずで。夫婦という関係性を築いていく上では男女間には絶対に何かしら摩擦が生じると思うんです。安易にエミリーとジョージのように若いうちに相手の中身を知らないまま結婚してしまうのは、結婚しなければ起こらなかった摩擦による後々のトラブルにつながるのではと思って。
多分この摩擦を乗り越えるための潤滑油になるのが、「愛」なんだと、色々なカップルを見ていて思うんです。私はまだそれを与えてくれる人に出会えていないけど、もしも与えてもらったらどんなに相手に嫌なところがあっても許してしまうのか、人間関係における摩擦がなくなるのか、と思うとちょっと興味深いなんて思ったり。総括すると第二章は「愛」の章かななんて思いました。楽しい演出で目にも耳にも楽しい舞台でした。まだ3幕目が残ってるけど、重すぎてすぐ書けないので今回はここまで!
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