激人探訪 Vol.2 松山ケンスケ〜作曲は"子供のモノ作り"〜
どうも皆さんYU-TOです。
前回の"激人探訪 Vol.1"の予想を遥かに上回る反響への驚きと感謝を感じつつ、この記事を書いている。
自分はバンド全体の歴史や発展というものには昔からあまり興味を惹かれない。
それよりもどちらかと言うとメンバー1人1人がいち"個人の人間"としてどのような歴史と背景があるのかという事に興味があるのだが、それと同じような事を感じている方々が決して少なくない数いるという事がわかり、とても嬉しく思った。
多くの人に読まれる事は嬉しいが、あまりプレッシャーを感じ過ぎるのもどうかと思うので引き続き自分のペースで色々な人を楽しく"探訪"していこうと思う。
今後ともよろしくお願いします。
そして、本日の激人探訪 Vol.2のゲストはUndead corporationで活動を共にする松山ケンスケ氏だ。
松山氏はUndead corporationのベーシストであり、リーダーであり、ソングライターでもあるバンドの"ブレイン"だ。バンドのコンセプトが"ゾンビ会社"という事で普段は"社長"と呼ばれている。
松山氏をミュージシャンとして定義する際、"ベーシスト"と定義してしまうのは個人的に違和感を感じる。それは松山氏本人も同じだろう。
彼はギターもピアノも弾けるマルチなミュージシャンだが、かと言ってその2つかと言われても違う。
普段から松山氏がよく言っていることがある。
YU-TO君は"プレイヤー"って感じだけど俺、そういう感じ全然無いんだよね。むしろそんなに楽器は弾きたくないっていうか、、、(笑)とにかく曲が作りたいって感じ。
松山氏は自分自身の事を"作曲家"と定義している。そしてそこに自分も意義はない。自分自身、彼をそう定義している部分もある。
日本のメタルシーン、、というか世界のメタルシーンにおいてもここまで"作曲家"という役割に舵を取ってる人物も珍しいのではないかと思う。
実際、彼の事を"天才作曲家"と呼ぶUndead corporationのファンもいる。
自分自身はメタルという音楽の、ドラムで言ったら高速2バスやブラストビートのような"演奏するのが難しいテクニック"的部分に子供の頃からロマンを感じていたし、ドラムを始めた当初は「とにかくメタルという音楽を早くちゃんとプレイ出来るようになりたい!」という気持ちで楽器を練習してきた。
しかし松山氏はかなり早い段階で音楽との向き合い方をそのようなテクニック的な向き合い方から曲作りというクリエイティブ的な向き合い方に切り替えた。
いや、むしろ"切り替えた"という意識も本人には無く、ごく自然と当たり前のようにクリエイティブな方向に向かっていたと言った方が適当かもしれないと今回話を聞いて思った。
今回はそんな"生粋の作曲家"松山ケンスケ氏を探訪していこうと思う。
第1章 奥底に眠るコンプレックス
松山氏の楽器のルーツは実はクラシックピアノだ。
Undead corporationのバラード曲などでピアノが入った曲があるがそれは全て松山氏が弾いたもので、実際にライブでキーボードを弾く事もある。
先に妹がピアノやっててそれを真似して始めた。クラシックピアノね。毎回、課題曲と譜面があってそれを弾くだけって感じ。特にスケールとか音楽理論を学んだって感じじゃなかったな。
と言った形で、普通になんとなく街のピアノ教室に妹と通うというごくありふれた事から松山氏の音楽人生は始まった。
そこから何故、松山氏はメタルやロックなどの激しい音楽に目覚めたのだろうか?
俺、高校の頃いわゆるヴィジュアル系が好きだったんだよ。LUNA SEAとか黒夢とか。あとは相川七瀬とかも聴いてたな。高校の頃はそれが自分にとって一番ハードな音楽だったんだよね。で、友達が多分、俺が"よりハードな音楽"を求めてるって察知したんだろうね、ある時"これ良いよ"ってMetallicaの「Black album(通称)」とNirvanaの「Never mind」を貸してくれて。それが始まりだった。
松山氏はこの頃、"ハードな音楽"を求めるようになっていたという事だがそれが自分の中で少し不思議な事のようにも思う。
少し偏見もあるのだがピアノを習っていたのならばもっとポップな音楽の方向に行ってもおかしくはないし、楽器の性質上、ソフトな音楽に触れる機会の方が多かったのではと思ってしまうのだが、、
もちろん10代特有のささくれ立ったものや、X以降のヴィジュアル系バンドが世間を席巻していた時代背景もあったと思うのだが、クラシックピアノを習っていたような子供が何故この頃になるとハードな音楽を求めるようになっていたのか?
俺、小学校の頃いじめられっ子だったのね。低学年の頃に何か知らないけど集団でリンチされたりとか、、それが小5位まで続いたのかな?まあその時の担任の先生のお陰だったり俺もやり返す事を覚えたりとかでイジメは無くなったけど。それ以来やっぱり心のどこかで自分に対してコンプレックスを持つようになった気がする。俺、そういうコンプレックスってメタルとかそういうハードな音楽に合致しやすいのかもなって思うんだよ。もちろん、今はそんなに自分に対するコンプレックスは持ってないけどね。
松山氏はそのイジメが終わった後も何かモヤモヤした"どこにも向かえない怒り"のようなものを感じていたという。
子供のイジメというのは本能的なマウンティングのようなもので、そこで自分が下と見られた怒りや憤り、ある種の無念さというのは心のどこかしらに残っており、それを発散させるためのツールとしてロックやメタルなどのハードな音楽を求めていたのではないかと松山氏は語る。
弱いからこそタフガイに憧れるみたいな感じ(笑)それがファンタジーの方向にいってたら耽美系のメタルにいってたのかもしれないけど自分はとにかくタフな音楽に憧れを持つようになってたね。音楽やってる人って結構コンプレックス持ってる人多いんじゃないかと思うよ。
確かに、自分自身もイジメなどは無いにしろ学生時代はあまり"パッとしない人間"だったように思う。
勉強はそれなりではあったが好きではなかったし、スポーツはほぼ全てダメ(器械体操だけは例外的に出来た)、特に異性にモテるというわけでもなかった。
学校に通う意味を見出す事が出来なかったし、今だに学校は"閉鎖的右向け右人間製造工場"だとも思っている。
ただ、1つだけメタルが好きでドラムが叩けるという事だけは周りに理解はされずとも自分の中の"誇り"のようなものだった。
別にメタルを聴いてるからといって強くなる訳がないのはわかってはいたが、あの時聴いていた色々なメタルサウンドは確実に自分自身を奮い立たせていたし、"いつか何かやってやる"という気持ちを起こさせ、少年時代の松山氏と同じように心の中で自分自身を"タフガイ"にしていた。
それはある種の逃避のようなものなのかもしれない。でもそれで良いし、それで良かったのだとも思う。
まだ10代の学生が自殺という人生の結末を選んでしまったという話を聞く度に、"彼らを救う音楽は現代になかったのだろうか?"と割と真剣に考える。
彼らの辛い現実をほんの僅かな時間でいいから忘れさせ、現実に立ち向かう勇気をくれる音楽はなかったんだろうかと。
音楽、メタルにはそのような目には見えないが実用的で確かな機能が備わってると思う。
だからこそ自分もメタルドラムを叩き続けているし、松山氏もその"実用的で確かな機能"がある曲を作り続けているのかもしれない。
第2章 稀代のソングライターは如何にして誕生したのか
Metallica、Nirvanaを皮切りにより一層"ハードな音楽"にのめり込んでいった松山氏はどのようにしてバンドの世界に足を踏み入れたのだろうか?
