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激人探訪 Vol.7 仁耶 "ディフェンスからフォワードへ"

どうも皆さん、YU-TOです。

この激人探訪も早いもので、今回が7回目の投稿となる。

毎回、記事が完成する度に感じることは、"自分はこんなにもレベルの高いミュージシャン達に囲まれているのか"という事だ。

本当に何の疑いや驕りのようなものも無くそう感じるし、そんなミュージシャン達と一緒に音楽が出来ている事は自分の誇りでもある。

そんな感謝の念を抱きつつ、7回目の激人探訪をお送りしていこうと思う。

今回のゲストはUndead Corporationで共にプレイし、Unlucky Morpheusのギタリストでもある仁耶氏だ。

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この激人探訪をスタートさせて以来、初の自分より年下世代のゲストとなる。

仁耶氏と自分は"一回り"という程では全くないが、世間一般で"世代が違う"と捉えられるくらいの年の差はある。

実は、仁耶氏は自分がバンドを本格的に始めて以来、初めて一緒にプレイした年下のミュージシャンでもあり、ずっと年上、それも7つ以上年上のミュージシャン達と一緒にプレイしてきた自分にとっては、とても新鮮に感じる人物でもあった。

ただ、一緒にプレイしつつも恐らく自分とは通ってきた道が全く違うプレイヤーである事は心の何処かで常に感じていたし、その"違い"をいつかハッキリと知りたいと思っていた。

また、近年における仁耶氏の精力的な活動と活躍は目覚ましいもので、その辺りの話もじっくり聞いてみたいと心のどこかでうっすら感じてもいた。

そして後ほど詳しく述べるが、少し前から自分は彼に"ある変化"を感じていて、今回はそれも掘り下げてみたくて仁耶氏にオファーをさせてもらったのだが、結論から言うと"ぶっ飛ばされた"。

話を聞いていて、もちろん世代の違いを感じる事は多々あったが、"ああ、こういう風に自分より下の世代のミュージシャンは育って行くのだな"と感じたし、同時に、彼が日本を代表するギタリストになるのは時間の問題だろうとも感じた。

何故、自分がこんな風に思ったのかは記事を読んでもらえればわかると思う。

普段、あまりメディアでは取り上げられない彼の言葉と思考、そして成長を是非感じ取ってもらいたい。

前置きはこのくらいにして、早速始めていこう。

第1章 "カノンロック"との出会い

この激人探訪では様々なミュージシャンの楽器を手にした最初期の話を聞いてきたが、その中でも仁耶氏はかなり独特だ。

いや、これが"独特"と感じてしまうのは恐らく俗に言う"ジェネレーションギャップ"というやつで、むしろ現代においては仁耶氏のようなプレイヤー最初期を過ごす人の方が多いのだろう。

仁耶氏がギターを始めたきっかけは、"幼馴染への憧れ"からであった。

本当に小学生の時とかは音楽に全く興味なかったんですけど、、でも中1の時に幼馴染の友達がギターを始めたんですよ。もともと彼はスポーツも出来て、頭も良くて、顔もカッコ良いみたいな凄い憧れの対象になるような友達だったんです。そんな彼がギターを始めてるのを見て、"うわぁカッコイイ"ってなって自分もこんな風になりたいって思ってギターを始めたんです。

そんな身近な友人への憧れから始めたギターであったが、特にこの時の仁耶氏は誰か特定のアーティストに傾倒していたわけではなかったと言う。

もちろん音楽が嫌いという訳ではなかったんですけど、、でもいわゆる流行りの音楽とかにもそこまで詳しい訳じゃなかったですし、本当に自分がギターを演るなんて思ってもみなかったんですよ。ギター始めてからはその友達が弾いてたのがジャパニーズロック、例えばBUMP OF CHICKENとかだったんで、本当の僕の最初はそこら辺の音楽だったのかもしれないですけどね。

この時の仁耶氏は"音楽が好き"というよりは、"その幼馴染のようになりたい"というシンプルな憧れだけでギターを手にしていたようだ。

彼が語るジャパニーズロックも、基本的にその幼馴染が弾いていたからというだけで、本当の意味で仁耶氏を形成する影響では無いように思われる。

しかし、このすぐ後に仁耶氏のギターへの意欲を爆発的に拡大させる出会いが訪れる。

ギターを始めて1ヶ月以内の話なんですけど、、自分にとって超重要な曲と出会うんです。それがカノンロックっていう曲で、台湾のアマチュアギタリストがパッへルベルの"カノン"をギターインストでロックアレンジしたっていう動画をYouTubeに上げてたんですよ。それが凄い衝撃的で、、"これ弾けるようになりたい"って思ったんです。

仁耶氏の語る"カノンロック"だが、今だに映像がYouTubeに残っている。

画質などには、やはり時代を感じさせる古さがあるが(笑)プレイ、アレンジともに素晴らしいの一言に尽きる。

基本、自分の演る楽器に対するモチベーションを上げてくれるのは、メディアに登場するような華やかなロックミュージシャンである事がほとんどであると思う。

しかし、仁耶氏にとってのそれは、YouTubeに演奏動画を投稿して人々の注目を集める、言ってしまえば"凄い素人"であった。

本当に当時は台湾のJerryCっていうハンドルネームの人っていう情報しかわからなかったんです。いわゆる今で言うとこの"弾いてみた動画"ですね。でもそのアレンジが余りにも衝撃的で当時その動画がめちゃくちゃ再生されてたんです。だから何か、当時の日本の初心者ギタリスト界隈では"カノンロックが弾けたら一人前"みたいな暗黙の了解のようなものがあったんですよ。やっぱ"早く一人前になりたい"って思うじゃないですか、下手だから(笑)だから一年掛けて練習して通して弾けるようになったんです。

現代において、楽器初心者にインスピレーションを与える存在は生のライブで勝負するようなロックミュージシャンだけではなく、ネットの世界で活躍する例えば"YouTuber"と呼ばれるようなミュージシャン達も多くの人達に影響を与える存在になっている。

まだこの時は、そこまでYouTubeが発展しているような時代でもなかった気がするが、もうこの時からすでに仁耶氏はYouTubeやネットを活用して様々な情報やインスピレーションを得ていたりしていたと語っていた。

