激人探訪 Vol.10 紫煉 ~"聴きたい人がいる音楽"を作る方法~
どうも皆さん、YU-TOです。
激人探訪、いよいよ2桁に突入である。
"もうそんな回数か"と"まだこんなもんか"、2つの気持ちが半々くらいの割合で自分の中に存在する。
書き始めた当初は"とりあえずVol.10までは続けよう"という思いがあった。
そこに至った時、この激人探訪は自分と音楽シーン、双方にとってどんな存在になっているのだろうか?
そんなことを書き進めながら考えたりもした。
正直、音楽シーンにとってこの"激人探訪"がどういう存在になっているのかは自分ではよくわからないし、確信を持って"こういう存在になった!"という答えが出ることなど、恐らく一生無いだろう。
だが、少なくとも自分にとって、この"激人探訪"は無くてはならない存在になってきている。
様々な"激人"から執筆を通して学ばさせて頂いている事も多いし、"音楽"という目に見えないものが持つ可能性と力を、もしかしたら実際に音楽を演る以上に、この激人探訪の執筆を通して感じ取れているかもしれない。
今回のVol.10は、取材前からきっとそんな"学び"が深い回になるだろうと予想していたし、実際に人としても、いちミュージシャンとしても色々な事を学べた回になったと思う。
そんな多くの事を学ばせてもらったVol.10のゲストは、Unlucky Morpheusのギタリスト&メインコンポーザーであり、創始者でもある紫煉氏だ。
正直、彼ほどのミュージシャンを深掘りさせてもらうのは楽しくはありつつも、少しばかり大きいプレッシャーを感じる。
ヴァイオリン等のオーケストレーションが多分に盛り込まれたオリジナリティ溢れる音楽を、精力的に世に送り出し続ける作曲能力の高さ。
そしてバンドのブレインとして、その音楽を"どう世に広めていくか"という事をしっかりと考察して行動に移し、結果を残していくという"地力"の高さ。
紫煉氏の持つミュージシャンとしてのポテンシャルとバンドを動かすリーダーシップの高さは、その活動を側から見ていても十二分に伝わって来ていたし、仁耶氏やFUMIYA氏といったUnlucky Morpheusの他メンバーの取材を通して、彼が周りの人間からも絶対的な信頼を得ているという事を感じてもいた。
そんな紫煉氏の事を、この"激人探訪"を読んでくれている皆さんにどう伝えれば良いのか?
そんな事を色々と考えつつ、先日発売されたUnlucky Morpheusの最新アルバム、「Unfinished」を聴いて取材までの何日間かを過ごしていた。
自分と紫煉氏は初対面というわけではないのだが、しっかりと話をした事があるという間柄でも無かった。
実は、紫煉氏は自分が通っていた専門学校"MI JAPAN"の先輩でもあり、在学中も何度か顔を合わせた事があったり、アンサンブルの授業で一緒に演奏をした事もある(曲はMEATALLICAのBatteryだったはず、、 笑)。
Undead Corporationのライブにも一度来てくれた事があったし、そこで"お久しぶりですね"程度の挨拶をした記憶があるが、紫煉氏と面と向かって音楽について話をするのはこの取材が初めてであった。
今回、初めて紫煉氏としっかりと話をしてみて第一に感じた事は、彼は本当に音楽を愛し、音楽を学び続けているという事だ。
"そんな事は音楽演ってるんだから当たり前だろ"との声が聞こえてきそうだが、実は全くもって当たり前の事ではないし、"真剣に音楽を愛して学び続けられる"というのは、極端な事を言ってしまうと"それさえあればプロになれる"くらいの立派な才能だ。
当たり前の話だが、"音楽活動"というのは音楽だけを演っていれば良いというわけではない。
お金の事、人間関係、自身のプロモーションや今後の展望、、、それらの事を引っくるめた一連の活動が"音楽活動"であり、正直、"音楽を演る"という根本すらいつの間にか忘れてしまう事も多々ある。
そんな雑多な事に埋もれ、自分が本当に追求したかった事や、自身が抱いていた音楽への愛が次第に薄まっていってしまうミュージシャンも世の中には多い。
