激人探訪 Vol.3 TORU〜"泣きのギター"が解らなかった理由〜
どうも皆さん、YU-TOです。
この激人探訪も3回目になる。前回の記事に対する反応もかなりのもので、回数を重ねる度に読んでくれた方の反応が濃くなっているように感じる。
やはり激人探訪を読んでその人の事をより好きになったという反応が一番嬉しい。
それは自分がその人の今まで外部からは見えてこなかった長所や、その人の一番尖っている箇所を伝えることが出来たということであり、人のこのような"強み"を見つける作業はやっていて本当に面白いし、自分自身の向上にも繋がる。
これからも激人探訪を読んで何かを感じたら気軽にSNSなどを通じて感想を頂けたらと思う。
さて、本日3回目となる激人探訪のゲストはTHOUSAND EYESで共にプレイするギタリスト、TORU氏だ。
TORU氏はTHOUSAND EYESでプレイすると同時に、TEARS OF TRAGEDYでもギタリスト、そしてリーダーとして活動している。
THOUSAND EYESはあくまでもKouta氏がメインコンポーザーでTORU氏はどちらかというとそれを補佐する役割であるように思う。
その一方でTEARS OF TRAGEDYでは全てのパートの方向性を示唆する役割を担っており、こちらでは完全なメインコンポーザーである。
このように真逆な2役をこなす、というかこなせるミュージシャンというのは非常に珍しい。
また、彼と対話している最中に最も出てきた言葉が"研究"という言葉かもしれない。
TORU氏はとにかく色々な音楽を研究している。それは"売れる音楽がどういうものなのか?"というものではなく、"自分が心を動かされる音楽とはどういうものか?"というベクトルでの研究だ。
TORU氏はその作業を何度も繰り返すことによって、自分の作る楽曲やプレイを根本から磨き、より自分にしか出せないオリジナリティを追求している。
正に"根っからのミュージシャン"だと今回話を聞いて感じた。
今回の激人探訪ではTORU氏をギタリストという側面だけでなく、様々な視点からも徹底的に掘り下げてみようと思う。
第1章 ギターに選ばれたギタリスト
TORU氏がギターを始めた理由はかなり独特だ。
自分は話を聞いて少し拍子抜け、、というか"よくここまで音楽を続けてるな"と感じてしまった。
TORU氏の音楽人生は多くの人がそうであるように、ピアノ教室から始まった。
小一でピアノ教室に通ってたんだけどすぐ3ヶ月くらいで辞めちゃった。やらされるっていうのがすごい嫌でね。自分の意思じゃなくて親父に習わされてたって感じだったから。
"親が子供にピアノを習わせる"という話はよく聞く話で、おそらくそのように習わされて才能が開花する子供は殆どおらず、大体は子供時代のTORU氏のように辞めていくのが普通であろう。
しかし、TORU氏はギターもまた、自分の意思で始めたわけではないと言う。
俺、親戚が親父も含めて叔父とかもみんなギター演ってて、結構ギターが子供の頃から身近だったんだよ。まあ、、全く興味なかったんだけど(笑)本当にぜんっぜん興味なかったよ、ギターなんて(笑)で、中学入ってからかな?5個上の兄貴分みたいなギター弾く従兄弟がいて、そいつが会うたびに"ギター教えてやるよ”ってうるさくてうるさくて(笑)ずっと"嫌だ"って言ってたんだけどあまりにもしつこいから"しょうがねー、教わってやるか"って始めた(笑)
自分自身の中ではギターというものは特に少年時代ということであれば、好きなアーティストであれ身近な人であれ"誰かに憧れて始める"というある種の定説のようなものがあると思っている。
だがそれを根本から覆すような理由である(笑)
そんな何とも拍子抜けする理由でギターを始めたTORU氏だが、もうご存知の通り今現在もギターを続けている。
そんな兄貴分の従兄弟にギターを"習わされた"TORU氏が自分の意思でギターと向き合ったきっかけは何かあったのだろうか?
うーん、、何なんだろうね?、、ギターにハマったきっかけとかすらよくわからないんだけど、、でも演り出したら"自分はいつか絶対"って思っちゃったよね。"ビッグになる!"とかじゃないけど"何かやったる!"って。なんか知らないけど、、、何でなんだろう?(笑)
世の中で"才能がある人"と言われてる人達は大きく分けて2種類のタイプがいると思っている。
1つ目は自分で好きな事を見つけ、単純にそれに対して情熱を傾けられる人。
2つ目は自分の好き嫌いの範疇を超えてその物事に選ばれる人。
1つ目に属する人は割と一般的だが、2つ目に属する人は少ない。だが、どの分野でも確実にそういう人は存在する。
TORU氏は確実に2つ目のタイプに属する人だ。
音楽に慣れ親しんだ家に生まれ、周りにギターがある事が当たり前の環境で育ったことは、意思や好き嫌いという概念を超えて彼がギターを手にするのは時間の問題であったとも言える。
少し大げさな言い方になるが、TORU氏がギターを選んだのではなく、ギターがTORU氏を選んだのだ。
だが選ばれてもその役割をきっちりとこなせないとすぐに潰れてしまうのがこの2つ目のタイプの人達の特徴である。
しかしTORU氏は持ち前の探究心で現在もギターという楽器を追求し続けている。
もはやこの時点で彼が非凡な才能を持っていることは誰の目にも明らかであるように思う。
第2章 J-Rock &POPSからの影響
TORU氏の音楽的影響の根底にあるのは国内のロックやポップスである。
本人の意思ではなく、"教えてやる"と半ば無理矢理(?笑)始めさせられたギターだったが、音楽自体は好きで聴いていたという。
まあ中島みゆきとかDEENとかのその時代のポップスだったかな。それでその従兄弟の影響で小5くらいからL'Arc〜en〜Cielを聴き始めた。これがロックとかそんな事、当時は何も考えてなかったけどそれが初めて聴いたロックだったのかな。
小学生時代は多くの例に漏れず、その当時のドラマやアニメのテーマ曲などを聴いていたという印象だ。L'Arc〜en〜Cielも当時はもうお茶の間にまで浸透しているクラスのバンドになっていたから当時のTORU氏が聴いていても決して珍しくはない。
L'Arc~en~Cielからの影響を語るメタルミュージシャンは以外に多い。
彼らの音楽性はそこまで激しいものではないが、メンバーの音楽的ルーツはLAメタルやAIONなどの国内メタルであるという話はよく耳にする。
確かによく聴いてみるとガッチリと構築された曲構成や所々のフレージングでメタルからの影響を感じる部分もある。
2回ほど彼らのライブを生で観た事があるのだが、ショウアップされたエンターテインメント溢れるライブはある意味Motley crue的とも言える。
ここまで、TORU氏は音楽に対してジャンルの認識無しに聴いていたようだが、彼がロック、メタルなどを意識して音楽を聴き始めたのはどのアーティストからだったのか?
