40歳になってどうなった?
なってしまった。
やっとなれた。
なりたかった!
なりたくなかった!
どれということもなく、気がつけば40歳になってしまって
誕生日を迎えました。
なにより、親、パートナー、家族、友人、みんなに感謝です。
(メッセージも頂きまして、かなり嬉しい。恥ずかしい。)
ありがとうございます。
「思っていた40歳とはまったく違う」
って、ちょっと先輩たちから聞いていたけど、
ほんと違う!聞いてないよ!
こんなにも40歳って!なんか雰囲気重たいけど、全然なんもないじゃん!
いやー驚いてる。なんというか、ずーっと小さい頃から苦手だと思ってた野菜を食べたら、全然苦くないし、苦手感ないし、だからといって、めちゃめちゃ美味しいってわけでもないし、なんかうん、普通。ってなぐらい。
これは、私の人間力が足りないからか、人間味が薄いからなのか。
40歳を迎えた今日は、新型コロナウイルスで世の中は自粛ムードで、なんか自分の人生の可能性をかけて世界を変えて飛び込んだ4年前から楽しみにしていたものさえリスク上、縮小だったり中止の間だったりします。
落ち着きもないし、メンドくさい奴になってきていると思うし、なんか前に進んでるような、後退しているような、素敵な人とも出会うけど、敵も作っちゃうくらい下手くそでもある。成長は途中なのだけは確実です。
1980年、昭和55年3月生まれな自分を振り返る
山口百恵さんが引退し、ダンシングオールナイトが流行した年に生まれ、
2歳の時に千代の富士が横綱になり、ルビーの指輪がヒットし
3歳でテレホンカード(知ってる?)が発売され、
5歳に公開されたインディ/ジョーンズ魔宮の伝説やプロジェクトAは再放送で同世代の人はたくさんみたよね
7歳の頃に起きたスペースシャトル・チャレンジャーの事故は、何度も本を読んでとっても印象に残ってる
9歳の頃のリクルート事件は、なぜだかとっても覚えてる。
10歳のベルリンの壁なんて、めっちゃ凄い記憶してるし、ゲームボーイなんて弟と兄弟喧嘩のもとになった伝説のゲーム機
12歳でバブル崩壊。これがきっかけで僕は中学3年で親の会社が倒産することになる
15歳のミスチルのinnocent worldの記憶は、親の会社の倒産と自己破産と、中3の夏休みをずっと親戚や東京にいた姉のアパートを渡り歩いた記憶
16歳はまったくもって面白くもない、高校時代のスタートである。でもそのおかげで今があるのは間違いない
18歳の高3のときに山一證券が破綻して、そのことについて朝日新聞の声に送って掲載されたのは確か12月25日だった
19歳、大学進学で上京。親が何とか送り出してくれた先では、いきなり今のパートナーと大学入学して早々から付き合い始めた。あの頃はアオハルの塊であった
20歳、ユーロがはじまったのはこの時
21歳に誕生したのは、沖縄でしか見ない2000円札で、この時アイレップにインターンシップというかアルバイというか、時給1,000円でめっちゃテレアポしてた
22歳はテレビで9.11を見て、その時なぜだか大学のアベ先輩に、「なんか映画みたいなこと起きてるんですけど」って電話した記憶がある。
23歳は、サッカーワールドカップの日韓共催で、僕はサッカーにまったく興味ないけど、大学を休学しながらインターンと社員の間みたいにふわっとしたポジションでいたアイレップが表参道にあったから、渋谷の騒ぎを近いけど遠く感じてた
24歳、SARSがこの時、今だからこそ思うけど、あの時は今ほどじゃない感じがする。そんなタイミングで、大学復学したけど取締役になった時。
25歳、苦しかった記憶がある。上場延期になったりいろいろあった
26歳は電車男がヒットして、2ch文化というかネットカルチャーが世の中の当たり前になって来た時。この時の仕事は既存事業やりつつ新規事業やって苦しかった記憶。