しかし、紫煉氏は違う。
その雑多な事をバンドのリーダーとして人一倍考え、こなしていきつつも、彼を突き動かしているのは紛れもない音楽への愛と探究心であり、常にそこが確固たる芯としてブレずに存在している。
今回の激人探訪では、そんな紫煉氏の音楽に対する愛と、常に進化を求め続ける探究心を余すことなくお伝えすることが出来たらと思う。
いつも通り前置きが長くなってしまったが、そろそろ本編に入ろう。
第1章 ピアノとトランペットが与えた音楽的下地
紫煉氏は5歳からピアノを習い、学生時代は吹奏楽部でトランペットを演奏するなど、音楽と密接に関わる少年時代を過ごしていた。
そんな物心つく前から楽器演奏に慣れ親しんでいた紫煉氏だが、一番最初のピアノに関してはそれほどの熱量で演奏していたわけでは無いそうだ。
もう本当にただの"遊びの習い事"というか、"あわよくばクラシックピアニストに!"とかそういうのじゃ全然なかった。1週間ごとに町のピアノの先生が家に教えに来てくれるって形だったんだけど、俺はやる気のない生徒で1週間何も練習しないまま次のレッスン日を迎えたりもしてた(笑)でも優しい先生で、俺がそんな感じでも全然怒られた事がなくて、それが逆に良かったなって思う。ピアノを弾く気が湧かないまま1週間経ってしまうって事がしょっちゅうだったけど、決してピアノを嫌いにはならなかったから。
この時点での紫煉氏は、まだそこまで音楽に対して興味があるわけではなかったようだが、そんな先生の優しい見守りの成果もあって、ピアノの演奏自体はやる気に波がありつつも、決して嫌いではなかったようだ。
そんな優しい先生のおかげで(笑?)紫煉氏は楽器演奏を嫌いにならずに済み、中学に進むと吹奏楽部に入部する。
ピアノは中学までは続けて、中学からは吹奏楽部に入部してトランペットを演る事になったんだよ。吹奏楽部の方は、まあまあ真剣にやってて県大会とか各学校のコンクールとかにもちゃんと出たりしてたし、毎日練習にも行ってたね。
そんな割と真剣に演っていたという吹奏楽部でのトランペットの経験は、後の紫煉氏の音楽に何か影響は及ぼしたのだろうか?
やっぱりロックミュージシャンとかで、トランペットだけで何曲も演った経験のある人ってなかなかいないと思うんだよね。ピアノを演ってた人は割といるとは思うけど、そことプラスしてそれ以外のオーケストレーションの中の個別の楽器を演った経験というのは、対旋律とかを入れるのが好きだったりする自分の音楽の作り方の価値観に影響してると思う。吹奏楽は厳密に言うとオーケストラではないけど、オーケストレーションに対する興味というのが生まれたし、それがずっと役立ってるかなとは思う。
Unlucky Morpheusのサウンドは、他のバンドサウンドとは一線を画すサウンドである事は一聴しても明らかだ。
ヴァイオリンなどのバンドサウンド以外の様々な音が、絶妙な配分で効果的に覆い重なって曲を盛り立てる見事な楽曲アレンジは、そう容易く作れるものでは無い。
もちろん、後天的に音楽理論などを勉強し、オーケストラ的なアンサンブルをバンドサウンドに取り入れることも可能だが、メタルサウンドの中にクラシック音楽のような壮大なサウンドスケープを違和感無く取り入れる事ができるのは、紫煉氏の中に吹奏楽を経験する事で培ったオーケストレーションへの自然な理解があるからなのだろう。
紫煉氏は、オーケストレーションを"理屈"として理解出来るだけでなく、"感覚"としても理解が出来るのだと思う。
その"感覚"の理解が、現在のUnlucky Morpheusのサウンドの重要な下地になっているのでは無いかと個人的には思う。
第2章 人生を変えた図書館での出会いとMI JAPANへの進学
やる気の無かったピアノとは裏腹に、吹奏楽部での活動には熱を入れていた紫煉氏。
中学3年になり、吹奏楽部が強い高校への進学を目指し、日々図書館で勉強に勤しんでいた紫煉氏であったが、その高校に入学しても結局、吹奏楽部には入らなかった。
それは何故だったのか?