SIAM SHADE。絶対そう。でもそれもハードロックとかそういうのじゃなくて"バンド"として聴いていたけどね。それである時SEX MACHINEGUNSをたまたま耳にしたのよ。いや、、もう凄い衝撃だった。中3の時だったけどそれがかなりの転換期になったと思う。"そうか、これがメタルか"って感じで、、、とにかく衝撃的だった。
個人的な意見なのだがTORU氏も名前を挙げているL'Arc~en~Cielや、例えばGLAYなどはどちらかというとJ-POP的であり、当時はあまり彼らのミュージシャン的な部分はそこまでクローズアップされていなかったような気がする。
ただSIAM SHADEやSEX MACHINEGUNSなどは、当時の音楽雑誌などでテクニカルなソロやフレージングなどがクローズアップされ、楽器的な巧さが注目されていた。
メタルが持つ"テクニカル"という美学と、それまで聴いていたアーティストには無い爆裂感とある種の異質さに少年時代のTORU氏は魅了されたのではないかと思う。
その後、J-POP寄りだったTORU氏の趣向はどんどんメタルの方向に加速する。
昔"バンドやろうぜ"って雑誌があって毎月買って読んでたんだけど、そこに"王者来日!"って書いてあって、、「"王者"って呼ばれてる人がいるのか!!」って思って、、それでCD屋で探してその人のCDを買ったんだよ。それがYngwie Malmsteen。いやー最初聴いた時は天と地がひっくり返るくらいびっくりしたね(笑)それで"俺はこれを演ろう!"と明確に思った。
Yngwie Malmsteenはスウェーデン出身のギタリストで、、、という説明などいらないだろう。
恐らく世界で最も影響力のあるギタリストの中に入るであろう人物である。
彼をリスペクトするミュージシャンは恐らく世界に無数に存在する。自分の周りのギタリストの殆どが何かしらの形で彼から影響を受けている事実は否応無しに彼の影響力の高さを物語っている。
いわゆる"速弾き"の代名詞的な存在であるYngwie Malmsteenだが、彼の速弾きはただ速いというだけではなく、クラシックなどのバイオリンの奏法からの影響が根源にある非常に音楽的な"速さ"だ。TORU氏が影響を受けた部分はYngwieのそういった部分からだった。
曲調がすごいクラシカルで、、"こんなのあるんだ!"って思った。"こんな事やっていいんだ!!"みたいな(笑)楽曲のアプローチとしてね。
Yngwie Malmsteenはこういったクラシックとヘヴィメタルを融合させた"ネオクラシカル"というスタイルを世に生み出した第一人者である。
そのような単に"テクニカル"というだけではない音楽的な功績も、Yngwie Malmsteenが多くのミュージシャンからリスペクトを受け続ける要因だろう。
そしてここからTORU氏はネオクラシカルメタルやメロディックスピードメタル(通称メロスピ)など、"北欧系"と呼ばれるアーティスト達に次々に魅了されていく。
この音楽遍歴が今のTORU氏の北欧メタルとJ-POP &ROCKを融合させた音楽スタイルを作った基盤である。
第3章 芽生え始めた向上心
様々な音楽の刺激を受けながら、"始めさせられた"ギターという楽器をどんどんと自発的に吸収するようになっていったTORU氏だが、高校生の頃には自分のバンドを組み始める。
中学時代からのギター仲間と最初は始めた。そいつは自分とは違う高校に行ってたんだけど、その高校で音楽やってる生徒達と合流してって感じでメンバーが固まっていったのかな。コピバンで曲は何故かMetallica演ってたよ(笑) あと昔YAMAHA主催の"ティーンズミュージックフェスティバル"っていうのがあって、それに俺、2回連続で出て2回とも地区大会で優勝してるのよ(笑)福島県の郡山で開催された地区大会で優勝したんだけど、次の予選はZepp仙台なのね。10代で2回もZepp仙台に立つとかなかなか無いよね(笑)1回目は後輩のMetallicaのコピバンのサポートで出て、2回目は自分のバンドのオリジナル曲で出た。
特に珍しくは無い形でバンドを始めたTORU氏だったが、このティーンズミュージックフェスティバルでの実績はなかなか凄い事だと思う。
この手の10代バンドのオーディション的なイベントは今でこそあまり見かけない気がするが、この時代は雑誌などで特集が組まれたりするくらい、結構大きな規模でそういうイベントがあったのだ。
自分自身が10代の頃は"そんなもの出るか"とイキがっていたが(笑)当時はこれに出演できるのはある意味で10代のバンドマン達にとって"ステータス"になっていたかもしれない。
そこで地区大会とはいえ、TORU氏が2度優勝しているという事実はもうこの時から彼のギター技術はかなり尖ってきていたと考えられる。