そのようなことから、仁耶氏はいわゆる"ネット世代"と呼ばれる世代の最初に位置するプレイヤーであり、現代において必須であるネットの活用をもうギターを始めた直後からしていたということになる。

そして、そのネットの活用は、様々な方向から仁耶氏のギターの上達に活かされることになる。

第2章 ネットに育てられたギタリスト

以前から自分は仁耶氏に対し、"ライブで育てられたプレイヤー"というイメージが無かった。

もちろんテクニック的に問題があるという事ではなく、もっと抽象的な事からくるイメージで、それを本人に伝えた事もなかったし、伝えようともしていなかった。

今回、そんなイメージを持っていた事を本人に伝えてみた。

もう、全くその通りです(笑)僕が初めて人前で弾いた経験って多分インターネットなんですよ。当時はブログが流行ってた時代で、ひたすら自分のブログに"今日はここが弾けるようになった"とか"ここが難しい"とかいう練習日記を付けてて、録音した音源と一緒に上げてたんです。よくよく調べてみたら、もうギター初めて1ヶ月とかで家で録った音源を上げてて。めちゃくちゃ下手ですけどね(笑)それが外の世界に発信した初めての活動でしたね。

この話を聞いた時、少しながらもカルチャーショックを受けた。

自分がドラムを始めて1ヶ月の時など、それを誰かに向けて発信するなど考えもしなかった。

まだインターネットなど見るだけの世界であったし、それの活用の仕方なども知らなかったので、せいぜい家でドコドコ練習用ドラムをCDに合わせて叩いて、自己満足に浸るだけの事しかしていなかった。

また、仁耶氏は単に"発信"という使い方だけでなく、ライブ的なネットの使い方もこの時期からしていたという。

"ブログ仲間"みたいな人達が当時は結構いたんですよ。それで"カノンロックを弾けるようになりたい!"っていう人達が集まって、それを軸にして色々なギターの話をするコミュニティが出来てたんです。そこからしばらく経って"スティッカム"っていう、今でいうZOOMみたいな複数人でビデオ通話ができるサービスが出来て、それを使ってみんなでギターを練習しようっていうコミュニティも新しく出来たんですね。本当に毎日そこに入り浸ってずーっとギター弾いてました。だから毎日そこで人に弾いてる姿を見られてたんですよね。それは本当に励みになったし、やっぱり下手でも人に見られるからには恥ずかしいプレイは出来ないって思うじゃないですか?(笑)それで上手くなっていったのかなって思いますね。

今でこそ、ご時世的な問題で広まったビデオ通話だが、この頃はまだ世の中にそんなには広まっていなかったように思う。

そこにいち早く目をつけ、自身の上達の為に活用していた仁耶氏の先見性と、ギター歴数ヶ月という段階で、そのようなコミュニティに飛び込んでいく積極性には驚かされる。

いくらネット上とはいえ、まだ完成されていない自分のプレイを人に見せるのはそれなりの勇気がいる事だ。

そこで尻込みをして、誰でも発信ができる現代の利点を活かし損なってしまっている若者達も沢山いるように思う。

だが、昔のプレイヤー達がジャムセッションに繰り出して自身の腕を磨いたように、本当に上手くなりたいのならば、常に人に自分のプレイを見てもらい、時には自分の足りないところを指摘してもらって、腕を上げていく事が必要だ。

インターネットという存在は時にプレイヤーにとってネガティブな影響を及ぼす事もあるが、仁耶氏はインターネットの持つポジティブな部分を存分に活用し、自身の腕を磨いていった現代の理想ともいうべきプレイヤーだと感じる。

仁耶氏は、自身のギターとインターネットとの関係をこう断言する。

僕、インターネットがなかったら多分ギター続けてなかったですよ。そもそもインターネットが無かったらカノンロックとの出会いもなかったし、本当に中学時代にちょっと弾いてただけで終わりだったと思います。

恐らく、今後の音楽界で生き残っていくのは仁耶氏のような"その時代の物"を存分に活用出来るプレイヤーだろう。

彼が今、急速に実力を上げているのは、そのような事も理由なのだと思う。

第3章 考えてもなかった"音楽の道"

インターネットを駆使して情報を収集し、その中でPaul Gilbert、Steve Vaiなどの様々なテクニカルギタリストの存在を知り、魅せられていったと語る仁耶氏だが、生演奏でのライブも徐々に演りだす事になる。

中3の時ですかね、、楽器屋でギター試奏してたら"君上手いね"って話掛けられて。その話かけてきた彼はベーシストだったんですけど、彼と仲良くなって2人でライブ演りました。ドラムとかは自分で打ち込んで、地元の宇都宮のライブハウスでひたすらギターインストを演るっていうライブをしてましたね。曲はカバーと自分の曲が半々くらいだったかな。その時からMTR買って曲作りにはトライしてましたね。

そのユニットでのライブは年に数回演るというくらいで、この頃の活動も、まだメインはネット上であったと仁耶氏は話す。

"人前で演奏する"っていうのはやっぱり僕は完全にインターネットが主戦場でした。いわゆるバンドマンとして地元のライブハウスでライブを日々演るっていうわけでは全然なかったですし、、そもそも田舎なんでバンドメンバーが集まらないんですよ。僕はハードな音楽が演りたかったけど、そういう事やりたいって人がいないんですよね、全然。それで考えた結果、"1人で演ればいいんじゃね?"って(笑)だからもうひたすら練習して、その成果をインターネット上で披露してって感じでしたね。

この頃の仁耶氏は、インターネットは外の活動に繋げる為のツールではなく、メインの活動の場として捉えていて、生のライブというものに重点を置いてはいなかったようだ。

そのような事から当時の仁耶氏は、将来音楽の道に進む事など一切考えていなかったと言う。

高校の次のステップとして音楽をやろうなんて全く1mmも思ってなかったですね。もう高校生の頃にインターネットを使って音楽を発信する術を熟知していたんで、、バンドをやってそれを軸に生きていかなきゃ音楽は発信出来ないって考えもあると思うんですけど、全然そうじゃない事に僕は中学高校で気づいてしまったんです。音楽を発信するだけだったら仕事にする必要は全然無いし、家で好きな時にギター弾いて動画撮って発信すれば音楽活動になるし、当時はそれで良いと思ってたんです。

