人生のチャンスをくれた会社に感謝
大学3年生、4年生の頃のわたしは、周りの就活する学生たちの空気に焦りを感じつつも一緒に就活していくのが嫌だった。
散々、「俺は違う、違うんだ!」ってイキリ倒して、(当時の)インターンシップにスーツで行ったまま講義に出たりしてた。
起業するキッカケを探し続け、チャンスを掴むのに必死だった。
と言いつつ、普通の、普通の特になにが強いというのがない、特徴があったわけではない学生だった。
そんな私は、
とある別のお仕事をさせていただいていた会社のオフィスが表参道だったので、交通費を浮かすためにも、表参道でのチャンス(アルバイト、インターン)を探していた。
検索したのは
(時代を感じるけど)Yahoo!JAPANで
「表参道 インターネット アルバイト」
と検索して、その時に出会ったのが私に人生のチャンスをくれた会社でした。
面接に行ったら、リクルート系出身の社長らしいのだけど、どうも雰囲気はオラオラしていない、細身の神経質そうにも見える社長が面接相手。
後にめちゃめちゃ私を伸ばしてくれる方である。
まずはお試し的にテレアポのアルバイト(時給1000円)
が、しかし表参道にあるはずだった会社の勤務場所は溜池山王駅(しかも一番遠い出口!)で、隣のビルが工事していて、テレアポしている間中、ビルが揺れているという小さなペンシルビルでした。数カ月後に表参道に移転予定だったので、表参道で募集していたとのこと。
メンバーの肩書は、WEBマーケティングパートナー というもの。
ここで、教育担当になったのは強めの高知弁の若い社員の方。これまた個性的だった。熱く、熱く、熱く、ロジック、「で、つっちーはどうするべきだと思うの?どうしたいの」と言われる展開。
バイトはじめて数日後、ランチに近所のとんかつ屋に連れて行ってもらってトンカツを奢ってもらう。これが、後に「バイトでトンカツ奢ったのは、ツッチーがはじめてで、最初から期待していたんだよね」と言われ続けるトンカツ奢ったエピソード。
その後、テレアポバイトから営業もさせてもらい、ロン毛でピアスをしていた私は、髪の毛を切り、ピアスを外して営業。ロープレ、資料作り、アポリスト作成、アポ、営業、アポ、ロープレ、契約書(出稿申込書)作成、送付、入金確認、未入金案件確認などを楽しく、楽しく、徹夜しても、終電ダッシュしても、夜22時から飲み会でも楽しく働いていた。
気がつけば、大学は休学、留年を繰り返し6年目。残すは、必修の単位1単位のみ。
オフィスの場所は、予定通りに表参道(当時のエイベックスの横)に移転してくれた。その後、新宿(新築ビル)に移転して、表参道(青学の隣)に戻ってくる。
オフィスが移転するということは、スタッフが増えていること、いい人材を採用するために職場環境を良くする一つとして新築ビルや場所を気にしていく。会社は順調に成長していた。
私は、アルバイトのまま教育担当や、媒体担当、大手のクライアント様担当のプランナー、超大手クライアントの獲得、専属チームの責任者などを気がつけば数ヶ月単位で仕事が変わっていった気がする。(気がするだけ)
そして、会社は上場を目指そうという話になる。元々、社長(創業者)は上場を目指していたようだが、私は社内報(メルマガ)を読んで、勝手にアルバイトだけど「私、取締役やりたいです。たぶん、できます。」と立候補する。もちろん、そんな急成長起業なので立候補する社員は他にもいる。育ての親的な先輩社員もいる。
大学生だったけど、バイトから取締役に転換である。
そして、上場準備も始まり、私は人生はじめて借用書を書いて、大学の先輩から借金して出資する。その後SOも付与される。まだ、大学生な私。
上場準備の間の紆余曲折はあるわけですが。
上場審査の段階で、主幹事との話し合いで大学は中退する決断をする。
その後、新規事業担当となり子会社を立ち上げ、まー地獄的な日々を過ごすのですが、会社は優秀な同僚たちや経営陣達と取り組み上場。
その後、貸付、特損、リストラ的な、M&Aだとかなんだとか
結婚式でも数字と向き合わされるというこれが責任なのかーって思ったりする事もあった。
苦しい思いでばかりが思い出される瞬間もあるけど、あの優秀でいい人ばかりな同僚たちとの時間や出会いは感謝しかない。
私にデジタルマーケティング、営業、マネジメント、経営判断、チームビルディング、新規事業、資本主義との向き合い方を教えてくれた会社には感謝しかない。
そして、今回あの時の仲間達が未来のための決断の場にいたと想像する。
応援したい、応援している、楽しみにしてる!