また、TORU氏が高校生の時にバンド活動と平行して通った音楽教室の存在も大きかったと言う。
YAMAHAの"PMS(ポピュラーミュージックスクール)"っていう所に高2位から通い出したんだよね。その時ライブハウスに高校生同士でコピバンイベント組んだりして出てたんだけど、その繋がりで知り合った1歳下の物凄くギターの巧い奴がいて。そいつがどうやらPMSで習ってたらしくて、"俺も習いに行こうかな"って思って自分もそこに通いだした。
もうこの頃になるとTORU氏は完全に自発的にギターを弾き、そこに対する向上心は人一倍に持つようになっていたという印象がある。
TORU氏のミュージシャンとしての特徴はその向上心にある。
それは"人に認められたい"という他者に向けられた向上心というよりは単純に"自分をどこまで高められるか"という自分自身に向けられた向上心であるように思う。
今、TORU氏の中でその向上心は"ギターが巧くなりたい"という事から"自分にしか書けない曲を書きたい"という方向にシフトしているが、根本となるところは同じ、"自分自身を磨く"という事だ。
少年時代のTORU氏がその年下のギタリストに出会い、"俺も習いたい"と思って教室に通い出したのはもしかしたら"悔しさ"のようなものもあったのかもしれない。
むしろ自分以上のテクニックを持っている年下の人間に出会った10代が悔しい思いを抱かない訳が無い(笑)
10代のTORU氏がその悔しさと向きあい、行動したことは「悔しかったら自分を磨け」という事なのではないかと思う。
もちろん、10代の少年がそんな事を意識してたとは思えないが、結果としてそういう行動だったという事だ。
悔しさにぶつかった時、人はその悔しさから逃避しようとする。
「あいつは親が、、」「素質が違う」「環境が違う」などの原因を作り、自分が劣っている現状を正当化しようとする。だがその精神では物事は絶対に向上しない。
「俺にもできる」「やれる方法はある」という心構えで、少年時代のTORU氏が"同じ音楽教室に通う"という選択肢を選んだように"行動"をすることが物事を向上させるのに何よりも重要な事だ。
あくまでTORU氏本人の見解でなく、自分自身がこの話を聞いて色々と思いを巡らせていた時に出た見解だが、この10代のTORU氏が取った行動は物事を向上させる上で最も重要な心構えの一つであると思う。
第4章 専門学校への進学と留学の挫折
そんなギターに対する向上心を自発的に持ち始めたTORU氏だが、高校卒業後は音楽専門学校に進もうと決心する。
PMSの先生に進路相談をした時に"勉強するんだったらジャズがいいよ"って言われて、名古屋にあるジャズ系の学校の"甲陽音楽院"っていうアメリカのバークリー音楽大学と提携してる専門学校に行こうって決めたんだよね。あと卒業後の単位をそのまま持っていく形でバークリーに留学出来て、4年通わなくても卒業できるってシステムがあったの。Dream thaterとかSteve Vaiとかの出身校だから出来れば俺も行ってみたいと思ってた。でも親には「音楽の専門なんて行かす金なんて無い」って言われたから「じゃあ自分で働きながら行く」って新聞奨学生っていう寮に住んで新聞配達やりながら学費払うシステムで通うことにした
自分の通っている専門学校にも新聞奨学生という制度はあった。朝も早く、日中は学校、夜は夕刊とかなりハードなスケジュールで動かなければならないのが新聞奨学生だ。
毎日ひたすら働いてハードだったね、、特に一年目は本当にキツかった。めちゃくちゃ体調悪い時とかは道で吐きながら新聞配ってたよ(笑)もう寝て起きたら夕方で"あっ学校行ってない"って日もあったね(笑)
TORU氏は当時の事を振り返ると、"本当に毎日休みがなかった"と語っている。
そんな状況でよく続けられたなと感心してしまうのだが、、、(苦笑)TORU氏は当時バンドなどの活動はやっておらず、ひたすら学校の勉強と課題に打ち込んでいたという。
TORU氏がバンド活動を本格的に始めたのは専門学校を卒業した後になる。
卒業して本当はバークリーに行きたかったんだけど、、そこに行く為のお金がどうしても工面出来なかった。試験とかも受けて、幾らか奨学金を出して貰えるってことにもなったんだけどそれでも全学費には到底及ばなくてね。一応、専門卒業してから1年バイトしてお金貯めようって頑張ってみたけど、やっぱり生活費とかそういうのもあるし限界あって、、じゃあ東京に行って音楽やろうって思ってこっちに出てきたんだよね。
本当に"お金と音楽"というのは切っても切り離せない関係だ。これが原因で一体何人の人達が音楽をプレイする事から身を引いてしまったのだろうか?