一部のお堅い"現場至上主義"の老舗バンドマンの方々からは"何を言ってるんだこいつは"とお叱りの声が聞こえてきそうな姿勢であるが(笑)

しかし、これは特に今の世代のミュージシャンが意識すべき活動の仕方でもある事は確かだ。

もちろん、仁耶氏は当時もライブを演る事自体は楽しかったとも語っていたし、ネット上以外での活動を全くやっていなかったというわけではなかったが、そこに人生を賭けて取り組もうとは、この時点では全く考えられなかったと語っていた。

言ってしまえば音楽の道って"いばらの道"じゃないですか?(笑)僕はそのいばらの道を進む勇気が無くて。なんかその時は、楽な会社に入ってのんびり可もなく不可もなく過ごしていくのが自分にとってのベストだと思ってたんですよ。音楽って社会人になっても絶対に出来ない訳ではないじゃないですか?別に遊びでは音楽出来るしそれで良いって思ってて。もちろん、音楽は好きだったんですけど、自分は音楽第一には生きられない人間だとその時は思ってましたね。

この時の仁耶氏は、まだどこか無気力で、将来に希望を持とうとしない"楽に生きれりゃそれで良い"と思って生きている普通の若者であったという印象だ。

しかし、この後の仁耶氏の人生と音楽に対する価値観は、うっすらと段階的にではあるが、色濃く確実に"プロフェッショナル"なものへと変貌していく。

その活動のほとんどをネット上で解決してしまっていた若いミュージシャンは、段々と"現場"を見据え、何千何万という人達の前でギターを弾く本物のミュージシャンに成長していく事になる。

第4章 Unlucky Morpheusへの参加

現在の仁耶氏のメインとなる活動はやはりUnlucky Morpheusであろう。

メロディックスピードメタルを基調としながらも、壮大なオーケストラアレンジと、Fuki氏の抜群の歌唱力で表現される美麗メロディを生かしたオリジナリティ溢れる楽曲で多くのファンを獲得している日本を代表するメタルバンドの1つだ。

仁耶氏がこのUnlucky Morpheusに参加したのは高校在学中の事であった。

高2の終わり頃くらいかな?紫煉さんが"うちで弾かない?"って連絡くれたんですよ。当時サポートで参加してたグループがあって、1回あんきも(注:Unlucky Morpheusの略名)と対バンしてたんですよね。その時に紫煉さんが僕の事を観ててくれてて、何か気に入ってもらえてたらしかったんです。高1くらいからあんきもは知っていたので、まさか声を掛けてもらえるとはみたいな気持ちでした。何だろ、、本当に"憧れの人から声を掛けてもらった"みたいなニュアンスでしたね。

仁耶氏の話によると、この対バンする前から"若いのに凄い奴がいる"という噂を紫煉氏は耳にしていたらしい。

当時からネットを駆使し、誰よりも貪欲に腕を磨いていた仁耶氏はもう高校生の時からかなりのテクニックを身につけていたのだろう。

そこから、仁耶氏はUnlucky Morpheusのライブメンバーとして参加し、より本格的な外での音楽活動がスタートした事で違った世界が見えてきたという。

これで思う存分、練習の成果が発揮出来るぞというか、、まあ今まではインターネット上で1人で演ってた訳ですから(笑)ライブは勿論、そこまで大きい会場ってわけではなかったですけど毎回パンパンでした。やっぱり自分のギターをリアルタイムで、生でたくさんの人に観てもらうっていう経験はなかなか出来るもんじゃなかったんでやっぱり嬉しかったですね。もちろんライブ未経験ってわけではなかったんですけど、その時にライブハウスって劇的に熱いって事を初めて体感したんですよ。自分の人生観というか、常識が覆されたみたいな経験でした。汗だくでギターを弾くなんてインターネット上でギター弾いてるだけじゃ出来ないので(笑)それは衝撃的でしたね。

この時、仁耶氏は初めてライブというものの楽しさを知ったという。

それはネットでの活動と比べてどちらが良いかということではなく、そこで初めて"どちらの旨味も知れた"という事だと語っていた。

しかし、この時はまだ将来的に音楽を仕事にしようとは考えられなかったようだ。

そんな気持ち良い経験が2、3回あった程度でそれはギャンブルで言う"ビギナーズラック"みたいなもので、"こんなの別にたまたまだよ"としか思えなかったんです。高校生の頃は全然それで気持ちが揺らぐって事はなかったですね。

そこから仁耶氏はUnlucky Morpheusでの活動と並行しつつ、就職を見据えて大学に進学する。

この大学在学中に、少しずつ仁耶氏の中で気持ちの変化が起き始める。

この頃から更に大きな会場で演るようになりましたし、あと自分のポジションがちょっとずつ変化していくって経験もして。最初はライブでバッキングを弾いてれば良いってポジションだったのが、段々と自分のスキルの向上に合わせて色々とあんきも内での役割も増えていきましたし、あんきもに限らずそのタイミングでそれこそUndead Corporationとかにも誘われたりとかしたんですよ。言い方を変えれば自分を頼ってくれる人が段々と出て来たんです。中高の時は自分が発信するだけで終わってたけど、ギターを弾く事を頼まれる、自分を頼ってくれる人がいるって事が起こって。それで"これ人の役に立ててるんじゃないかな?"って気持ちがちょっと出てきたんです。やっぱり役に立ってる事だったらやりたいし、それでちょっとずつ気持ちが固まっていったって感じですね。

仁耶氏にとってUnlucky Morpheusとは、本格的にネットの外にある音楽の世界を見せてくれた最初の場であったのだと思う。

ネット上で培った情報収集能力を活かし、そこで得た知識を実際に応用させる術を得た仁耶氏だからこそ、急速に"周りが放っておかない"存在になれたのだろう。

就職活動をした事も一瞬あったんですけど、、逆にもうそっちの方が馴染めなくて。何かもっと自分を出していきたいと思うようになったんです。自分が本当に一生懸命になれる事ってやっぱり音楽なんじゃないかなって、ふんわり思ってたら結果こうなったみたいな。でも多分、大学の時も自分発信でずっとインターネットでギター弾いてたらこういう気持ちにはならなかったと思います。やっぱり"拾ってくれる人"がいるっていうのは大きかったかなって思いますね。

この激人探訪を書くことによって自分が得られる最大の利益は、音楽には人生を変える力があるということをリアルに体感出来ることだ。

"将来は楽な道を生きれれば良い"と考えていた若者が、音楽を通して人の役に立つ喜びを知り、それを追求する人生を選ぶようになる。

これを"音楽の力"と呼ばずして何と呼ぶのだろうか?

