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YU-TOの頭の中 残るもの

どうも皆さん、YU-TOです。

先週末は、久しぶりに朝まで酒を飲んだ。

長年の友人が勤めていたバーを辞め、9月から別の職種に転職するということで、先週土曜が最終出勤日だったのだ。

店の場所は千葉の津田沼。
自宅から決して近くはない距離にあるが、彼が勤め始めてからの10年間幾度となく足を運んだ、もはや "常連" と呼ばれてもおかしくはない馴染みのある店。

初めて行った時のことは、全く覚えていない。

友人が前職を辞め、その店に勤めるようになる直前くらいに「家の近くに良いバーがあって、そこで働くかもしれない」という話を新宿かどこかで飲みながら聞いた覚えはあるのだけど、勤め始めてからどういう経緯で通うようになったのかは、ほぼ全く記憶にないのだ。

「何か、あいつが休みの時に一緒に来たんじゃなかったっけ?」と、先日話したその店の元店長さんに言われたのだけど、確かにそんな感じだった気はする。

SNSでの投稿を辿ってみると、2013年にその店に飲みに行っている投稿がいくつかあるから、自分も約10年通い続けたということになる。

この10年の間に出会った人もいれば、別れた人もいる。

バンドも変わったし、つるむ人間の顔ぶれも幾分か変わった。

生涯自分の胸に刻まれるであろう忘れ難い良い思い出もあれば、2度と思い出したくないような思い出もある。

年を重ねれば重ねるほど時が経つのが速く感じると言ったって、10年も生きれば何かしらの "残るもの" は誰にだってあるものだ。

それが良いものであれ、悪いものであれ。

自分が生きてきたこの10年の中で、決して少なくはない数の "残るもの" を、この店は作ってくれた。

暇な夜に「今日行くわー」と友人に連絡を入れ、1人でカウンターで飲んでいた時は、「こいつドラム凄いんですよ!」と友人がよく他のお客さんに自分を紹介してくれて、「うるせーわ!」とか言いつつも、何やかんや盛り上がったりもして。

そんな感じで店で知り合って仲良くなり、連絡を取り合ったり、飲みに行くようになった人もいる。

音楽仲間を連れ立って行った時は、カウンターで繰り広げられるくだらないゲームで盛り上がり、アホみたいにテキーラを飲みまくった日もあった。

誕生日や記念日を祝ってもらったことも、何人か恋人を連れて行ったこともあったかな。

つい深酒してカウンターに突っ伏して寝てしまい、叩き起こされた記憶もちらほらと(先週もそうだったw)。

友人とこの店を介して得た "残るもの" は、自分の中で印象深いものばかり。

敢えて "思い出" と言わないのは、この店での記憶はフワッとしていて、具体性があまりないからだ。

何か特別な事があったわけではないけど「あそこで飲むの楽しかったなぁー」みたいな、そういう抽象的な記憶。

でも自分の中にじんわりと残っていて、ふとした時に行きたくなる。

だから、"残るもの" と言うのがしっくりくる。

色々なご縁を頂いた店であり、自分にとってホームのような店であり、何かの節目には必ず足を運んでいた店だった。

友人の最終出勤日には、多くの人が顔を見せていた。

顔馴染みな人が多くいて、さながら同窓会のような居心地。

この10年間、色々な場所で飲んだけれどそう感じられた場所にはここ以外未だ出会えていない。

店が閉まった後は、十数名という大所帯で常連さんや他スタッフ達と友人の送別会を行った。

別れの挨拶を無茶振りされたスタッフがいきなり泣き出して、「おいおい泣くのかよっ!」とヤジを飛ばしていたのだが、最終的には自分も友人が最後に泣く姿を見て若干のもらい泣き。

実は、「あいつ最後泣くかなー?」と元店長さんから聞かれていて、「いや流石に泣かないでしょー」と答えていたのだけど、しっかりと泣いていたという(笑)。

その後も何人かの人が突然泣き出したりして、この店で友人は本当に愛されていたのだということを実感した。

この10年間で、この店と彼から "残るもの" をもらったのは、自分だけでは無かったようだ。

シンプルに、皆んな楽しかったのだろう。
この店で彼と過ごす時間が。

「仕事をする意味はお金だけじゃない!」というのは、やりがい搾取に繋がる危険な考え方かもしれないが、あながち間違ってもいない。

人に何かを与え、お金という対価を得るのが "仕事" だが、時に"お金とは別のもの"に変わって対価が懐に入ってくる時もある。

仕事というのは、その"お金とは別のもの"がどれだけ入ってくるかどうかの方が案外大切だったりもするのだ。

それが無ければ、人はその仕事を続けることはできない。

嫌でも続けることは可能だが、少なくとも楽しく、健やかに生きていくことは難しくなるだろう。

お金とは別のものが何であるのかは、上手く説明ができないのだが、"自分自身が誰かの人生の大切な一部になっている実感"と言うのが1番しっくりくる。

誰かの人生に何らかの光をもたらせられているという実感があれば、人は仕事に"本物のやりがい"を感じることができるのでないだろうか。

きっと友人は、この仕事からそれを感じていたのだろう。

じゃなければ、10年は続かない。
そのような仕事に出会えたということは、なかなか稀有なことだ。

その仕事を手放して、9月から友人は違う職種につく。

きっと大変なことも多いだろうが、新しいものを得るためには何かを手放さなければならない。

それがどんなものであれ、新しい道からきっと何かは得られる。

別にこれからも会えるだろうし、店にだって行けるから、また変わらずいい酒が飲めたら幸いだ。

ここ最近、新しい道に旅立つ友人が多い。
次は自分の番なのかな?(笑)。

とりあえず10年間、お疲れ様でした。

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