その理由は図書館での勉強中に、この"激人探訪"に幾度となく登場しているあの"モンスターバンド"と出会ってしまったからだ。
高校受験に向けて図書館に勉強しに行っててね。そこにCDプレイヤーを持って行って、そこの図書館にあるCDを色々貸りて聴きながら勉強してたんだけど、ある日、名前だけ知ってたXを何となく貸りて聴いてみたら本当に衝撃を受けて。激しい音と美しい音のミックスというか、、芸術音楽的な洗練された感動できる音楽に、今まで聴いたことが無いような激しさが合わさってて、"こんな音楽があるのか!"っなった。とにかくギターソロがすごい速くて、"うわ!カッケェ!俺はこれが演りたい!"って思っちゃって"受験終わったらギター練習しまくるぞ!"って高校入ると同時くらいにギター始めたんだよね。一応コンクールとかにちゃんと出るような吹奏楽部が強い高校に入ったんだけど、Xを聴いてからはもう"俺はギターを演るんだ!"ってなっちゃって、結局その高校に入っても吹奏楽部には入らずにギターを演ってたって感じだったね。
本当に、Xというバンドはどれほどの数の少年達の人生を変えれば気が済むのだろうか?(笑)
この当時、Xは既に解散していたはずだが、解散してもなお、多くの人達の人生に影響を与え続けるXの、もはや人智を超えた影響力には毎度本当に驚かされる。
そんなXに影響されてギターを手にした紫煉氏は、プロになる事を志し始め、ただひたすらにギターの練習に精を出す。
軽音部は無かったんだけど、学校内で一応練習は出来たからミニアンプ持ち込んで友達と弾いたりはしてたね。あとは学校外の友達とバンドやってみたり、学園祭に出てみたり、ティーンズミュージックフェスティバルに出てみたり、、、。一応、コピーだけじゃなくてオリジナルも作ってみたりはしてて、当時はハイトーンで歌えるボーカリストが周りにいなかったから"メタル"というよりはJanne Da Arcみたいな感じのヴィジュアル系とかJ-ROCKっぽさのある曲を作って演ってたかな。高3くらいからはライブハウスで演ってみたりもしてたけど、本当に友達が観に来てくれるくらいのレベルで、ただ闇雲に演ってるだけって感じだった。でも練習は超しまくってて、その時からゆくゆくは音楽のプロになるつもりで練習してたね。
自身のバンドを組み、オリジナル曲の制作もやり始めてプロへの道を模索し始めた紫煉氏が次に進んだ道は、音楽の専門学校、MI JAPAN(通称MI)に通い、本格的に音楽の道を極めるという選択だった。
その当時"YOUNG GUITAR"を読んでて、やっぱりYOUNG GUITARってMIとの絡みが深かったから、それでMIに興味が出てきて夏休みに体験入学に行ったんだよね。理論的な事とかは高3の時に学校で音大に行く人達向けのコースがあって、その中で一緒に勉強してたから体験入学でやるくらいの範囲はその時から分かってはいたんだけど、でもやっぱ音楽って本に載ってない学ぶべき事もいっぱいあって、MIはそういうのを沢山教えてくれそうだなって思ったかな。他の学校の体験入学とかは一日で完結してたりする事が多かったけど、MIは具体的な内容までは覚えて無いんだけど、すごい実践的な事を数日掛けて教えてもらったりして、それがスゴい楽しいって思った記憶があるかな。
その体験入学をきっかけにして入学を決め、高校卒業後に通い始めたMI JAPANであったが、ここで学んだ事はやはり多かったと紫煉氏は話す。
