YU-TOの頭の中 "才能"と"努力"の話
どうも皆さん、YU-TOです。
音楽と才能、それはまるで料理と塩、刺身と醤油くらい切っても切れない関係性で、「音楽は才能が無いとダメだ」「あの人は才能があったから売れたんだ」みたいなセリフは、それこそ耳にタコが出来るくらいにそこかしこから聞こえてくる。
一方で、「才能よりも努力!」みたいな言葉も同じくらい聞く。
どこかの誰かの「自分には才能はないけど、努力で成功を勝ち取ったんだ」みたいな話は、"頑張るの大好き"な日本人が好む美談だ。
だから、才能と努力は相反する意味合いとして挙げられることが多いけれど、個人的にこの2つはむしろ相乗関係なのではないのかと思っている。
まず、"才能"というものは、この世に確実に存在する。
簡単に言うと、"向き不向き"というか、突き詰めると"好き嫌い"だって才能の1種。
どうも世間一般でよく使われる"才能"の意味は割と極端というか、ちょっと湾曲され過ぎた使われ方をされている節がある。
その分野で大成功して大金持ちになれなければ、「才能がある!」とは言われないというか、スポーツも"オリンピックで金メダルをとれなきゃ才能が無い"みたいな、ちょっと"才能"のハードルを高くし過ぎている向きが世間にはあるように感じるが、これには少々異論を唱えたい。
自分は、"才能"という存在は、もっと意味が幅広く、そして誰もが持っているもので、世間で言われるよりもずっとハードルが低いものだと思っている。
例えば、"音楽の才能を持っている人"とは、どんな人の事を指すのかといったら、もう音楽が好きなのであれば、その人には十分に音楽の才能があると自分は思う
ちょっと極端な話かもしれないが、本当にそう思う。
「だったらライブとかフェスとか、そういう場所に遊びに行っている何万人という人達は皆んな音楽の才能があるということか?」と言われてしまうかもしれないが、これに関しては半分YESで半分NOだ。
もし、仮にそのライブに行っている人が"友達と皆んなで楽しくライブに行くのが好き"なのであれば、その人には音楽の才能は多分無い。
それは"音楽好き"ではなく、"パーティー好き"だ。
"音楽が好き"と"音楽を孕んだコンテンツが好き"かも全く別物で、好きなアイドルのコンサートにだけ行くというのもまた、"音楽が好き"とは全然違う種類の"好き"なので、こちらの人にも恐らく音楽の才能は無い。
しかし、"1人でもガンガンライブに行く"という人なのであれば、その人には間違いなく音楽の才能があるだろう。
生で好きなアーティストの音楽を味わう事が好きという人や、普段から良い音楽を探し求めてストリーミングサーフィンをしまくっているみたいな人には、何かしら音楽界に貢献出来るくらいの存在にはなれるはずだ。
ただ1つ注意しておきたいのが、音楽の才能=楽器演奏や作曲の才能だけではないということ。
音楽が好きであるからと言って、楽器演奏の才能や、作曲の才能があるとは限らない。
楽器演奏にはフィジカル的な能力も必要であり、その分野での才能は無いという人もいるからだ。
「じゃあ、その人の音楽の才能ってどこに生かされるんだ?」と思うかもしれないが、恐らくそういう人が、レコード会社や音楽メディアで働く人なのだろうと個人的に思う。
こういう人は、"音楽をプレイする能力"では無く、"音楽を売る能力"に長けていく事が多い。
「とにかく色々な新しい音楽を発掘するのが好き!」という人は、キュレーターであったりだとか、マーケティング能力を身につければレコード会社のA&Rみたいなポジションも狙える。
日々情熱的にライブに行くのが好きな人は、ライブハウスに勤めるようになるかもしれない。
こういう職業で活躍する為には、先ず何よりも幅広い音楽が好きでなければならないと思うし、好きじゃないと、こんな仕事をしようとすら思わないだろう(笑)。
だから、"好きになれる"というのも才能の1つなのだ。
当たり前だが、好きになれなきゃ努力も出来ない。
考えて、考え続けて、結果が出るまで思考錯誤を繰り返し続けるのが努力だが、好きじゃないと考え続ける事すら困難だ。
もちろん、何も考えないで"何となく出来てしまう"という類の才能もある。
別に本人が意思を持って上手くなろうとしている訳じゃないのに、何故だか上手く出来てしまう物事を持っている人も、世の中に少なからずいる。
しかし、そういうのも本人は好きという意識は無くとも、心のどこかでは必ず好きで、それが出来るようになった何かしらのルーツが幼少期にあったりするものだ。
そして基本、本気で何かを好きになる人や、何となく人より上手く出来てしまう事を持っているような人は、他人が"努力"と思うような事を"努力"と思っていない。
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