だがTORU氏はここで諦めず、別の方法をとって音楽をプレイし続ける事を選んだ。全ての事は環境や置かれた状況では無く、"自分が何を選択するか"だ。
そこから東京に出てきたTORU氏はネットのメンバー募集で見つけた2つのバンドにサポートギターとして加入する。
メロスピ系とメロデス系の2つのバンドだったね。まあ、今みたいな組み合わせだね(笑)でもやっぱり自分のバンドが持ちたかったから"いい奴いたら引き抜いてやろう"ってくらいに思ってやってたよ。
自分のバンドの立ち上げを模索しながら2つのバンドでサポートギターとして活動していたTORU氏であったが、きっかけとなる出会いは思わぬところからやってくる。
そのサポートやってたメロデス系のメンバーから"メタルのオフ会があるから行かない?"って誘われて行ったんだけど、その時にたまたま隣の席に座っていたのがHayato(TEARS OF TRAGEDY Key)だった。そこで意気投合して"一緒にやろうか"ってことになったんだよね。それでドラムはサポートでやってたメロスピ系のバンドから引き抜いて、ベースは東京で知り合った奴に頼んでって感じで楽器隊メンバーは固めた感じかな。Voはこっちから募集してオーディションで決めた。今とは違うけど女性Voの人から応募が来て、最初にHayatoと"Sonata arcticaが好きって言ったら決定で"って決めてて(笑)それで会って話したらSonata arcticaの名前が出たから"決定!"って(笑)それで今とはメンバーは違うけどやっとTEARS OF TRAGEDYが始まった感じだね。
このように色々な巡り合わせと、ある種の博打的な(笑)人選でTORU氏が心血を注ぐTEARS OF TRAGEDYは始まった。
バンドというのは意外とそんなもので、"絶対にやってやる!"と意気込んでメンバーを探すよりも、こんな風に思わぬところに出会いが転がっていたりするから不思議だ。
そこからメンバーチェンジをしながらもTEARS OF TRAGEDYは確実に階段を登り続け、日本のメロディックメタル界での地位を確実な物にしつつある。
苦労や挫折を乗り越えてTORU氏が手に入れたTEARS OF TRAGEDYという表現の場。その経緯などを踏まえた上でTEARS OF TRAGEDYを聴くと、また違った響きで楽曲を聴けるのではないだろうか?
それはある意味"フィルター"のようなもので、そんなもの抜きにしても"良い曲"であることは間違いないのだが、敢えてそのフィルターを通す事によって響いてくるものもあると思うのだ。
この記事を読んでくれたTEARS OF TRAGEDYのファンの方々には敢えてここで書いたTORU氏が歩んで来た経緯を踏まえた上でもう一度TEARS OF TRAGEDYの楽曲に耳を傾けてみて欲しい。
確実に何か違った世界が見えてくるだろうと思う。
第5章 THOUSAND EYESという存在
TORU氏を語る上ではやはりTHOUSAND EYESも外せない存在だ。
メインコンポーザーであるTEARS OF TRAGEDYに全力を注ぐ事は当たり前であるとして、彼がTHOUSAND EYESでギターを弾き続ける理由はどこにあるのだろうか?
そもそも彼がTHOUSAND EYESをやる事になったきっかけはTEARS OF TRAGEDYを始める前にある。
まあ、Koutaさん(THOUSAND EYESリーダー)とはさっき話したサポートで弾いてたメロスピバンドと彼が昔やってたBlack pearlが対バンした事をキッカケに知り合ってて。最初はお互い顔見知り程度だったけどある時のライブでたまたまKoutaさんが観に来てて、向こうから話しかけて来て仲良くなったんだよ。
恐らく、ここでKouta氏の方から話し掛けて来たというのは彼がTORU氏に対してミュージシャンとして何かしらのシンパシーのようなものを感じてたからだと思う。
後に一緒にバンドをやる事になるとは流石に思ってなかったにしろ、特に音楽的な理由なしに"何となく仲良くなれそうだから"という感じで話し掛けたとはKouta氏のキャラクターからしてまず考えられない(笑)
そこからKoutaさんと仲良くなって色々と先輩として相談に乗ってもらったりとかしてて。それでTHOUSAND EYESに誘われたわけだけど、音楽性とかそういうのは置いといて"他ならぬKoutaさんだから"みたいな部分もあって"やらせて頂きます"ってなった。
バンドというものは実は"何を演るか"よりも"誰と演るか"の方が大事だったりもする。
多少の方向性の違いや音楽性がバラバラだったとしても、人としての芯の部分が合ってさえいればバンドは上手いくし、音楽自体もより良いものになる。
バンドというのは意外とそんなものだ。
また、TORU氏は自身がメインコンポーザーであるからこそ、THOUSAND EYESを続けられているとも言う。
まあ千眼はKoutaさんがメインで曲を書いてるわけだけど、やっぱTEARS OF TRAGEDYの方は俺がメインで曲を書いてるからやっぱそういう人の大変さが分かるんだよ。"こんなに一杯やる事ある"みたいな部分でね。あとは単純に"好きにやらせてあげたい"という気持ちもあるしね。
自分がメインで曲を書いてる場所を持っているからこそ、それと同じ立場の人の気持ちや、他のメンバーに求める姿勢を熟知している。
だからこそTORU氏はTHOUSAND EYESでは"補佐的な位置"に徹しているのだ。
また、TORU氏はTHOUSAND EYESを演る上での自分の役割があると話す。
これはKoutaさんにも言ってあるんだけど、、俺の個人的趣味で言ったら別にツインギターが趣味な訳ではないの。ただ"ツインギターをメタルで演る"っていうのはある意味"王道"な事で国内外問わず沢山そういうバンドがいる訳だけど、演るなら国内最強のメタルツインギターを演りましょうと。だから俺にはそういう役割もある。別に音楽性どうこうっていうよりはそんな感じかな。趣味ではないかもしれないけどやっぱりツインギターでしか表現出来ない事も沢山あるわけで、それを演る上では俺らが最強でありたい。
THOUSAND EYESの楽曲において、ツインギターを駆使したギターソロは生命線とも言える。
それは単に自分達がそう思っているというわけではなく、THOUSAND EYESのファンの皆さんも同じように思っている事はライブでのギターソロの反応を観れば明らかだ。
TORU氏はTHOUSAND EYESにおけるKouta氏とのツインギターに誇りを持っている。それは個人の趣向を超えたもので、ある意味では彼に与えられた使命とも言える。
現にTHOUSAND EYESでKouta氏とツインギターのタッグを組めるのは恐らく世界でTORU氏しかいないだろう。
ただそれが"何故か?"という事を説明しろと言われると正直わからない。むしろそれを理屈で説明しようとすると急に阿呆らしくなる。
それは例えばSLAYERの格好良さを理屈で"速くて邪悪で激しいから"などと説明するようなものである。もうそれはSLAYERがその手の音楽で"最強"だからと言う他無い。
THOUSAND EYESのツインギターは何故あんなに魅力的なのか?、、それはもう単純にKouta氏とTORU氏のツインギターコンビが"最強"だからである。
それは自分だけでなく、むしろTHOUSAND EYESのファンの方々が一番よくわかっている真実では無いだろうか?