とりあえずその後すぐにJames hetfieldに憧れてギターを始めたんだよ。最初はコピーだったけど大学2年の時くらいからオリジナル曲を作り始めた。今考えるとショボい曲なんだけどタイプ的にはDevil withinみたいな感じだった。メロデスラッシュみたいな。In flamesのメロディックさにSlayer的なスピード感が乗ったみたいな音楽性だったね。
ここで松山氏が名前を出しているDevil withinは、2019年に松山氏が発足したVoはMergingmoonのU、GuはThousand eyesのKoutaと松山氏のツインギター編成、BaはHellhound 、AfterzeroのYojiでDrはかく言うわたくしYU-TOというシーンのオールスターを集めた(自分をオールスターという枠に入れるのは何ともだが 笑)プロジェクトバンドである。
Disk UNIONのメタルチャートで2週連続1位、総合でも4位に食い込むなど好評を得たがこうして話を聞いてみるとあれは松山氏の原点回帰的なプロジェクトだったんだなと思う。
松山氏のバンドのキャリアはギタリストとして始まった訳だが、幼少期から習っていたというピアノが作曲や自身の音楽感に何か影響は与えたのだろうか?
影響は、、、ないね(笑)ピアノは全く役に立ってなかった(笑)まあコピバンからすぐにオリジナルにいけたのはピアノやってた音感があったからだとも思うんだけどね。理論とかスケールとか当時全然分かってなかったけど何となく体感的には理解出来てた。それが役に立ってたといえば立ってたのかな?、、よくわからないけど(笑)
松山氏自身はあまりピアノからの影響を感じていないようだが彼が語る"体感的に理解できる"という感覚は音楽をやる上でとても大事な感覚なようにも思う。
大人になってから理屈で学んだテクニックや理論はどうしても"知識"という枠を飛び出すことが出来ず、実戦で使ってもどこか"使いたくて使った"ような違和感が残ることが多い。
もちろん本人の努力次第でそれらをモノにする事は可能だが、無垢な幼少期に体感的に学び取った事はそのプレイヤーの血肉となり、骨の髄まできっちり体に染み付いているものだ。
当たり前だが音感やスケール感覚が身に付いている人は曲作りも上手くなる。特に幼少期から自然とそのような感覚が身についてる人は特に自分で意識せずともメロディや曲運びのアイデアが止めどなく浮かぶのだろうという事は容易に想像できる。
もちろん、後々になって音楽理論をしっかりと勉強したと語っているが、松山氏が作曲という方向に自身が向いてると感じる要因はその体感的に身についている音感やスケール感覚が元になってるのではないかと思う。
世間のミュージシャンや作曲家のイメージとしてよくある「曲のアイデアが浮かばない」「イメージが降りてこない」などの一見アーティスティックな人間の悩みのようなものは本当にアーティスティックな人間は持つ事がほぼ無い。
むしろアイデアは出そうと思えばいくらでも出せるし、曲は書こうと思えばいくらでも書けるのだが、アイデアが膨大過ぎてその中から何を選択するかを迷うといった類の悩みが多いように感じる
そして松山氏もそういうタイプのミュージシャン、作曲家であると思う。
また、今回話してみて自分が感じたのは松山氏の"音楽ジャンル"に対する包括的な視点だ。
やっぱ最初にMetallicaとNirvanaを同時に聴いたっていうのもあって俺、Nirvanaがずっとメタルだと勘違いしてたんだよ。そのせいかなのかグランジ、オルタナ、パンク、ハードコア、メタルコアとか、もちろん違いはわかるんだけどそういうの全部ひっくるめて"メタル"って認識が自分の中で出来ちゃってるんだよね。だから俺はメタルっていう音楽をかなり広く捉えてると思うよ。
この松山氏の感覚はかなり珍しいのではないかと思う。
音楽業界というものは時代と共に様々な音楽ジャンルを形容する用語が量産され、消えていく。
"〜COREという新たなスタイルが今キテる!"や"Djentの要素を取り入れた"などのセリフはそこかしこで目にするし、いつの間にかそのような呼び名が定着している事もあれば、いつの間にか消えて無くなっている事もある。
それが音楽というものの楽しみ方の1つでもあるし、自分もそういう楽しみ方をしている時もあるのだが、あまりにも細かなジャンルやスタイルの分別には少々嫌気がさす時もあるし、どうにも本質からブレる気もする。
もちろん、ある程度のジャンルの絞り込みは必要であるし、この記事でもその類の呼び名で音楽を呼ぶ事は多々ある。
しかし音楽というものはスタイルやジャンルをなぞるのではなく、自分が表現したいことに焦点を当て、それをどう音楽として表出させるかが一番大事なところだ。
"〜は世間でメタルコアとされてるがこれはデスコアだ"といったような細かなスタイル分けの感覚は物凄くナンセンスなものだと松山氏は言う。
そのバンドが世間的に属するスタイルで聴かないって決めつけちゃう人、結構いるんだよね。サウンドは凄い近い事やってるのに"〜はメロデスじゃなくてメタルコアだから聴かない"とかね。それは凄いもったいないと思う。
作曲者的な観点で語るのならば、松山氏のように"とりあえず激しい音はメタル"というように幅広く、ある種おおざっぱな捉え方をした方がよりオリジナリティのある楽曲が生み出せるのではないかと思う。
その方が"これは〜の要素だからダメだ"というような選り好み無しに自由な感覚で作曲が出来ると思うからだ。
松山氏の楽曲が独自性を発揮しているのはこの音楽スタイルに対する包括的な視点も大きな要因になっているのではないだろうかと思う。
第3章 作曲に影響を及ぼしたアーティスト
音楽スタイルを包括的に捉え、どんなアーティストも分け隔てなく聴く松山氏だが彼の作曲に影響を及ぼしたアーティストは誰なのだろうか?