決して大袈裟なことが起こったというわけではないが、ゆっくりだが確実に、その人の人生をより濃く、より良いものにしていくのが音楽であり、それが音楽がこの世に存在し続ける理由なのだと思う。

その音楽の力を享受した仁耶氏だが、この後、彼に更なる成長をもたらす出来事が起こり、その出来事は彼を"攻め"のギタリストに押し上げることになる。

第5章 ディフェンスからフォワードへ

2017年、Unlucky Morpheusにある変化が訪れる。

リーダー&リードギタリストでもある紫煉氏の腱鞘炎が悪化した為、治療の為に療養期間を設ける事が必要となり、今まで通りのリードプレイが出来なくなってしまったのだ。

その状態でバンドを続ける為には、どうしても仁耶氏がリードギタリスト的役割に回る必要が出てきた。

それまでもちょいちょいソロは弾いていましたけど、そこからは爆発的に自分のソロの割合が増えましたね。そもそも紫煉さんがギターすら弾かない曲も出てくるくらいの状況だったので、、。

今までのUnlucky Morpheusはあくまでも紫煉氏がメインのギタリストで、仁耶氏はあくまでもそれをサポートする為の立場であった。

それがこの一件をきっかけに、本格的に仁耶氏がUnlucky Morpheusのギタリストとしての看板を背負っていく事になった。

やっぱり当然、意識は変わってきましたね。ネガティブな言い方をしてしまうと、今までの自分は紫煉さんのギターを立てる為に後ろで無難に弾くギタリストであるべきだって思ってたんですよ。変な言い方ですけど"悪目立ちしない方が良いかな"とも思ってましたし、、、まあそこまで明確には思ってないにせよ、そういう意識がどこかにあって。でもその事がきっかけでディフェンスからフォワードに回らなきゃいけないって心境になって、自分が得点を入れるポジションにならなきゃなって思うようになったんです。そこで割と"自分はUnlucky Morpheusのギタリスト"なんだって意識が強く出てくるようになりました。

もちろん、紫煉氏の怪我と療養はバンドにとって痛手にはなったであろうが、そこで活動を止めるという選択肢はUnlucky Morpheusには無かった。

もちろん痛手ではあったんですけど、紫煉さんも自身の怪我をなるべくプラスの方向に変えたいと思っていたんです。このタイミングで僕を前に出すことによって、あんきもの総合力の強化に繋げようとしてくれたのも感じましたし、今こういう形になってもバンドを続けられてるんで、結果的に上手くいったんじゃないのかなって思いますけどね。

そのような痛手となる出来事があっても、Unlucky Morpheusは精力的な活動を続けられている。

それは自身の重い怪我があっても、バンドを存続させるという強い意志を持ち、続けるための策を練った紫煉氏の強い精神力があってのものだとも思うが、そこには仁耶氏の努力と意識の変化の功労も確実にあるだろう。

まあ曲を覚えるとか早弾きをするとかのテクニック面に関してはそこまで激変したわけではないと思うんですけど、メンタル面が凄い変わって。何か自信を持たなきゃいけなくなったって感じます。それまではやっぱり紫煉さんがリードギタリストとして君臨していたので、今思うとあまり僕の自信とか関係ないって感じてたなって思うんですよ。でも紫煉さんっていう盾がいなくなって、自分が矢面に立って敵と戦うみたいな必要が出てきたわけです(笑)もちろん今までだってそうだったんですけど、自分のギターが"あんきものギター"として観られるという意識というか、自分が悪いプレイをしたら"あんきものギターって良くない"って思われてしまうというか、そういう意識はより強くなりましたね。当然それに備える練習とか準備とかもしましたし、ギタープレイも振る舞いも大きくその一件で変わったかなって思いますね。"仁耶はあんきものギターだ"って意識が自分の中でも出てきたんです。そしたらやっぱり甘えてられないかなって思って。感覚的なものだからあまりはっきりは言えないですけど、"攻めなきゃいけない" "ゴールを決めなきゃいけない"っていう意識が出てきたのかなって思います。

この一件は、仁耶氏へ大きな成長と意識改革をもたらした、彼にとってターニングポイントとなる出来事であったのだと思う。

そのような状況にも折れずに果敢に立ち向かい、それを克服した仁耶氏はもう一流のミュージシャンの仲間入りをしたと言っても過言ではないだろう。

単にテクニック的にどうすべきかという事だけではなく、自身のバンド内での位置や、周りからの見え方を客観的に判断し、そこに追いつく為の努力が出来るという彼の姿勢は年下ながらも本当にリスペクトができる姿勢だ。

どうしても打たれ弱く、自分の殻に閉じこもりがちという印象があるのが"ネット世代"のミュージシャン達だ。

しかし、仁耶氏のようにネットだけではなく、しっかりと現場でも様々なことを学べるミュージシャンもいるという事実は、自分達やその上の世代にとっての脅威でもあり、また同時に心強くも感じる。

仁耶氏の成長は、今後のUnlucky Morpheusのさらなる飛躍に貢献する事だろう。

第6章 "一線級"のミュージシャン達との活動

自身のバンド活動と並行して、仁耶氏は様々なアーティストのサポートギタリストとしても活動している。

中には1万人近い規模の会場で、50曲ほど演奏するという技術面だけでなく、精神面の強靭さも要求される現場もあり、そのようなサポート活動は仁耶氏にどのような影響を与えているのだろうか?