そしてその事実がTORU氏がTHOUSAND EYESで弾き続ける理由である。
第6章 北欧メタルからの影響
先ほどからTORU氏が名前を挙げているバンドを見て分かる通り、彼はアメリカのメタルよりもヨーロッパ、特に北欧系と呼ばれるメタルに色濃く影響を受けている。
自分自身はほぼ完全にアメリカのメタルに影響を受けてきた人間で、定番は抑えつつも北欧メタルの知識は正直乏しい。
TORU氏は北欧のバンド達のどういった部分に惹かれているのだろうか?
それこそやっぱりSonata arcticaとか、、メロデスとかでもArch enemy、Children of bodomとかやっぱ北欧系のバンドが好きだね。惹かれる理由は何だろう、、やっぱメロディの透明感じゃない?やっぱり何で北欧のバンドに惹かれてるかってやっぱりメロディが良いからで。アメリカのメロディ感よりもその辺りのバンドのメロディ感が好きだね。
アメリカのメロディ感と北欧のメロディ感の違いは個人的には"リズミカルさ"にあると思う。
アメリカのメロディは"みんなで一緒に歌える"事を重視したメロディが多い。
同じリズムをリフレインし、ある意味メロディ自体にグルーヴ(ノリ)を付けて聴いた人がしっかりと覚えられるようなメロディが主流である気がする。
自分はこの手のメロディも割と好きだ。一聴すると簡単に作れるように思うかもしれないが、誰もが簡単に口ずさめるメロディを作る事は、実は簡単な事ではない。
一方、北欧のメロディは覚えやすさよりも"響きの美しさ"に重点を置いている気がする。
ライブなどで一緒に口ずさめると言うよりは、部屋でじっくりとメロディに耳を傾け、その世界観を堪能するような楽しみ方のイメージがある。
メタルではないが、自分が北欧のバンドで好きなSigur RósやLast days of aprilにはそういったイメージがあるし、メロディの透明感といった部分でもアメリカの音楽とはまた違う印象がある。
また、TORU氏は自身が育った環境も北欧の音楽を趣向する要因になっているかもしれないと話す。
自分の育った福島って、冬になったら雪が積もって真っ白な景色になるんだよ。それで北欧もやっぱり寒い国じゃん?よくわからないけどもしかしたらそういうところも関係してるのかもしれない。
確かに環境が音楽の趣向に影響するという事はかなりあると思う。
例えばアメリカンな音楽は通勤中や運動中、またはライブなどのフィジカルな行動をするとき時に聴きたい曲調だ。
地域によって差はあるが、アメリカは特にカリフォルニア等は比較的温暖な気候で出掛けやすく、遊びと一体になったようなフィジカルな音楽が好まれる傾向があるように思う。
一方、北欧は厳しい寒さと大量の雪も積もるのでどちらかといえば家にいる事の方が多いと聞いたことがある。
このような家にいる環境ではやはりじっくりとメロディの美しさに浸れる音楽が求められるのではないかと思うし、自分自身もそのような環境だったら聴きながら物語が見えてくるようなメロディの曲が聴きたい。
例えばTEARS OF TRAGEDYの"Spring Memory"などはメロディの"リズミカルな覚えやすいキャッチーさ"といった面よりもメロディの響きの美しさに重点を置いた、胸に響くタイプのキャッチーさを持った楽曲だと思う。
テンポ的にはスピード感のある楽曲だが、ライブで一緒に盛り上がると言うよりは、自宅で歌詞を読みながらじっくりと耳を傾けたくなるような楽曲であると個人的には感じる。
ここに自分の思う"北欧らしさ"が詰まっているのだ。
ギターのキメの細かいプレイも素晴らしいし、構築された曲展開も映える曲ではあるが、この"Spring Memory"を通して聴いて最も残っている印象が"メロディが良い"の一点というところが如何にもTORU氏らしい
このようなセンスがTORU氏の持ち味であり、彼の最大の武器でもある。
第7章 原点の"研究"とオリジナリティの"追求"
TEARS OF TRAGEDYのことをネットで検索すると、J-POP&Rockと北欧メタルの融合という捉え方をされていることが分かる。
これは正にTORU氏の中の大部分をしめる音楽性がそのまま出た形であるのはここまで記事を読んでくれた方ならば理解して頂けると思う。
彼は楽曲を作る上で最も大事にしている事はやはり"オリジナリティ"であると語る。
やっぱ"〜〜みたいな曲"っていうのはあんまり演りたくなくて、いかに"自分らしく"やれるかを考えた結果が今のアプローチに繋がっていると思う。コード進行とかもめちゃくちゃ研究したしね。メタルってパワーコードが多いんだけどそうじゃ無いアプローチをしたいというか、"こういう音選びとか音使いはメタルではしないだろう"っていう方向で曲を作るかな。