久石譲はデカいかな、、一番最初に憧れた作曲家だから。あとはドラクエのすぎやまこういち、、後はファイナルファンタジーの植松伸夫とか。その辺の人から作曲に興味を持った気がする。でも基本的に"作曲面白そう"って思っただけというか、自分の作曲に直接的な影響はないかな。単に"憧れ"っていう感じ。
アニメやゲーム音楽の作曲家が多いという印象だが、これらの作曲家からの影響は漠然と"作曲家の方向に向かいたい"と思わせたという影響で何か具体的な曲のアプローチやインスピレーションになるような影響ではないと言う。
では松山氏の作る音楽に直接的な影響を及ぼしたアーティストは誰なのだろうか?
hoobastankかな。凄い影響受けてる。後はsoilwork、lostprophets、Story of the year、Pantera、Sepultura、Machine head、、その辺が一番コアな影響だと思う、、そんな感じじゃない?俺の曲って(笑)
一番最初にhoobastankの名前が上がった事は意外にも思うし"やっぱり"とも思う。
hoobastankは2001年にデビューしたアメリカのロックバンドで、デビュー当時はかなりメディアでセンセーショナルに扱われていた記憶がある。
2001年当時、伊藤政則氏がMCを務める"ROCK CITY"という衛星放送の番組を観ていて、この"Crowling in the dark"のMVが番組内で流されたのだが、とにかく今までに聴いた事のないサウンドで"おおっ?!"っと思ったのを覚えている。
当時流行っていたNU METAL的な感触もあるが、それよりも遥かにメロディアスでスピード感があるサウンドだった。かと言ってPOP PUNKのような"おバカ"な雰囲気は一切無く、どこか緊張感のあるサウンドなのだがMetalのそれとも違う。
今でいうとScreamoに近いサウンドではあるが当時はまだその言葉とスタイルは無かった。
"何かすげーバンドが出てきたな"と思った事を覚えている。松山氏も当時同じような事を思ったのだと思う。
俺の作る曲ってサビメロがジャンルでいうとEMOってとこまではいかないと思うんだけど、、何かそういう雰囲気あるじゃん?hoobastankもそうだと思うんだよね。"EMO"ってジャンルには入らないかもしれないけど確実に"エモい"じゃん?その感覚が俺好きなんだよ。
hoobastankは"EMOバンド"と世間で言われている訳ではないと思うが、後のその手のバンドに多大な影響を与えている事は確かだ。
自分は松山氏が名前を挙げているLostprophetsやStory of the yearなど、hoobastankと同時期くらいに現れたScreamoに入るか入らないかくらいの"立ち位置が曖昧なバンド"が大好きだ。
LostprophetsもStory of the yearも基本ロックだと思うんだけどね。いわゆる"Screamo"ってジャンルがシーンで確立されるギリギリ前のバンドが好きなんだよ。どこに属してるかっていったらギリギリそっちに入るかなみたいな(笑)
なかなかこの世代を生きた人間にしかわからない感覚だとも思うのだが(笑)
しかし、確実にここで名前を挙げてるバンド達のサウンドは後のロックに多大な影響を及ぼしたオリジナリティ溢れるサウンドだと思う。
"Screamo"という言葉とスタイルが世間で出来た以降のバンドのサウンドは"スクリームとEMOなボーカルの掛け合わせ"に焦点を当て過ぎているような気がして個人的にあまり好みでは無かった。
しかし後の"Screamo"を作った"立ち位置が曖昧なバンド"のサウンドはメロディの良さが曲の中心にあり、そのメロディを際立たせる表現としてスクリームを使っているという感覚がある。その方が曲の印象がしっかりと残るし、より自分の好みにはしっくり来る。松山氏も同じ感覚でこの頃のバンドのサウンドを捉えているような気がする。
また、一番最初に作った曲がそうであったように松山氏はMelodic death metal、ここ日本では"メロデス"と呼ばれる音楽からも多大な影響を受けている。
メロデスだったら一番はSoilwork。アルバムだったら世の中の評価は低いけど"stabbing the drama"は特に好きかな。モダン化したってみんな嫌がるけどね。でもその時のSoilworkにしか作れない楽曲をやってた気がする。
"Stabbing the drama"は2005年の作品で、ちょうど世間で"メタルコア"というものが流行りだした辺りの頃の作品だ。
このアルバムのモダンな質感がメタルコアからの影響で来たものなのかはわからないが、今までとは違うサウンドスタイルながらもSoilwork独特のメロディ感は存分に残っていて、松山氏の言う"彼らにしか作り得ないサウンド"である事は確かだと思う。
松山氏の作る楽曲の特徴は、メタルのスピード感や爆発力にScreamo誕生直前のバンド達が持っていたメロディの良さが融合されたある種のミクスチャー的なサウンドにあると感じている。
Metallica、PANTERAなどからIn flames、Soilworkなどに行き着き、当時のNU METALの波を通過してHoobastank、Lostprophetsなどの"NU METAL以降Screamo以前"の絶妙な位置のバンド達に行き着くという彼が歩んで来た音楽遍歴をそのまま体現したようなサウンドだ。