"心技体"って言葉があるじゃないですか?心と技術と体、その3つのうちの1つでも欠けたら自分のパフォーマンスが100%発揮出来ないような現場でした。数曲演る程度だったら"体"の部分は多少欠けていても"心"と"技"の部分で乗り切れると思うんですけど、何せ曲数が多いと自分が健康で丈夫である必要があるし、やっぱり大きな会場で演るわけだから不安もある。そこで如何に自分の心を崩さず、いつも通り弾くかっていうところは、やっぱりメンタルに直結するところで。本当に三位一体となって整えていかなきゃ、まともなプレイが出来ないなっていうのはそこで凄い感じましたね。

当たり前の話だが、ただ楽器を弾くだけがミュージシャンの仕事ではない。

膨大な曲数を覚えないといけない場合もあるし、サポートという立場ならば尚更だが、自分のプレイを披露するというだけではなく、クライアントの要求に答えていくという技術も必要になる。

また、仁耶氏はその現場で、一線級のスタジオミュージシャン達と仕事を共にする中で学んだことも多々あると言う。

本当に日常的に日本武道館とか西武ドームとかで演ってる人達なので、まあとにかくレベルが高いわけですよ(苦笑)現場対応力だったりとかバイタリティとか、、本当にさっき言った心技体が異次元の人達で。自分が思っていた"人の限界値"を塗り替えてくれたと言うか、"人の限界ってもっと上にあったんだ"みたいに思いましたね。自分の思ってた限界値って全然低くて、"もっと人間って上にいけるじゃん"ってその人達を見て感じました。

同じプロフェッショナルと言ってもバンドミュージシャンとスタジオミュージシャンでは求められる技術が全く違う。

バンドミュージシャンはどちらかと言うと"いかに自身をプロデュース出来るか"という技術が必要となるが、スタジオミュージシャンは"いかに要求に応えられるか"という技術が必要となる。

例えば"こうして欲しい”って言われた時にすぐにその場でイメージを形に出来る力であったり、あとは体力部分も凄くて。体力そのものが凄いって部分とメンタルで体力を補ってる部分と両方あると思うんですけど、やっぱり場数踏んでる人達の感じなんですよね。

仁耶氏は今までとは全く違う毛色のミュージシャン達の中に放りこまれ、揉まれながらも数々の事を学んだと話す。

結果的にその現場での仕事は上手くいき、固定メンバーとして継続的に呼ばれるようになっていった仁耶氏であったが、そこには仁耶氏ならではとも言える"調べる力"の支えがあった。

最初は本当にそういう現場に行くのが初めてだったので、知らない事もいっぱいあって、、。界隈では常識的な事も僕は知らなかったんですけど、とにかくもう取り繕って、、(笑)やっぱ"出来ません"とは言えないんで、とにかくカバーしてカバーして自分に無いものを集めて集めてってやってたら、ありがたい事にその次も呼ばれたって事が繰り返されたって感じなんです。当然向こうは"出来るでしょ?"っていう感じで要求してくるので、わからなくても"出来ます"って言って、もう後ろで必死になって調べて練習したりだとか、足りない機材があったら買ったりだとかして足りないピースを埋めていきました。もう特に初回は明らかに逆境だったんですけど、でも人間って逆境を乗り越える時に一番成長するじゃないですか?筋肉もそうですけど(笑)その逆境を乗り越えようとした努力が良い結果になったのかなって思いますね。

自分に無いものを求められたら調べて自分のものにすれば良い。無い事自体が問題なのではなく、大事なのはその時に自分がどういう対応をするかだ。

このような"足りないピースを埋めていく"という作業は仁耶氏自身も得意であると語っていたが、そのような知的好奇心に溢れた貪欲さも仁耶氏の特徴の1つであると思う。

演奏の年数を重ねて行くと、自分にあるものの範疇だけで解決させようとしたり、新しい知識を得ることを拒んでしまったりという事が自分にも多々ある。

しかし時には、仁耶氏のように自分自身に無いものを徹底的に埋めていくという行動も必要なのだろう。

そうすれば彼のように、訪れた逆境を自分の血肉にしていく事ができ、自分自身のレベルを何段階も上げていく事が可能になるのかもしれない。

この話を仁耶氏から聞き、"まあそりゃあ成長するわな"と当たり前かつ素直に思った自分がいた。

第7章 自身の持つ"華"の扱い方

様々なサポートの仕事をこなしている仁耶氏だが、このような仕事における人選の選考条件などにはテクニック的な事だけではなく、"ルックスの良さ"も入っている事も少なくない。

女性が大多数を占める客層でのライブでは特にサポートメンバーであれども、そのライブに来ている層の女性から見て、それなりに魅力的に映るルックスのメンバーであったほうが、単純に"エンターテイメント"としてのライブのクオリティは上がる。

同性の自分が言うのも妙な感じだが、仁耶氏のルックスには非常に華がある。

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中性的で整った顔立ちはメイク映えをするし、身長は決して高くはないが、細身な体つきもその中性的な雰囲気をより際立たせている。

自身の"魅せ方"を考慮し、アピールするミュージシャンもいささか過度に感じる程多いが、仁耶氏はそのようなアピールをしているという印象はない。

もう中高の頃から自分のルックスには全く自信が無くて、、。はっきり言ってモテなかったですし、自分のルックスが売りになるなんて当時から全く思って無くて。それで自分が音楽を発表する時に、演奏動画って顔を映さないで手元だけ映しておけば良いじゃないですか?そこだけ映しておけば演奏が良かったら評価してもらえるし、顔を映したら演奏は良くても、それ以外の評価がノイズとして入ってきてしまうような気が当時はしていたんですよ。だから手元だけ映すことによって自分が練習で培ったテクニックだけを評価してもらえる事に安心感を覚えていたんですよね。

大部分の人達が気づいている事だと思うが、音楽において"ルックス"という要素は切っても切り離せない関係にある。

"イケメンじゃないと売れない"や"お前の見た目じゃダメだ"というあまり音楽とは関係ない事で、他人から自身の活動を否定されるような事は自分にもあった。

特にそのような事はネット社会には顕著で、ギターを始めた当初からネットを活用していた仁耶氏はそのような事に人一倍敏感であったのだろう。

僕がやりたいのは音楽であって顔の評価をされたくないってやっぱり思ってましたね。良いって言ってくれる人もいるけど、悪いとも言われたくないし言われる筋合いも無いしみたいな事をずっと思ってて。そもそも自信も無かったですし、そういうのが本当に嫌だったんですよ。