ここでTORU氏が語っているような"敢えてそのジャンルがやらない事をやる"というのは実は作曲におけるオリジナリティの出し方の定番的やり方と言える。
しかし、これを上手く活かせるかどうかは母体となるジャンル(ここではメタル)の事もそこに取り入れる違う要素の事(J-POPなど)も熟知しているかどうかに掛かっている。
もし、どちらも中途半端な理解で"ただ面白くなりそうだから"と混ぜ合わせているのならば、それは奇をてらっただけの中途半端なオリジナリティにしかならない。
TORU氏の楽曲が結果としてそのような中途半端なオリジナリティになっていないのは楽曲を聴けば明らかなのだが、その為に彼は徹底した"自分のルーツ"の研究を行った。
昔はやっぱり海外のメタルバンドと同じような音にしたかったね。その期間が結構長かったような気がするけど、ある時にSIAM SHADEをもう一回聴き直したのね。それこそラルクとかも。しばらく邦楽とか聴いてなかったんだけど、聴き直したら"やっぱり俺、スゲー好きだなこれ"って思って。だから自分が何をどう好きなのかをもう1回、徹底的に楽曲分析をして研究したの。本当にめちゃくちゃやった。耳コピしてコードを取って、、"キーがどうなってるか"とかコード進行とか"どういう転調をしたか"とか音楽理論的にどうなってるのかを全部調べて紙に書いていって自分にストックしていった。
例えば世の中のヒットソングを研究したり解析したりするのは誰もがやる事だ。
YouTubeなどでは"この曲が何故世間でヒットしたか?"といったことを最もらしい理由をつけて分析する動画が数多くある。
しかし、音楽を研究する上で最も大事な要素が、その音楽が自分自身に刺さっているかどうかである。
そうじゃなしにヒットソングを研究したところで得るものは何も無い。
ここでTORU氏が研究した事は、"世間はどんな曲を出したら喜ぶか"という研究ではなく、"自分が本当に作るべき楽曲は何なのか"というベクトルでの研究である。
オリジナリティって言っても別に好きなものを我慢する必要ってないじゃん?自分はこういうのめっちゃ好き、じゃあこれのどういうところが好きなんだろう?ってところをめちゃくちゃ研究して、自分がもっと好きなように曲が書ける勉強をした感じかな。
このTORU氏の行動は過剰な表現を敢えて使うと"ミュージシャンの鑑"のような行動である。
"originality(オリジナリティ)"という言葉は"Origin(オリジン)"という言葉の発展系であると思う。
オリジナリティというのは"独創的"という意味なので、摩訶不思議ものを提示する事と捉われがちだが、実は違うのではないかと感じる。
オリジンというのは"原点"という意味だ。ということは自身のオリジナリティを追求というのは自身の"原点"はどこにあるのかを知り、それを徹底的に追求していく事にあると思う。
"オリジナリティを出す為に色々な要素を取り入れる"というのは本当の意味でオリジナリティを出すというところには本質的に繋がらない。
本当の意味でのオリジナリティとは"自分の原点に根ざした音楽を演る"という事なのだ。
その原点がどんなジャンルだろうと、原点と思う音楽が複数あろうが一つだろうが、その自分の芯となる部分を徹底的に探し出すことが真のオリジナリティの追求なのである。
TORU氏がやったという研究は正にそういう事なのである。
第8章 違う場所から同じ場所を見る
今回、TORU氏に話を聞く際に絶対に聞いておきたかった事の一つが、激人探訪Vol.1で紹介した窪田道元氏との仲だ。
もしかしたら気づいてる方もいるかもしれないが、この二人は非常に仲が良い。
こんな事を書いてしまったら「スガノさん、そういうのヤメてもらっていいですか?!」と道元氏に言われてしまいそうだが(笑)敢えてこの事に書く事にした。
考えてみれば、この2人が仲が良いのはとても不思議な事だ。
道元氏はどちらかと言うとアメリカンな音楽が好きなのに対し、TORU氏は前述の通り、北欧の音楽が好きだ。道元氏はメロディを歌う事を一切拒むが、TORU氏はメロディに対してものすごくこだわりのあるミュージシャンでもある。
このようにある意味、真逆な音楽性を持つ2人ならば俗に言う"犬猿の仲"になってもおかしくは無いと思うのだが、、、
まあ、あいつはアメリカンで乾いてるけど、俺はヨーロッピアンで湿ってるから(笑)確かに真逆だなとは思うよね。でも結局見てるとこは一緒なんじゃ無いかと思う。俺はここにいて向こうは真逆にいるけど見えてる場所は同じ、みたいな。そんな感じだね、あいつとの仲は。
実は音楽を一緒に演る上で、音楽の趣味が合うことはそこまで大事な事ではない。
むしろ逆に趣味が真逆である方が新鮮な感覚でお互いの音楽性に接する事が出来、その刺激でいい音楽が生まれる事もある。
TORU氏は道元氏と"見ている所が同じ"と語るが、そこは何処なのだろうか?