いちリスナーとしてそのような道を辿って来た人は少なくないかもしれないが(メロデス〜hoobastank辺りは中々珍しいと思いつつも 笑)、それを音楽として体現出来るのはかなり少数であると思う。
先ほどのNirvanaを"メタル"と解釈した話でわかるように、彼は音楽のスタイルに様々な呼称を付ける世間的な観点を理解しつつも、"これはメタルでもこれはメタルじゃない"といったような価値判断はしない。
松山氏の中では"激しい音は全てメタル"であり、彼はメタルという音楽を大きな括りで分け隔てなく認識する事が出来る。
結果としてそれは様々な音楽スタイルを柔軟に自分の音楽性に取り入れる事が出来る要因になっているはずだ。
それは決して簡単な事ではなく、松山氏独特の感性が無いと出来ない事である。
そしてそれが彼のサウンドを聴いたリスナーが彼を"天才"と呼ぶ1つの要因になっているのだとも思う。
第4章 東方アレンジサークル時代
松山氏について書くのならばこの東方アレンジサークルについて触れておかなくてならない。
ご存知の方も多いと思うがUndead corporationはこの東方アレンジサークルから始まっており、初めはバンドでは無く松山氏の音楽プロジェクトという形であった。
"東方アレンジ"とは"東方Project"というPCゲームで使われている楽曲を様々な音楽クリエイター達が多種多様な音楽スタイルにアレンジした楽曲の事を指し、その1つの"シーン"のようなものを"東方アレンジサークル"と呼ぶ。世の中で"同人系"と呼ばれるものの1つだ。この東方アレンジサークルは今もなお、国内外問わず人気がある。
正直な話、自分はUndead corporationに在籍していながらもこの東方Projectや東方アレンジサークルについてはほぼ全くと言って良いほど知らない。
もちろん、以前より松山氏から話は聞いていたので東方アレンジサークルがどういうものなのか理解は出来ているのだが、自分が通って来た音楽シーンとは全く別の所で動いていたシーンだったので体感的にどれほどの人気や規模感があったのかがわからないのだ。
しかし、"Adore your pain"などの東方アレンジサークル時代からあるUndead corporationの楽曲は人気が高い事はわかるし、Youtubeなどではその時代の楽曲の映像も数多く上がっており、国内だけでなく海外からのコメントも数多く残されているのを見るとかなりの人気度であったことはわかる。
この東方アレンジサークルだが松山氏はどのようにして始めたのだろうか?
存在は実際に自分がやる前から知っててね。ゲームもやってたし。それで当時から交流のあったUnlucky morpheusの紫煉君から"やってみない?"って誘われて何となく面白そうだったし始めてみたんだよね。
後に松山氏にとっての最重要と言えるキャリアとなったUndead corporationだが、最初の始まりは至ってシンプルかつ気軽なものだった。
この東方アレンジサークル時代に松山氏がリリースしたアルバムは20枚を超えており、作曲した曲の数はとてつもなく多かったと言う。
この時代はめちゃくちゃ曲作ってたよ。数でいったら多分150曲くらい作ってるんじゃないかな?ジャンルもアルバムごとに変えてたし、アルバムに入ってる曲単位でもジャンルがバラバラな時もあったな(笑)その方が自分でやっていて楽しかったし同じジャンルをずっと作り続けるよりも気持ち的に楽だった。
東方アレンジは一応"アレンジ"とは銘打ってあるが、ほぼ全て1から製作しているのに近いアレンジの楽曲だ。それを150曲、しかもバラバラなジャンルで作ってしまうとはかなりの作曲能力がないと出来ないことだと思う。
また、自分自身が感じている事なのだがミュージシャンとして様々なスタイルの楽曲をプレイしたり作ったりすることは自分の母体となる音楽スタイル(自分や松山氏で言ったら"メタル")を客観的に見れることに繋がると思っている。
自分の母体となる音楽スタイルが聴く人に何を与える事が出来るのかや、何を核としているか、そして"何を削って何を見せるか"などの事が他の音楽スタイルに触れる事によってより一層浮き彫りになり、より自分の母体となるジャンルの核心に近い表現が出来るようになる気がするのだ。
実際、この東方アレンジサークル時代に後のバンドとしてのUndead corporationの音楽性に近いスタイルもやっていたと松山氏自身が語っていたし、この常軌を逸した数の曲を作ることによって松山氏は自分自身の音楽スタイルを獲得したのでは無いかと思っている。
うーん。俺自身、やっぱ作曲そのものがメインであって"自分はこれだ!"みたいな音楽性って実はあんまり無いんだけどね(笑)ただ今やってるような方向性が自分の精神性には合うっていう感じ。
と本人はいたって無自覚な印象だが、、(笑)ただこの"精神性に合う"という音楽の方向性は数曲作っただけではわからない感覚なように思う。
色々なジャンルの曲を作り、そこから様々な要素を自分の中に吸収して150曲という膨大な数の曲を作ったからこそ生まれた感覚だと自分は思ってしまうのだ。
このように人がやらない事や感じ得ないことを"しれっと"やってしまう辺りも松山氏の特徴であり、個性の1つだと思っている。
第5章 聴く人の中に"残る"曲
これまで何百という楽曲を世に出してきた松山氏だが彼が作曲する上で大切にしているポイントは何なのだろうか?