時に"芸能"的な扱いを受け、過剰なくらいに見た目の良さが評価されてしまうのが音楽業界である。

仁耶氏が通ってきた音楽は全くそれとは別次元のもので、音楽やテクニックそのものの良さで勝負しているアーティストに常に影響を受けてきた。

もしも自分のルーツにヴィジュアル系があったら"自分のルックスを売っていこう"っていう気持ちも出てきたと思うんですよ。それこそメイクとかバッチリ自分でやって"俺カッコ良いでしょ?"っていう感じで演れたと思うし、それはそれでミュージシャンとして良い事だと思うんです。でも僕はそもそも入口が違って、、例えばMr BIGとかはルックスもカッコイイですけど、基本みんな楽器のスゴさの方が観られるじゃないですか?僕はそっちに寄り過ぎちゃってた部分があって、ひねくれちゃったのかなって思いますね(笑)

個人的な意見だが、自分は仁耶氏にルックスで勝負を仕掛けるタイプのミュージシャンになって欲しくはない。

というのも、端正な顔立ちで華のある雰囲気を持ちつつも、自身のルックスを売りにしようとせず、自らのミュージシャンシップ一本で勝負しようとする事自体が彼のキャラクターであり、それが"仁耶"というミュージシャンであると思うからだ。

しかし年を重ね、ミュージシャンとして様々な現場や経験を積んできた近年の仁耶氏は、周りからもたらされる見た目の評価も寛大に受け入れられるようになってきたみたいだ。

まあもう今は事情が違うというか、、そもそも音楽ってエンターテインメントの一種であって、楽器の演奏だけを買われて評価してもらってるわけじゃないと思うんです。それこそ自分の見た目だったりだとか立ち振る舞い、言動、、そういうの全て引っくるめて"音楽"っていうエンターテインメントが完成していると思ってるんですね。例えば、すごい良い音楽を作る人でもその人が反社会的な人だったら評価されない場合もあるじゃないですか?だから楽器の演奏だけがエンターテインメントじゃないって段々気づいてくるようになってきて、割とそういう見た目が評価される事も受け入れたというか、、(笑)まあそういう事になるんですかね。でも誉められる事を否定はしないですけど、"それを培ってきた十何年じゃないんだよな"って気持ちにはなっちゃいますけどね。まあ、誉められる限りは悪い気持ちにはならないですけど(苦笑)

この仁耶氏の自身のルックスに対する謙虚さは、決してポーズでは無く、本心からくるものであると話を聞いて感じた。

魅力的な見た目をしていながらも自身はそこに気づいていなかったり、逆にコンプレックスに感じていたりするキャラクター性、、

考えてみれば、これは例えば漫画やアニメの世界では非常に魅力的で、どんな人からも支持されるようなキャラクターが持つ特性であるような気がする。

それを何の嫌味もなく素でやってしまう仁耶氏、、、なかなか心憎い存在ではないか(笑)

第8章 身につけたアーティストとしての貫禄

今年の4月辺りだっただろうか?

Undead Corporation×Hone Your Senseのコラボ曲、"Face The Fate"のMV撮影があった。

そこで久しぶりに仁耶氏と会い、ギターを持っている姿を観たのだが、どこか前とは違った雰囲気が出ているように感じた。

それが冒頭に述べた仁耶氏に感じていた"ある変化"だ。

シンプルに言ってしまうと、ギターを持っている姿に"貫禄"が出ていた。

当たり前の話だが、前章で述べたような単純な見た目の良さとミュージシャンとしてのカッコ良さというのは全く別物だ。

これまでの仁耶氏はルックスの良さとテクニックはもちろんあっても、ミュージシャンとしての"纏った何か"を感じた事は一度もなかった。

しかし、その時久々に見た仁耶氏には確実に"オーラ"のようなものが出ていた。

自分の魅せ方を心得、ある種の余裕さと色気を感じさせる佇まいは、これまでの仁耶氏にはなかったもので、"ああ、色々経験して変わったんだな"とドラムをプレイしながら感じた事を覚えている。

それが自分にとってあまりにも自然と腑に落ちてしまった為、特にその日は何も伝えずに帰ってしまったのだが、よくよく考えると詳しく仁耶氏自身がどう思っているのか聞きたい話ではあった。

うーん、まあ、戦いの中で成長していったってニュアンスだと思うんですけど、、やっぱり"これを間違えたら死ぬ"っていう場面とか結構あるじゃないですか?(笑)今日これを間違えたら自分の音楽人生が終わってしまうみたいな。そういう強いプレッシャーを乗り越えたりする事によって、"余裕"みたいなのが前よりは出てきたのかなって思いますね。まあ自分ごときが何言ってんだって感じですけど(笑)そういう"余裕"みたいなのがオーラっぽく見えるのかな、だったら良いなって感じですかね(笑)

今回、自分が撮影現場で仁耶氏に感じたある種のオーラのようなものは、やはり現場での経験を積んでいかないと絶対に身に付かないものだ。

ギターを始めた当初はネットが主戦場であった仁耶氏だが、近年は"絶対にミスが出来ない"というような緊張感のある現場や、1000人規模以上の会場での演奏などをたくさん経験した。

そんなプロの現場を経験し、独自の努力でその仕事をモノにしていく経験をしていく中で、彼にしか出せないミュージシャンとしてのオーラを自然と身に付けていったのだろう。

やっぱり守備の形だけじゃ得られないものってあって、攻めの形に転じる事で色々なものを得られたなっていうのはあります。そういう"攻め"の経験を色々なところで出来たなとは感じてて。何も無かった頃と比べたら、それが多少は自信になっているとは感じてます。

決して守備の姿勢というのは悪いことではない。その経験をした事によって得られる謙虚さや、周りを見渡す力のようなものもまた、ミュージシャンにとって必要な力だ。

しかし、時にはしっかりと自分をアピールし、攻めの姿勢で戦わなくてはいけない時もある。その戦いを乗り越えた先に、他を寄せ付けないミュージシャンとしてのオーラの獲得がある。