まず、周りの他の生徒達があまり積極的じゃなくてね(笑)"俺って結構アグレッシブなんだな"って知ったというか(笑)自分は全校生徒の中で少なくとも5本の指に入るくらいちゃんと学校に行ってたし、受けれる授業は全部受けてた。やっぱりここに居られるのは2年間だけなんだから、ここで学べる事は全部学びたかったし、やれるだけの事は全部やりたいって思ってた。本当に沢山の事を学べて、何か"これを学べた"って一言で言うのは難しいけど、"良い音”を出してくれる先生が身近にいてくれて、その音を毎日聴けたっていうのが良かったかな。自分はある程度の下地があったから理論的な事は大体知ってはいたけど、家だけで演ってるだけじゃ気付けない事ってやっぱりあるから。"良い音"がどういう風に出てるのかってやっぱり生じゃないとわからないし、日常的に上手いミュージシャンの人達の音とか、その人達の音楽に対する価値観の話を聞けたりっていう環境がすごい良かったなって思う。
前述の通り、自分もこのMI JAPANに通っていたのだが、紫煉氏は自分の1年上の代の先輩で、当時は"とにかく毎日学校にいる人"という印象がある人だった。
時に1年生のアンサンブルの授業にも顔を出して演奏していて、必須でない科目の授業も積極的に受けていたという印象がある。
自分で選んだ道なのだから積極的に学ぶという事は当たり前な事ではあるが、やはり紫煉氏は、もうこのMI JAPAN時代から"学ぶ事"、"自身を進化させる事"への意欲が人一倍あったように思う。
そしてそれは今でも変わらない。
誰よりも貪欲に様々な音楽を吸収し、それを自分のものにしていこうとする姿勢は彼の話の節々から伝わってくる。
紫煉氏の持つ超絶的なギターテクニックと、類い稀な作曲センスは、この"アグレッシブで積極的"な学びの姿勢で形成されていったのだろう。
第3章 Unlucky Morpheusの発足
MI JAPANでプロミュージシャンの講師達から様々な事を学び、自身の音楽性をさらに深めていった紫煉氏。
卒業後は自身のバンドを持ちつつも、スタジオミュージシャン的な活動もするマルチなプレイヤーになりたいというビジョンを持っていたというが、卒業後の2年間は手探りでの活動であったという。
しばらくはバイトしたりしながら自分のバンドをやろうとはしてたんだけど、その時はまだ、本当に何ともならない感じでただ闇雲に演ってただけだったね。それでしばらくしたら、MI時代の友達から誘いがきてアニソンのカバーイベントとかでプレイするようになったんだけど、そこは自分のバンドとは違ってお客さんがいっぱい入ってたんだよね。そこで自分が気付いたのが、まずライブにお客さんが来るのって、やっぱり何か"目的がある"っていう事。"何か良いバンドいないかな"っていう感じでお客さんがライブに来るって事なんてほぼ無い。例えばそのアニソンのカバーイベントだったら、"そのカバーをする曲を実際に歌ってる声優のファンが来る"っていうようなちゃんとした"意志"があるようなイベントで、そういう"意志"があるところじゃないとお客さんは来ないんだなって気づいて。当たり前の事ではあるんだけど、今まで闇雲に演ってるだけじゃ全然気付けなくて、そこで初めてそういう事に気付けたんだよね。"俺のギターを聴いてくれ!"だけじゃなくてその前段階がないとダメっていうか。そういう事を学びつつ、そこからヴィジュアル系バンドを自分で立ち上げてやったりとかもしてたかな。卒業して2年くらいはそういう感じで活動してた。
音楽活動というのは博打的になってしまいがちである。
"とりあえずライブハウスに出まくってたらチャンスがあるんじゃないか?"
"とりあえず良い音楽で上手い演奏が出来ていれば人の目に止まるはずだ!"