まず"自分が興奮出来るかどうか"ってところかな。依頼受けて作るのはまた別だけど。どこが興奮出来るポイントかは感覚的だから言葉に出来ないけど、アイデアとかリフが最初に浮かんで"これイケる!"って感じた時は楽しいかな
自分は一人で作曲するミュージシャンではないが、曲のアイデアや"これは面白い!"と思える展開が思いついてそれを具現化出来た時の喜びや興奮は他には代え難いものだ。きっと松山氏も同じ感覚なのだろう。
松山氏の楽曲の特徴は"キャッチーさ"であると思う。
メタル、特にエクストリームなメタルは複雑な構成で展開される曲も多いが、松山氏の楽曲は決して複雑な曲構成ではない。
どちらかと言えばシンプルで、基本となる曲構成はイントロ→Aメロ→Bメロ→サビというようなPOPSに近いものである事が多い。
構成にはこだわってる。誰が聴いてもわかりやすいように作りたいっていうのはいつも思ってる事で、激しくて"うわっ"って思う音でもよく聴いたらみんな聴けるようなキャッチーさがある曲にしたいんだよ。
曲を聴いた時にその曲が聴いた人の中に"残る"事が大事だと松山氏は常に語っている。
どんなに激しく、聴く者を圧倒するようなサウンドでも人の心に残らないと意味がないと彼は考える。
俺、デスメタルとかも好きで良く聴いてるけどやっぱ普通の人が聴いても構成わからないじゃん?やっぱり1曲の中で色んなセクションがどんどん出てくるような展開だと耳に残る部分がなくなる気がするんだよ。だからそうならないようにというか、1曲通して聴いた時にしっかりと耳に残るような曲にしたいという思いはある。
次から次に構成が切り替わる楽曲はエクストリームな音楽の特徴でもあるし、聴き手を"何これスゲぇ!"と圧倒させる効果もある。
しかしその手の楽曲は圧倒はされても"何か凄かった"事だけ覚えていて実はあまり曲自体の印象は残ってなかったりする事が多い。
松山氏の作曲に対する最大のこだわりは聴いた人の中に曲がしっかりと残るという事だ。
楽曲のブルータルさや綿密さといったものもエクストリームな音楽には欠かせない要素だがエクストリームでありながらも聴く人の中にしっかりと残り、その人の人生のサウンドトラックにしっかりと残れるような楽曲にしたいと松山氏は考えているのだろう。
また、松山氏は楽曲の中でどこに焦点が当たるのかも重要だと語る。
聴かせたい場所がどこなのかをはっきりさせる事が大事だと思う。例えばイントロでギターのリフに焦点を当てたいとすれば他の楽器もそこを聴かせるようなアレンジにするし、サビでボーカルのメロディをしっかり聴かせたいならなるべくバックはシンプルにしたりとかしてどこにスポットライトを当てるのかを明確にしてる。
Undead corporationのドラムアレンジで松山氏から受けるリクエストはフレーズの音数を"増やす"ことよりも"抜く"というものの方が多い。
メタルという音楽をやっていると、どの楽器においても音数の多いプレイや少し複雑でひねった様なプレイをしてしまいがちになる。特に自分の様なプレイヤータイプの人間はそういったプレイで曲に爪痕を残したいと考えてしまいがちだ。
しかし松山氏はやはり"作曲家"目線で曲を判断できる為、引き算の重要性を熟知している。
音を足すよりも抜く方がより結果的に聴かせたいパートをより強いインパクトで聴かせる事が出来る為、楽曲をより強力なものに出来る。
実際自分も松山氏と楽曲を制作する様になってから曲に対するアプローチが変わった気がする。
以前までは"これはちょっとシンプル過ぎてつまらなくないか?"と思っていた様なアプローチも、曲全体で考えたら聴き手がノリやすくなり、結果としては曲が活きるという事が理屈でなく体感としてわかったのだ。
これはミュージシャンとしての大きな成長に繋がったし、他のアーティストと仕事をする際もこの"引き"の大切さは大いに活かされている。
今回話を聞いてみて、改めてこの松山氏の作曲家としての視点は音楽の本質的部分を突いていると感じた。
第6章 "松山ドラムフレーズ"の綿密さ
自分がUndead corporationのレコーディングを行う際は、前段階のデモがあり、そこに入っている松山氏が作成した打ち込みのドラムを元にしてドラムフレーズを固めていくというやり方をしている。
そのデモが送られてくる度に思うのだが、正直この段階からかなり完成したドラムフレーズである事が多い。
ドラムが叩けない人が打ち込んだリズムはどこか違和感のあるアプローチが多いのだが、松山氏の打ち込んだリズムは殆ど違和感がない。
ある意味"ドラマー殺し"とも言えるのだが(笑)ドラムの叩き方などを敢えて勉強した事はないそうだ。
俺の曲って結構ドラムが他の楽器と連携するパターンが多いからもうギターリフができた時点でドラムも一緒に考えちゃうんだよね。でも俺がドラムの事をちゃんと理解出来てるかは自分でもよくわからないけどね。
確かにギターとドラムが連携して同じ様なリズムを刻む事はエクストリームなメタルの典型でもあるが、だからと言って全くドラムを叩けない人があそこまで忠実なドラムパターンを作れるとは思えない。
ただ松山氏は実際にドラムは叩けないながらも"ドラム"という楽器には興味があるという。
俺、ドラマーとドラムについて話しするの好きなんだよね。俺は一応ギター、ベース、ピアノは弾けるけどドラムは叩かないじゃん?だから一番わからないから一番興味あるみたいな感じ。そのドラマーとの話で得た事も結構あって、"このフレーズはこうやってる"って教えてもらった後にCD聴いてたら"ああ、この人のこれはこういう風にやってるのか"って割と自分の中に入ってきて吸収出来るんだよ。
前回、窪田道元氏の記事でも道元氏がドラムに興味があるという事を書いたが、松山氏もまたドラムという楽器に非常に興味があるようだ。
松山氏はその興味を実際に叩くということではなく打ち込みという表現方法を通して具現化しているのだろう。
実際によく彼にドラムの叩き方やニュアンスの出し方について質問される事があったが、そのやり取りを通じて彼は僕のドラムテクニックを盗んでいたのだと今回話を聞いてわかった(笑)
今後は何も教えない事にしよう(笑)
という冗談はさておき(笑)、打ち込みとはいえそのような話から自然なドラムフレーズの構築に繋げることが出来る彼の耳の良さとセンスには驚くばかりである。
実際、自分は彼の考えたドラムフレーズを敢えてそのまま叩くことで新しい表現方法を学べる事も多い。
プレイヤー目線で音楽を聴いているとどうしても自分の楽器に耳が偏りがちになるが、松山氏にはそのような偏りはなく、まんべん無く全部の楽器に意識がいく広範囲な耳を持っている。
その耳と感性で考えられたドラムフレーズはいい意味で"ドラマー的"でなく、音楽に溶け込んだ自然なフレーズだからこそ違和感のないものになっているのだろう。
今後も彼の考えたドラムフレーズに"なるほど"と唸らされることだろうと思う。
第7章 松山氏の作るJazz
幅広いジャンルの作曲が出来る松山氏だがメタル以外の音楽で彼が得意とするジャンルの1つにJazzがある。
スタジオなどで彼がキーボードを手にした時、必ずと言っていいほどMoanin`やAutumn leavesなどのJazz曲を最初の手馴しで弾く。
Jazzは好きだね。特にBill Evansが好きかな。特にジャズピアノを習ってたわけじゃないけどたまにJazz系の教本買って練習したりしてた。普段は50年代のJazzとかを結構聴いてる。
松山氏が名前を挙げているBill Evansはピアノジャズの代表格的存在で、1962年にリリースされた"Waltz for debby"は様々な媒体でJazzの名盤として必ず名前が挙がるJazz界のマスターピースである。
自分もこの"Waltz for Debby"は大好きだ。
Jazzクラブ(ヴィレッジバンガード)でのライブ録音の作品なのだが、観客の話し声やグラスがぶつかる音など、クラブ演奏特有の空気感を随所で感じる事が出来てあたかも自分がその空間に居るような非常に臨場感がある作品となっている。
ドラマーのPaul Motianの繊細なブラシワークも素晴らしく、ジャズドラムの真髄と言えるアプローチが全面に散りばめられている。
松山氏がUndead corporationでJazzからの影響を出す事はほぼ無いが、東方アレンジサークル時代に何曲かJazzの楽曲をリリースしている。
Undead corporationで彼が作るものとは真逆な印象の楽曲だがこのような曲も書ける彼の音楽性の幅広さはやはり驚異的である。
それにしても、、、このドラムは全て松山氏が打ち込んだものなのだが、事前に"打ち込み”という事を前提にして聴かなければ殆どそれとは分からないのではないだろうか?