バンドを始めた当初に得た"守備"の心得と、近年の現場で得た"攻め"の心得、どちらも熟知しつつある仁耶氏は、真に最強なギタープレイヤーになりつつあるのかもしれない。

今までの"守備"の雰囲気を残しつつも、"攻め"の仁耶氏も今後たくさん観ていきたいものである。

第9章 先輩ギタリストのアドバイスから得たもの

前回の激人探訪での取材時、STUDIO PRISONERのHiro氏に次回は仁耶氏で書こうと考えていると伝えたところ、彼もまた仁耶氏の成長を感じているみたいであった。

Unlucky MorpheusもSTUDIO PRISONERでレコーディングを行なっているので、そこでの作業を通じて仁耶氏のプレイや音に対する価値観や姿勢が近年、飛躍的に向上しているとHiro氏も感じているようだった。

その事についても、今回仁耶氏に話を聞いてみた。

それこそHiroさんの影響はめっちゃデカいと思いますよ。僕も元々自分で録音とかやっていたんで、自分の録る音だけじゃなくて他の人が録る音も研究してる中で初めてHiroさんの作る音を聴いた時に"なんじゃこりゃ?!"って思ったんですよ。しかも大手スタジオじゃなくて個人でやってるらしいと、、。"こんな攻撃的な音が個人レベルで作れるのか"って衝撃を受けてからずっとHiroさんに会ってみたいって思ってたんです。

実際にHiro氏に録ってもらう事になる前に、仁耶氏はHiro氏の作る音に感銘を受けていたらしいが、実際のレコーディング作業や、ライブを観てもらった際に受けたアドバイスも今の仁耶氏を形成する大切な要素となっているようだった。

確かUndead Corporationの「Flashback」のレコーディングで初めてお会い出来たと思うんですけど、その時の僕って割と"無難モード"だったんですよね。そんな時期にHiroさんに音を録ってもらったり、ライブに来てもらったりしてる中で"仁耶君、それじゃ戦えないよ"っていうような事を結構言われてたんですよ。やっぱり僕はHiroさんの作る音とかが好きで信頼していたんで、そういう人から怒られたじゃないですけど(笑)そういうニュアンスに感じるくらいのインパクトがある事を言われたんです。それでかなり意識が変わったなっていうのはありますね。"もっとピッキングでゲインを表現しなきゃダメだよ"とか"今の仁耶君は手首から先で弾いてるけどもっと体全体で弾いた方が良いよ"ってライブを観て言われたりして。そこで今までは頭と手首でしか弾いて無かったんだなって気づかされたりしましたね。

前回の激人探訪を読んで頂ければわかるように、Hiro氏は様々な面において"攻め"の姿勢を持ったギタリスト&エンジニアだ。

正にこの時の仁耶氏とは真逆の姿勢であったと言えるし、そんな姿勢を持った人物との作業や関わりは当時の仁耶氏にとって大いに刺激になったのだろう。

実際Hiroさんって僕のギターをずっと録ってくれてるわけなんで、常に同じ条件で客観的に僕のギターを聴いてくれてる訳じゃないですか?だから変化も何なら自分以上に敏感に汲み取ってくれるし、その中で"良くなった"とか"悪くなった"とか色々アドバイスというかお叱りというか(笑)をくれるんで、そういうのは相当影響あったと思いますね。僕が"攻め"の姿勢になったのってやっぱりHiroさんからの影響もデカいですね。やっぱり尊敬するミュージシャンから強く言ってもらえてたっていう経験は自分の中で大きいです。弱く言われてたらそんなに響かなかったかもしれないですけど(笑)、結構強く"それじゃダメだ"って言われてたんで。

前回の激人探訪で、STUDIO PRISONERが多くのミュージシャンの成長にも貢献していることをお伝えしたが、仁耶氏もまた、そこで成長して来たミュージシャンの中の1人であった。

そのHiro氏の強いアドバイスを自分の中で咀嚼し、栄養にしていくには、やはりそれなりの探究心や忍耐が必要だ。

当時の仁耶氏は"無難モード"であったと語っているが、その中でもHiro氏のアドバイスを蔑ろにせずに、自分なりに一生懸命考え、立ち向かっていたようにも感じるこの姿勢は、もうこの時からすでに仁耶氏の中で"攻め"の姿勢が生まれて来ていたのではないかと思う。

それを全面に押し出すということは無いにせよ、仁耶氏はルックスとは裏腹に、どこか男臭さや芯の通った面を感じさせる事が出会った当初からあった。

そう思うと、もうその時から仁耶氏の成長は始まっており、それが近年の活躍で目に見えて形になって来ただけなのでは無いかと感じる。

常に何かを吸収し、自分のものにしていこうとする姿勢も仁耶氏の大きな特徴の1つで、彼を語る上では外せない要素であるように思う。

最終章 これからのミュージシャン像

近年の活躍と成長が著しい仁耶氏だが、これからの将来、どのようなミュージシャンになりたいと考えているのだろうか?

弾けてるとか弾けてないとかじゃなくて、何か淡白だったなって昔の自分のプレイを観ると思う部分はあるんですよ。でもそう思えてるって事は自分が今は淡白じゃ無くなって来ているというか、進化してるからそう思えてるっていうところはあると思うんです。だから5年10年したら今の僕が淡白だなって思えるようにはなりたいですね。

ネットを使って1人で発信を行っていた最初期から始まり、色々なライブ現場でのプレイや、人との出会いで揉まれていったそのギタープレイはより濃厚になった。

そこに先天的に持つ彼の華と経験で培ったオーラが加わる事により、今仁耶氏は、唯一無二のギタリストになろうとしている。

だが、仁耶氏が持つ理想のミュージシャン像は、決して自身の華やプレイを押し付けるというものではなく、しっかりと他者へ貢献出来るミュージシャンでありたいという堅実なものだ。

やっぱり、人から頼られる存在にはなりたいですね。それが自分が生きる理由みたいなところもあって。自分を頼ってくれた人達に貢献がしたいです。それから、自分の携わった音楽を聴いてくれる人達の期待にも応えたいって気持ちも当然ながらあります。総合して、頼り甲斐のある男になりたいみたいな感じ(笑)ちょっとこずいても倒れなさそうなしっかりとした芯を持ったミュージシャンになりたいなと思っています。