というような闇雲な活動は積み重ねが効かず、やればやるほど自分の首を締めていくという事は往々にしてある。
多くの人に観てもらいたいのならば、自分の音楽をどの層にアピールしたいのかを考えたり、どうやったら自分の演っている事が大勢の人に届くのかをまず考えて、その為の行動と準備をまずはしなければならない。
紫煉氏が気づいたのはそういう事だったのだろう。
そんな事に気付かされつつ、アニソンカバーバンドと、自身のヴィジュアル系バンドで"意志"を作り出す模索をしていた紫煉氏だったが、ある突然の出会いが、後のUnlucky Morpheusに繋がっていくことになる。
MI JAPANって毎年卒業制作でCD作ってたじゃん?それをLIGHT BRINGERのHibiki君がどこかで聴いたらしくて自分に連絡してきてくれたのね。全然知り合いではなかったんだけど会って話してみて、"何か一緒に演りたいね"ってなってアニソンカバーのバンドを一緒にやることになったんだよね。それでボーカルとしてHibiki君がLIGHT BRINGERのふっきー(訳注:Unlucky Morpheus Vo Fukiの愛称)を連れて来る事になったのが、ふっきーと出会った最初のきっかけ。
ここでもし、Hibiki氏が別のギタリストを気に入り、そちらの方にコンタクトを取っていたらUnlucky Morpheusは生まれていなかったと思うと不思議である。
そこから10年以上、紫煉氏はFuki氏と活動を共にする事になるが、最初にFuki氏に感じた印象はどのようなものだったのだろうか?
やっぱりハイトーンボーカルはずっと探し求めてて、女性ボーカルとはいえ、ふっきーは普通の女性よりも圧倒的に高くて強い声で"こういうボーカリストと演りたかったんだよね"って感じだった。その時はまだ未熟っていうか若かったけど、"力強さ"みたいなのはしっかり持ってたしね。あと作詞をちゃんと出来る人って当時一緒に演ってた人の中ではあまりいなかったんだけど、ふっきーはその時からちゃんと作詞をしてて、好印象というか、良いなって思ったな。
Unlucky Morpheusにおいて、Fuki氏の力強くも伸びやかな圧倒的歌唱力で歌われるメロディは最大の武器である。
もうこの時、Fuki氏はLIGHT BRINGERで活動していたので、歌唱も作詞もある程度ハイレベルであった事は当たり前なのだが、そういった事を差し引いても感じ得る特別なセンスと実力を、紫煉氏はFuki氏から感じていたのだろう。
そんなFuki氏に可能性を見出した紫煉氏は、彼女と共に音楽を作っていこうと決意する。
最初はニコニコ動画にその当時流行ってた「涼宮ハルヒの憂鬱」の劇中歌の"God knows..."のメタルアレンジを作って上げてみたんだよね。それがニコ動内で割と盛り上がって当時、結構流行ったりしてね。その後に東方アレンジの存在を知って"俺もやりたい!"って思って、ふっきーを誘って"Unlucky Morpheus"を立ち上げたって感じ。
最初期のUnlucky Morpheusは、あくまでも紫煉氏とFuki氏を中心とした"音楽プロジェクト"という形で始まっており、決してそれは"バンド"と呼べる形態では無かった。
しかし、現在のUnlucky Morpheusはメンバー1人1人が強烈な個性を発し、それが1つに集約され爆発したような、理想形とも言える歴とした"バンド"という存在になっている。
どのような経緯を経て、Unlucky Morpheusは"プロジェクト"から"バンド"へと変貌を遂げたのだろうか?