ここまで生感のあるダイナミクスとアプローチを打ち込みで再現できるとはドラマー殺しも甚だしい(笑)
彼はどのようにしてこのドラムパートを作り上げたのだろうか?
とにかく自分が気持ちよくなるまでポチポチ打ち込んでいった感じかな。ゴーストノート(※注:わずかに聴こえる位の小さい音)とかタイミングぴったりにするのは違和感あるし基本ハットのカウントとかはジャストだけどあとは結構緩めなタイミングで調整して作ってたと思う。
自分もたまにドラムを打ち込んだりするのでわかるのだが、このタイミング(グリット)の調整は非常に難しい。
自分の場合は結果的に叩いてしまった方が早いので実際に叩いてしまうのだが松山氏はこれを違和感なく自然なフィーリングになるまで調整を繰り返したという。
すごい難しかったけどね。特にフィルインとかは"ランダムさ"みたいなのが大事だからそこは大変だったかな。特にJazzとかって"曖昧さ"が大事じゃない?そんなピチっとしたくないからね。まあ俺も正しいかどうか確信持ってやってるわけでもないんだけどね(笑)
普通で考えたら曖昧さが出ない打ち込みでここまでの人間臭い曖昧さが出せるのはやはり松山氏の耳の良さとセンスの賜物だろう。
本人は正しいか分からないと言っているが、フィルインのタイミングやゴーストノートの位置、ハットの開閉のタイミングなどほぼ完璧と言っていいアプローチである。ここまでのものを一人で打ち込みで作るのは相当な研究量と音楽的洞察力が必要なはずだ。
松山氏のJazz曲は彼の底知れぬ音楽性の広さとそれを再現できる実力を示すものとなっている。
まだ聴いた事がない人はこの機会に是非聴いてみて欲しい。
第8章 自分の音楽を"聴いてもらう"意識
松山氏の特徴として1つ個人的に感じるポイントは音楽を"どう人に聴いてもらうか"という事を常に考えているところだ。
そして作曲家にとって自分の作った音楽を世の中の人に聴いてもらうという事はすなわち、そこから収益を得るという事にも繋がる。
はっきり言ってある程度の収益がないと音楽は絶対に続けられない。だから常に作曲家、ミュージシャンは自分の音楽の魅力を人にしっかりと伝えて聴いてもらい、何かしらの形でその音楽を買ってもらう方法を常に模索しなければならない。
松山氏はライブ、音源制作どちらにせよ何に幾ら予算を掛け、どこから収益を生み出してその予算を回収して黒字を出すかという事をこの手のミュージシャンとしては人一倍考えているように思う。
彼はバンドのリーダーでもあるのでこの辺の事は考えていなきゃいけないと思うのだが、正直、こういう事を話すと"金の為にやってるのか?!"と言われてしまうかも知れない。
しかし、これは音楽、バンドを続けて行く上で絶対にいつかは考えなきゃいけない事、いや、考え続けなければいけない事なのだ。
バンドというものに16歳から携わって色々なバンドを渡り歩いてきた自分が身を持って言える事は、"バンドや音楽活動が壊滅する原因の9割は金銭問題"であるという事だ。
もちろん表立った原因は人間関係であったり、よく言われる"音楽性(方向性)の違い"であるかも知れない。
だがそれも事の発端や事情をシンプルに捉えればほぼ"金銭問題"と言える事が多い。
極端な話、音楽を辞めたい、辞めなければならない事情は潤沢な資金と、それを作り出せる自分自身の価値があれば9.5割程のその"事情"は無くなるだろう。
だからこそ音楽を人に伝え、聴いてもらい、収益を得るという意識は音楽活動を続けて行く上で必ず持たなければいけない考えだと思う。
"1発当てて金持ちになる!"という考えも悪くはないし、音楽業界に夢を持った若い世代が出てくる事は業界の発展にも繋がっていく。
しかし現実的には今活動しているミュージシャン達が"音楽を続けて行く為にどうやって活動を黒字にしていくか"という事に焦点を当て、発信を持続して行く事が音楽業界を発展させる最も重要な行動であると思う。
松山氏はこのような意識を常に持っていると感じているのだが、その意識を持ち始めるきっかけとなった出来事があったという。
東方とか始める前にやってたバンドの全国流通したCDが50枚しか売れなくて、、(苦笑)ヤバイよね(笑)そんなんだったら流通する意味も無いし、メチャクチャ赤字だし作った音楽を聴いてもらえてないって事だから"これは悲しいな"って思ってそこから色々考えるようになったかな。
松山氏はそれ以降、バンドのプロモーションや自分の曲をしっかりと人に届けるにはどうしたら良いかを考えたという。
話を聞いていると、松山氏は自分の作った音楽が"お金にならなかった"という事よりも自分の作った音楽が"人に聴いてもらえなかった"という事の方がショックだったのではないかという印象がある。
敢えて言い切ってしまうとミュージシャンは人に聴いてもらう、観てもらう事が出来てこそ成立するものだ。
"別に誰かの為にやってるわけじゃ無い"と言ってそのような事を意識していない人達もいるが、正直そういうミュージシャンはあまり魅力的では無い。
別に人に観てもらう為にトレンドを追ったり本筋と違う事をやったりする事を肯定しているのでは無く、自分自身をどう世の中に発信していくか、自分自身をどう世の中に魅せていくかという事を考える事がミュージシャンにとって何よりも大事だと感じるのだ。
松山氏がUndead corporationをバンド化させた際にメイクをしようと思ったのもこの"魅せ方"の面からだ。
ゾンビメイクをしたり、スーツや作業服を着た方が"Undead corporation(ゾンビ会社)"というコンセプトが伝わりやすいと思ったからだと以前語っていた。