もう、"無難に人生を生きれれば良い"と感じていた高校時代の仁耶氏の姿はそこに無かった

未知な事にも挑戦し、それをものにしていく事が結果的に他者に貢献するという事を知った仁耶氏は、その時代の彼を自分は知らないながらも、もはや高校時代の彼とは別人になっているのであろう事は話を聞いて分かる。

やっぱり自分自身、"無難に生きたい”って思ってた期間が長かった。そう考えているうちはちょっとした段差でつまずいてしまうと思うし、自分もそういうような人間だったと思うんですよ。だからこそ、そうじゃない人への憧れもあって、頼られる存在でありたいって思うんです。

昔の自分を俯瞰し、客観的に見て今の生き方を考えられる姿勢を持てている事自体がもう成長しているという事であり、頼られるミュージシャンになりつつあるという事なのだと思う。

現にもうそれは彼のキャリアの中で現実のものになっていると感じるが、まだまだ今は下積みであると仁耶氏は語る。

今はとにかく目の前の事を1つ1つ丁寧にかつ攻撃的にクリアしていく事を積み重ねていく段階だと思ってるんで。ある意味"下積み"みたいな。まあ、一生下積みかもしれないですけど、それはそれで良くて。こういう事言うとネガティブに捉える人もいるかもしれないですけど、最終目標として"たくさんの人に評価されたい" "有名になりたい"というのはさほど重視してないんですよ。そういう自己顕示欲とか承認欲求みたいな気持ちよりシンプルに"期待してくれてる人の気持ちに応えたい"というか。自分が誉められて幸せな気持ちになるよりも、感謝されて他の人を幸せにしたいみたいな、そんな感じですかね。大きいこと言ってるようで小っ恥ずかしいんですけど(笑)

自分より下の世代がここまでの事を考えているとは、本当に驚くべき事で、とても姿勢を正されるようにも感じる事だ。

仁耶氏にとってギター、音楽とは、他者貢献をする為のものであり、利己的な事を達成する為の手段ではもう無いのだ。

それは仁耶氏がそれだけ音楽というものに真剣に向き合っているという事であり、昔の"無難に生きる"という選択肢はもう今の彼の中には存在しない。

もう何回も言ってるように、高校生くらいの時は無難な性格で、事なかれ主義を貫こうとしていたんですけど、音楽は突き詰めたいというか、一生懸命に人と違う事をやってみたいという気持ちを沸き起こさせてくれるものだったんです。ちょっと大きな話になってしまうんですけど、、、僕は死ぬ時に自分の気力とか体力を全て使い切ったと思えて死ねるんだったらそれは幸せな人生だったんじゃないかと思っていて、音楽はそれをさせてくれる場所なんじゃないかなと凄い感じているんです。音楽にだったら身を委ねて自分の限界を突き詰められるんじゃないかなって。行き着く場所はどこか分からないけど、多分自分の能力を全て使い切るところまではこのままやっていけば行けるんじゃないかなとは思ってるんですよ。結果はどうあれ、自分の能力を使い切った状態で人生を終えれるんであれば幸せだなみたいな気持ちで音楽演ってるんで。僕にとっての音楽ってそういうものですかね。

また仁耶氏と一緒にプレイが出来る日も楽しみにしているのだが、それよりも彼がどれだけ成長していくのかを見たいという気持ちの方が大きい。

よりタフになり、日本のギタリスト界を牽引していくようなプレイヤーに彼はなるのではないかと素直に思ってしまったのだ。

仁耶氏にはその可能性が十二分にあると思うし、もう自分が追い付けない程の存在になって、自分や同世代のミュージシャン達に大いに刺激を与えて欲しいと思っている。

それを観て、"ヤベー俺も負けてられねぇ"と感じたいし、それは結構近い将来に起きるのではないかと感じている。

その時が今から楽しみでならない。

あとがき

まさか、こんなに熱量の高い記事になるとは思わなかった。

バンドというものは意外と色々な事が慌ただしく、特にそのバンドのオリジナルメンバーではないという事が多い自分は、メンバー全員と深い話が出来ているわけでない事が実は多い。

本当に腰を据えて仁耶氏と2人で色々な事を話したのはこれが初めてで、今になって知れた事が数多くあった。

本当に意外なほど彼の言葉や、その裏にある意志は力強く、今後メディアなどはもっと彼の言葉を取り上げるべきなのではないのかと思ってしまった程だ。

自分よりも下の世代のミュージシャン達とあまり関わりの無い自分にとって彼の存在はとても貴重であり、年齢こそは下でも自分が経験したことのない事や、まだ成し得ていない事をたくさんこなしているという事がわかり、本当に刺激になった。

この"刺激になった"という言葉には些か"悔しい"という気持ちも含まれているという事は誰しもが感じる事だと思う。

しかし、仁耶氏に感じるそれには全くそのような気持ちはなく、むしろ純粋に応援したい、活躍が見たいという気持ちの方が多く含まれるものだった。

それは、仁耶氏の言葉の節々に感じる謙虚さや真面目さが、本心から来るものである事が話を聞いていて容易に感じ取れたからだ。

自分はまだ下積みと語っているのも、端正なルックスにも関わらず、自分のルックスに自信が無いと語っているのも、本当に心からそう思っての事なのだろう。

そのような仁耶氏の持つ純真さは、"頼られる存在になりたい"と語る彼の理想に今後大きく貢献していくのではないかと感じている。

彼の純真さは相手の心に信頼を生み、色々な事を任せられるような存在になりうるのではないかと思うからだ。

そんな彼が、今後の音楽シーンでどのような存在になっていくのかが楽しみである。

まあしかし、ルックス良し、テクニック良し、性格良し、など完璧過ぎて、まるでマンガの世界のミュージシャンじゃねーかと感じてしまう自分がまだいる(笑)

しかも、本人は"あえて"謙虚にしているわけではなく、あくまで本心からの謙虚さでそれを謙遜するなど、より一層マンガのモテキャラみたいな奴だなと思えてならない(笑)

"仁耶"とは、そういうミュージシャンなのである。

                                                                                       2020/7/6 YU-TO SUGANO


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