うーーん、、何だろう(笑)音楽を演る事自体というかね、"自分がどうありたいか"とかさ。後は"何でそれがカッコ良く感じるのか?"とかの部分かな。まあ真逆と言っても音楽的に被ってる部分が少しあって、その話をした時に"わかる!"みたいな感じ。
TORU氏が語る部分は恐らく音楽を演る上での芯というか核となる部分の事だろうと思う。
お互いの通ってきた音楽や道は違えど、TORU氏にしろ道元氏にしろ"TRUE"なメタルを愛しているという部分は一緒であると思う。
また、音楽というものに真摯に向き合い、自分のパートや役割に誇りを持っている点も共通している。これは恐らく彼に関わるミュージシャン全てに共通することかもしれない。
千眼はとにかくナメてる奴がいない。バンドをやるという事に関しても、音を出すという事に関してもね。みんなそれなりの自負があって演ってると思うよね。
と、THOUSAND EYESの話を聞いた際にTORU氏は話していた。
道元氏も然り、自分自身も然りなのだがお互い通ってきた道や音楽の好みに多少の違いはあれど、音楽そのものに対する捉え方、見え方は一緒。
そこがしっかりと合えば、バンドのサウンドはより強靭になる。
TORU氏と道元氏の関係はそのような事を表しているのではないかと思う。
第9章 "バンドマン"であることのこだわり
いわゆる"ソロアルバム"を出す、もしくは出す事を目標としているギタリストは割と多いのではないかと思う。
TORU氏ほどのテクニックと作曲能力があればソロ作品を作る事など容易い事だと思うのだが、彼を見ているとソロでの作品を作る事に全く興味がないように感じる。
今回、その事について聞いてみたのだが、やはりTORU氏はソロのギタリストとしての活動には全く興味がないようだ。
それこそSteve VaiとかJoe Satrianiとか好きだけどね。でも彼らみたいになりたいとは思わない。彼らの作る曲は好きなんだけど、自分が彼らのようなアプローチのギタリストでありたいとは全然思わないかな。
例えば彼が影響を受けたと語っていたYngwie Malmsteenなども実質的にはソロであるし、彼がそのようなソロで活動するギタリストに憧れていてもおかしくはない。
しかし、TORU氏はあくまでも自分は"バンドのギタリスト"でありたいと話す。
バンドで弾くからエレキギターって楽しいんじゃないかなって思うんだよ。やっぱり10代の頃にバンドの音楽が好きだったから。SIAM SHADEもラルクもSEX MACHINEGUNSも全部バンドじゃない?だから俺の中で音楽を演る=バンドを演るって事なんだよね。
自分を本当の意味で形成する音楽というのは10代の頃に聴いた音楽で決まると言われている。
もっと言ってしまえば16歳までに聴いた音楽で人の音楽感のほぼ全ては形成されてしまうといった研究もあるくらいだ。
TORU氏の音楽の表現が常にバンドサウンドに向いているのは、その10代の頃に受けたバンドサウンドの衝撃が今だに彼の中に色濃く残っているからなのだろう。
また、TORU氏はバンドだからこそ得られるものもあると言う。
"俺のギターを聴け!"じゃなくて俺の書いた曲を俺が良いと思う人達と演りたい。例えばどんなにデモの段階でドラムとかシンセとかこっちで全部作ったとしても、それぞれの持ち場の人に任せた時に"ああこういうのもあるのか"っていうのって出てくるじゃん?それが細かい事だったとしてもそういう事の積み重ねだから、1曲完成するのって。もしかしたら90%は自分で作れたとしても出来上がる曲は150%になったりもするからね。"思ってたのと違うけど元のやつより良いな"とかさ。そういうのを楽しみたいんだよね。一人で作るとそれが無い。全部予想の範囲内。
TORU氏が楽しみたいと思ってる部分はバンドで起こるケミストリー(化学反応)の部分だ。
自分もバンドをやる上でこのケミストリーは最も大事な要素だと思う。むしろそれが無いとバンドはもの凄くつまらない。
このような人と人とのケミストリーはバンドをやるという事以外で実感出来る事は日常生活であまり無いように思う。
この面白さを感じられるのはある意味ミュージシャンの特権だとも思っている。
自分自身もやはりバンドで音楽を演るという事は何か特別な、"それでしか生み出せない何か"があるように思う。
バンドのそう言った部分にTORU氏も自分も魅了されて音楽を始め、色々な現実的な問題にぶつかりながらも尚、バンドで音楽を演るという事に魅了され続けているのだからやはりバンドというものには不思議なマジックのようなものがあるのだと思う。
TORU氏にこれからのビジョンを聞いた時にこんな事を語っていた。
売れる売れないは別としてやっぱり自分の音楽を追求したい。それのアプローチとしてバンドサウンド、バンド形態が良いし、自分自身もバンドマンでありたい。だから生涯現役のバンドマンであるって事が俺の人生最大の目標かな。
このように自分をギタリストやコンポーザーという立場だけでなく、"バンドマン"として捉えているところも、TORU氏というミュージシャンを構成する上で欠かせない要素の一つなのだ。
最終章 泣きのギターが理解出来なかった理由
確か去年最後のTHOUSAND EYESのライブの帰りだったと思うのだが、TORU氏が帰りの車で何気なく言った言葉がずっと頭の中に残っていた。
道元氏とKouta氏が車でIRON MAIDENを流しながらはしゃいでいる(これは千眼内で定番の光景でもある 笑)様子を見て
このおっさん達ライブ後なのに本当にメタル馬鹿だよね〜(笑)若い頃は音楽って音楽を演る事でしか高められないって思ってたけど、こういうくだらない事も実は大切なんじゃ無いかと最近思ってるんだよね。
という話をしていたのだが、今回TORU氏に話を聞く際にこの事は絶対に聞いておきたい事の一つだった。
その場では本当に何気ない一言程度で終わってしまった事だが、何か妙に自分の中に残った言葉というか、"この場ではないけどもっと掘り下げて聞きたい話だな"と思ったいた話だ。
今回はまたとない機会なのでその事について聞いてみた。
例えば練習をしたり、音楽を聴いたり、、そういう音楽に関わる事だけが自分の音楽を高める事だって思ってたんだよ。でもやっぱりそうじゃなくって、、まあすごい簡単に言ってしまうと"人生経験"が音楽にかなり影響すると思うのね。だから頭に来る事、悲しい事、楽しい事、悔しい事、、、色々あると思うんだけど、そういう一見音楽に関係ない事でも全然音楽と無関係じゃないと思うんだよね。まあ何処でどう繋がるかは後々にならないとわからないと思うけどね。