まあ別に"売る"って事に自信持ってるかって言ったら難しいし、作るものは売れるかどうかは気にせずに好きなように作りたい。"こう作ったら売れる"とか俺にはわからないからね。でもその好きなものを作っちゃったら"どうしたら売れるだろう?"って事は一生懸命考えるようにしてる。
ミュージシャンは自分の演りたい事を演り、作りたいものを作るべきだ。それが世間のトレンドと真逆の事であろうとも、自分の根源に忠実に作られたものはどんな形であれ絶対に魅力的であるはずだ。
そしてその魅力をどうやって人に伝え、共有していくかを考え続ける事がミュージシャンがミュージシャンを続けていく為に最も大切な事であるように思う。
松山氏の考えは決して収益を優先させたような考えではなく、"どうやって自分の音楽を世に伝えるか"という"音楽ありき"の考え方だ。
ただ人気が欲しい、お金が欲しいのであればそれを音楽でやる必要はないし、もっとそれに適した別の分野があるだろう。
音楽というのは自分自身が作りたいもの、演りたい事があって初めて成立するものだ。
第5章で松山氏が語っていたように、"自分自身が興奮できるか"が音楽を作る上での一番大事な要素であると思う。
そしてその興奮を人に伝え、人と共有することがミュージシャンの仕事であり、その興奮を一緒に感じ、共有したい為に人は音楽にお金を払うのだと思う。
松山氏はただただ曲を作り続けるという事だけでなく、作った曲を"どう人に伝えていくか"という事を考えるプロデューサー的視点も持ち合わせている。
彼のこのプロデューサー的視点には自分も大いに影響を受けているし、彼と出会う前の自分に欠けていた事の1つでもある。
"こうすれば人に伝わる"という絶対的なものはこの世に存在しないと思うが、それを模索し、考え続ける事に意味があるように思う。
そのような事について松山氏と自分はよく話し合い、意見交換をしている。
今後も松山氏と共に自分自身も模索していく事だろう。
最終章 これからの事について
世の中が色々と大変な事になってしまって自分の周りでもその影響が出始めてから、よく松山氏とこれからの活動について話している。
松山氏は音楽業界の今とこれからを最近よく考えていると話す。
ここ数年で音楽自体が無料化していってる流れってあったじゃん?それはもう決定的だったと思うんだけど今回の事で一気にトドメを刺された感じはあるね。例えばCDとかってもう世界的に見たら"オワコン"になってるけど日本ではまだそこそこ需要はあったと思うんだよ。でも今回の件でいよいよ終わってしまうんだろうなって感じてる。
やはりCDというアーティストにとってほぼ唯一と言える"音をパッケージングした"物理的な商品が売れなくなるというのは、気持ち的な面でも収入的な面でもかなり痛い。
CDというものは"音楽"を物理的に手に取れる喜びのある唯一の物であったし、何よりも自分の参加した音楽をこの世に残せたんだという証になっていた。
そんなCDというものがいよいよこの世から無くなってしまうのは寂しい気持ちもあるが、そろそろ本腰を入れて次のステージに行かなくてはいけないと自分も松山氏も感じてる。
まあ当たり前だけど音楽はこれからはストリーミングとかYouTubeで聴くしかないものになっていくと思うよ。1つ1つは小さいかもしれないけどそれだってアーティストにとって収益にはなるしね。あとは配信での投げ銭ライブとかクラウドファンディングとか嫌う人もいるけど俺は全然ありだと思ってる。逆にCDとかみたいな物理メディアでアーティストが収益を得るのは音楽の歴史からしたら特別な時代だったんじゃないかと思ってるんだよ。クラシックの時代とかって貴族とか教会みたいなパトロンが作曲家にお金を払って活動させてあげてたわけでさ。それで教会の為に宗教音楽作ったり貴族のサロンの為に演奏したりしてたんだよね。だから音楽そのものに金銭価値が付くというよりは音楽活動をパトロンが金銭的に支えるって形だったわけだけどそこに戻ってんのかなって俺は思ってる。
これからの時代はただ曲が好きで音源を買うという事はなく、その人の活動そのものや、人間性など全てを含めて"ファン"になってもらい、そのファンから色々な形の収益で支援してもらい、活動を支えてもらうというある意味で"ミュージシャンの真価"が問われる時代だと松山氏は語っていた。
だからこそアーティストは常にネットで自分の活動の一つ一つを様々な形でアピールしていかないといけない。この記事での発信もその一つだ。
良い事なのか悪い事なのかは分からないが、もはやネットでの発信が無いというのはそのアーティストが"存在していない"と思われてもおかしくはない。
もうネットが好きとか嫌いとか言ってられないよね、、昔はCD作って雑誌とかの紙媒体で宣伝したりCDショップでデカく展開してもらってそこから人気出てライブの集客してみたいな流れが主流だったけど今もうそれが全部無くなってしまいそうになってるじゃん?生のライブが完全に消えるって事は絶対に無いと思うけどそういうのとは別なネットでの発信の仕方が本当に重要になっていると思う。
例えば前回の激人探訪で取り上げた道元氏などとは真逆な考え方であると松山氏も語っていたが、彼はバンドのリーダーでもあるのでバンドの存続に関わるこのような問題は常に考えなければいけない立場だ。
実際、この激人探訪も自分の周りのアーティスト達の抱える問題や、考えている事、人間性そのものをnoteというネット上のプラットフォームを通して伝えたいと思って発信をしている。
今までよく知らないかったけれどその人の色々な事実を知る事でその人のファンになったり、今まで知っていた人はより一層深くその人のファンになってもらえたらと思ってやっている事で、言ってしまえば自分自身と取り上げるゲストをネットを使ってプロモーションする手段とも言える。
松山氏自身は今後の自分自身の活動や露出の仕方をどのような形で行おうと考えているのだろうか?