27歳のときに上場したけど、なんか自分が担当している新規事業はぱっとしなくて苦しくて、悔しくて、唯一の救いは結婚をしたこと
28歳はサブプライム問題が起きて、なんかきな臭いよね?って感じはじめる
29歳のときに結婚して2年以内は新婚だからって、ヨーロッパに新婚旅行行ってて、スイスについたらリーマンブラーザーズが破綻ってニュースをみた。そして年末には、事業も黒字化して子会社して社長になった気がする。
30歳なんか、政権交代があったり、仕分けがあった気もするけど、自分の会社が仕分けされて、会社を売却し、このタイミングでネット広告代理店から足を洗う。この時は、ストレスでお酒がないと寝れない毎日という、弱い自分と向き合う日々だった。(あれ?すっごい暗い展開。。。暗い時期ですね)
31歳は、自分が代表をしていた会社の買収元であるインターネットインフィニティーの執行役員で、メディア事業を担当したり、この時日本の社会構造の課題を感じる。いろいろ振り返りたくて、大学院へ進学する。そして、会社を退職して無職に。
32歳このタイミングで、なぜかインドに旅に出る。奥さんを誘ったけど、断られて一人でバックパッカーしてた。帰ってきて鎌倉のカヤックに流れ着く。そしたらいきなり3.11。いろいろ起きる。
33歳はゲームの事業部長やってて、DeNAさんやGREEさんに行ったり来たり、ガラケーからスマホへのタイミングは?プラットフォームどうすんの?とかとか、開発チームとのバランスって、、、いろいろ悩んでた。でも面白かった。
34歳に、友人の挑戦を通して、ふるさと宮崎との関係が深まり、宮崎に帰ることを決断して、すぐにUターン。奥さんは東京でキャリア順調だったので、残りつつ。んが、結局一緒に来てくれた。ホント感謝しかない。そして、宮崎のアラタナの役員になっていろいろ担当する。
35歳宮崎でできること、やるべきこと、貢献できることを探して、チャレンジしてなんでも手を出してた気がする。覚えているの消費税8%対応でECやってた会社は大騒ぎだった!
36歳前後では、アラタナの取締役になったり、ZOZOグループ入りの担当者をやらせてもらったり、いろいろあった。ほんと、いろいろあったわー。遠い目
37歳は人生は何が起こるかわかんないけど、今の仕事に流れ着く。いやー、尖ってた気がする。めちゃめちゃ尖ってた気がする。そして敵をバンバン作ってた気がする。
38歳はなんだかんだ僕は組織人の側面も大きいのだなと感じつつ、大学での自分の居場所というか、この世界での自分の居場所を探しております
39歳は探し続ける、模索し続ける結果、再度民間での役割とかを探したりしている39歳でした。
40歳。1日目。職場で2日目に突入目前。
振り返ると、ずっと悩んでるわ
ほんと、ぐぅぅって表現できないくらい苦しがってるシーンとか思い出した。
幸せもたくさんあるけど、喜びや感謝はたくさんあるけど、悔しいや恥ずかしいや、ムカつくや、苦しいや、痛いとか沢山あったけど、そのおかげで誰かのために働ける機会を頂いたのだと確認できた気もします。
今後も、悔しいや苦しいや恥ずかしいから逃げないようにしないといけない気がしてます。40歳なんだからバシッと言い切れたらいいけど、たぶんそうなんだろうけど、なんか大変そうだなぁ(苦笑)と思う気持ちもあります。
けど、新しい世界やコツコツを同時にやって、恥ずかしい、苦しい、難しい、痛い、めんどくさいもちゃんと逃げないでやっていこうと思います。
苦手と得意も少しわかってきた気もするので、活かしていきたいと思います。
ダメなところがたくさんありますが、みなさんへの感謝を持って、家族への愛を大切にして、これからも挑戦していきたいと思います。
40歳の土屋有もよろしくおねがいします。
ありがとうございます!
誤字脱字も恐れず、勢いで書いてしまいました。
まずはやってしまおうということで