音楽というのは言ってしまえば感情の表現だ。その音楽はどのような感情を表現しているのか、そしてその音楽で人をどういう気持ちにさせたいのか?という事がはっきりと伝わってくる音楽が"良い音楽"である条件だと思う。
ある程度の理論的なフォーマットに沿ってやれば,、"悲しい曲"、"激しい曲"、"楽しい曲"は簡単に作れる。
しかし、自分自身が感情に乏しい人間ではその楽曲達に説得力を持たせる事は出来ない。
その楽曲達が人の心を通過し、その中にしっかりと留まるようにする為には自らが本気でその感情を堪能し、それをその音楽に乗せて聴き手に伝える事が重要だ。
もちろん、テクニックを向上させたいのであればその為の練習をしないと向上しないよ?(笑)遊んでて巧くなるなんて事は絶対に無いから。でもやっぱりさ、完全にはそうじゃ無いにしても"そそっかしい人"は"そそっかしいリズム"を叩く感じするし、"ドッシリ構えた人"って"ドッシリした重いビート"を叩きそうな感じじゃん?(笑)そういう事だと思う。
"プレイに性格が出る"という事は音楽を演る上でよく出る話ではある。
それはある意味当たり前の話で、音楽以外の仕事や日常の行動などにもその人の性格が色濃く反映されるのは誰もが想像できると思う。
自分の性格や物の感じ方などを音に乗せて表現するには、絶対にテクニックや、ある程度の知識は必要だ。TORU氏はそれを"自身のルーツの研究"という形で手に入れた。
平凡なミュージシャンはこの研究だけで全てが止まってしまう。"音楽理論"という制約の中に囚われ、そこから抜け出せなくなってしまうのだ。
だが、TORU氏はその研究で得たものを単なる知識ではなく、感情を表現する手段として使う所まで消化している。
"音楽を向上させるには音楽だけをやるべきだ"って考えは凄く視野が狭かったんだと思う。まあよくある言い方をしてしまうとね。だから"音楽以外の事も音楽に関係あるんだ"って思うともっと色んな事を観たり聴いたり、体験したり出来るから結果的に出来上がるものが違うんじゃないかなーって思うね。本当に楽しい事を知らないのに楽しい曲なんて書けなくない?上手く言えないけどそんな感じ。
冒頭にTORU氏を"根っからのミュージシャン"と呼ばせてもらった要因はここにある。
ただ音楽を練習、研究する人は単なる"音楽オタク"であって、ミュージシャンでは無い。
本物のミュージシャンとは人生で体験する事全てを吸収し、自らの音楽に落とし込める事ができる人だ。
TORU氏はそのような事が出来て、そしてより一層自分の音楽に人生を落とし込めるように日々自分の人生を生きている。
そう言った部分で、彼が"根っからのミュージシャン"であると自分は思うのだ。
"泣きのギター"って言葉があるでしょ?俺、昔それが全く理解出来なかったの。なんで理解出来なかったか後でわかったんだけど、それは"自分が泣いた事がないから"なんだよ。まあ小っ恥ずかしい話だけど、失恋とかしてめちゃくちゃヘコむと泣きのギターが弾けるようになる!(笑)マジでそういう事だと思う。
このTORU氏の発言が全てを表してくれていると思う。
"練習と研究"を人一倍やってきた彼だからこそ感じ得た"それだけでは得られないもの"、それを心の底から感じれるようになった事がその"練習と研究で得た最大のもの"だったのではないだろうか?
これからも彼には"根っからのミュージシャン"であってほしいと思う。そしてまた、自分自身もそうありたいと思っている。
あとがき
「これ、TORUにもやれば良いじゃん」
この激人探訪の第1回目の取材時、自分が会話の録音ボタンを押してから窪田道元氏が一番に発した言葉がそれであった。
"あいつでやったら絶対これ面白くなるよ"とその時言っていたのだが確かにその通りな内容になったと思う。
今回のTORU氏の話は正直、"書きたい事の大渋滞"を起こしそうになり(笑)、話の構成をどう組み立てるかや、削る部分をどこにするかが中々定まらない時もあった。
だからまだまだ彼の話してくれた事で皆さんにお伝えしたい部分は沢山あったのだが、全てを書いていたら収集がつかなくなるし、読んでる方も消化不良を起こしてしまいそうだったので、やむなく削ってしまった部分もある。
被っている部分もあるにせよ、自分自身の通ってきた音楽とはまた全然別の音楽を通ってきたTORU氏だが、彼と話していて"何か自分と違うな"と感じるところはあまりない。
もちろん全ての部分の価値観が合うという事は無いにしろ、いちミュージシャンとして一緒にやっていけるかどうかは単純な音楽の趣味趣向では測れないのだなと今回話を聞いて思った。
"じゃあそれはどこで測れば良いんだ?"と聞かれたら具体的に上手くは説明できないのだが、記事中に何度か使った"芯"の部分であると思う。
例えば第8章でTORU氏が語っていた"見えているところ"という例えだが、これもまたその"芯"の部分であると思う。
TORU氏との対話は本当にミュージシャンとして為になった。
対話の録音を聴きながら今回の記事を書いていると、自分の中でぼんやりと見えていたものがより鮮明になって見えてきた気がした。
ネットで検索をしてもTORU氏にまつわる記事はあまり出てこない。もちろん、今までメディアでインタビューなどは受けた事はあっても、ここまで彼のことを掘り下げたのは自分が初めてであるように思う。
良いミュージシャンというのは掘り下げれば下げるほど面白い。
そして掘り下げた先にその人の核のような部分を見つけ、それを"文章"という目に見える形にする過程でその"核"が自分の中にも入ってくるような感覚がある。
この感覚を味わっている時がこの記事を書いていて一番楽しい時だし、この激人探訪を書く理由でもある。
今回のTORU氏の記事ではそのような感覚を感じる瞬間がかなり多くあった。
それはきっとこれからの自分の音楽活動において何らかの役に立つだろうし、自分自身の成長、そしてこの激人探訪を書き続ける一つの糧にもなるだろう。
それを与えてくれたTORU氏に感謝したい。
また彼と音楽が出来る日々が来るのを楽しみにしている。
2020/5/22 YU-TO SUGANO