まあ基本的に作曲家だから変わらないっちゃ変わらないんだけどね(笑)でも前だったら完成したものを見せる時にだけ発信するって形だったけど、これからは制作の過程とかを見せていくのもエンターテインメントの一つになるのかなって考えてる。曲が出来るまでのストーリーが見えるのも面白いのかなって。でも基本の線は変わらないと思う。
今まで、曲というものは完成されたものを聴くだけの楽しみ方だったがこれからはそれが変わってくるかもしれない。
作曲の過程で感じる興奮やワクワク感などは作っている本人にしか感じられない事であったが、これからはその楽しい過程を見せてファンと共有していくことも可能になるかもしれないのだ。
それを思うと、これからより本格的にやってくるだろうネット社会だって悪くないと思える。
その過程を見た人たちが"作曲って面白そうだな"と思って自分でも作曲をするようになる事だってあるだろうし、その過程を見た他のアーティストが何かしらのインスピレーションを受け取り、次の作品に活かすといった事が起こればシーンの活性化にも大いに繋がるだろう。
ネットというもの自体はとても便利で最高なツールだ。それをいかに自分の音楽がしっかりと人に行き渡るように上手く使えるかが大事で、ネット社会になって物理的な物としての音楽は消えるかもしれないが、音楽そのものは絶対に無くならない。
これからどんなに音楽業界が変わってもきっと松山氏は音楽を作り続けるだろう。今回話を聞いてみて、彼がいかに生粋の作曲家であるかという事が改めてわかった。
子供の頃から俺、モノ作りが好きなんだよ。図工とかそういうの好きだったし。それで子供って"これはよく出来たっ!"って自分で感じられるものって親とか友達とかに見せたいって思うじゃん?俺にとって作曲とか音楽活動ってそれと同じなんだよ。
どんなに時代が変わっても彼のこの作曲を楽しむスタンスは変わらないのだろうと思う。
音楽を生み出す楽しさは何にも代え難いもので、松山氏にとって作曲は子供がインスピレーション赴くままに絵を描いたり、工作するのと同じくらいワクワクする事で、同時に彼自身にとって自然な事であるのだと思う。
そんな彼のモノ作りに自分は今後も関わっていきたいと思っている。単純に自分も彼の作る曲のファンでもあるからだ。
松山氏と共にこの混沌とした時代に作り手も聴き手も"興奮できる音楽"を提供し、人々の心に何かしらのポジティブな影響を与える事が出来たらと思っている。
今後とも彼の動向には目を離さないで欲しい。
あとがき
今回の記事を書くのは割と大変だった。
20000字近くの文章を書くのは楽しいながら大変な作業なのは当たり前だが、松山氏の自身の作曲に対する考え方や音楽の捉え方はとても感覚的で、本人が中々言葉に出来ないという事が話を聞いている中で結構あったのだ。
前回の激人探訪で話を聞いた道元氏に"次は松山氏で書こうと思っている"と話したら「あの人、口下手だからなー笑」と笑っていたが"成る程こういう事か"と納得した(笑)
もちろん、普段から松山氏と音楽や作曲について話す事はあったが、松山氏自身このように改まって"作曲について話してくれ"と言われると中々具体的に言い表せない事も多かったのだろう。
それはやはり松山氏にとって作曲というものが特別な事でなく、自然に自分の中に溶け込んだ習慣的なものであることを表しているように思う。
自分はあまり人を"天才"と呼ぶのは好きではないが、松山氏はやはり"天才"的な人間だと話を聞いて感じた。
言ってしまえば"天才"とは"自分に一番向いてる仕事を見つけ、それを実際にやっている人"の事を指すのだと思っているが、松山氏はそういう人間であると思う。
彼にとって作曲する事は特別に何か意味のある事ではなく、好きでやっている事であり、仕事であり、楽しみでもある。作曲に限らずこういう仕事を見つけられる人は世の中に極めて少なく、稀有な存在だ。
Undead corporationの"強烈でエクストリームなメタルコアサウンドにhoobastankやlostprophets世代のようなキャッチーなメロディが乗る"というありそうで実は無い音楽性も計算して出来たものではなく、自分の好きな音楽を作ったらそうなったというだけの話だと松山氏は言う。
このように、好きにやっただけでとんでもないクオリティのものを生み出してしまうのはやはり"天才肌"であると思うし、改めて"凄いな、、"と感心してしまう。
また、特に具体的な話は聞かなかったのだが、一番最初にピアノを始めるきっかけとなった妹であるマリコさんからも何かしらの影響を受けてるのだろうなと今ふと感じた。
自分自身も兄(双子)がギターを始めてそれを追うようにドラムを始め、以前は一緒にバンドをやったりもしていたので具体的にどの部分でなのかは説明できないが、恐らくどこかしらで音楽的影響は受けていると思う。
松山氏も東方時代の作品のいくつかをマリコさんと制作しているので自分と同じようにどこかしらでマリコさんからの影響があるのでは?と思ったのだ。
趣味が合う合わないは別として、やはり兄弟間で音楽を分かち合えたりお互い切磋琢磨していけるのは刺激的な環境であったし、自分の今の音楽性を形成した一つの要因になっていると思う。それは松山氏も同じなのでは?と思うのだ。
今思うとそういった部分でも松山氏とは共通点があるし、縁を感じるなと改めて思った。
また彼から曲が届く日を楽しみにしている。
「これ、マジで俺叩くのかよ?!」と色々な意味で驚愕する日を(笑)
2020/5/9 YU-TO SUGANO
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