第4章 バンドスタイルへの変貌
現在はそれぞれのパートをしっかりとスタジオでレコーディングする音源制作が主となっているUnlucky Morpheusだが、立ち上げ当初はボーカル以外の全てのパートを紫煉氏が担当する"宅録"で音源制作をしていた。
最初のドラムとかは打ち込みだったね。一番最初にプレスのCDで出した「REBIRTH」とかは音源制作ソフトをCubaseからDigital Performerに変えて制作してたんだけどドラムの打ち込みのやり方がわからなくて、ビートのサンプル音源を1つ1つ繋ぎ合わせてドラムトラック作ったりしてた(笑)
何とも初々しいエピソードだが(笑)
自分が所属するUndead Corporationもそうであったように、当時のUnlucky Morpheusはあくまでも"東方Project"というゲームで使用されている音楽のカバー音源を制作するという活動が中心だった。
この"東方アレンジ"と呼ばれる1つのシーンは今なお人気で、この時代からUnlucky Morpheusを知っていたという人も少なくないと思う。
そして、2009年10月に行われた東方Projectのイベントで、初めてバンド形態でのUnlucky Morpheusのライブが披露される。
このライブは、紫煉氏にとって未だに忘れ難い大きな衝撃を与えたという。
2009年の夏頃に、バンド形態で東方アレンジをやってるプロジェクトを集めてイベントをやるから、あんきもにも出て欲しいっていうお誘いをもらったんだよね。それで"やってみたいな"って思って周りの友達のミュージシャンを集めて、10月に1回ライブをやってみる事にしたんだよ。ベースは今と同じ小川君で、ギターはその時LIGHT BRINGERで弾いてたSeiya、ドラムはDragon Guardianっていうプロジェクトでサポートやった時に知り合ったK野君で、キーボードは俺の友達のコウヘイさんって人に演ってもらってっという編成だったかな。それで、そのライブが今思うとスゴい衝撃的だったんだよね。その時はまだ、あんきもを結成して1年くらいだったんだけどライブで泣いてるお客さんがいっぱいいたの。それで"これは何か特別な事なのかもな"って思えて、、今考えるとそれは特に感じるかな。当時はまだ若くて1年が長く感じてたし(笑)もうその時点で作品を4〜5枚出してたから、もうそれなりにあんきもを長くやってきた気になってて、そういう実感はあまり無かったけどね。でもとにかく"ライブやって良かったな"って感じたな。
このライブで紫煉氏は、Unlucky Morpheusへの確かな手応えを感じつつも、直ぐに"バンド編成で活動する!"となったわけでは無かったそうだ。
現在の編成が出来上がったのは、意識して正式メンバーを探したというわけではなく、たまに演るライブのサポートメンバーを固めていった上での事であったという。
曲は基本、全部自分1人で作ってたし、まだライブ1回やっただけだったから"バンドにしよう"っていうビジョンが特にあったわけでは無かったかな。今のメンバーも固定のサポートメンバーを見つけていくって形で声を掛けて集めていって、本当に徐々に何となくバンドになっていったって感じだったしね。
徐々に何となく、あんなにも個性豊かなメンバーで構成されたバンドが出来てしまうとは、なかなか凄い事であると思うが、、(笑)
しかし、最初から"バンドにする!"という目的に縛られず、"こいつは良い!"と思えるミュージシャンを自由に集めて、自分の曲を演奏してもらうというメンバーの集め方の方が、もしかしたら個性的で実力のあるメンバーが集まりやすいのかもしれない。
完全に体が空いてる魅力的なミュージシャンなどいない。
だからこそ、"俺と一緒にバンドやってくれ!"というよりは"俺のプロジェクト手伝ってくれない?"というふうにメンバーを集めた方が、誘われる側もある程度気軽に参加する事が出来るし、結果的に凄腕で固められる事にも繋ってバンドのクオリティも上がる。
そういうメンバーの固め方だったからこそ、現編成の個性豊かなUnlucky Morpheusが生まれたのではないかと思う。
紫煉氏は、今のUnlucky Morpheusを構成するメンバーにどのようにして出会い、どのような所に魅せられて声を掛けていったのだろうか?
第5章 紫煉氏から見た"あんきも"メンバー
Unlucky Morpheusは、メンバー1人1人の個性が際立っているタイプのバンドだ。
バンド自体が1つの塊となって威力を発揮するバンドもあるが、どちらかと言うとUnlucky Morpheusは1人1人が違う個性を発揮し、それぞれの独立した求心力が1つにまとまり、音楽を奏でているという印象がある。
色で例えるのならば、各メンバーの色が混ざり合って1色になって輝くのではなく、各メンバーの色が隣り合い、虹色になって輝くというイメージだろうか?
そのような絶妙な色合いのバランスが取れているのは、やはり紫煉氏のコンポーザー力があってのものだと思うのだが、そんな紫煉氏は、この個性豊かなメンバー達のどこに惹かれて声を掛けていったのだろうか?
まずは紫煉氏とツインギターのタッグを組む仁耶氏。
激人探訪 Vol.7のゲストで仁耶氏に登場してもらった際、紫煉氏は前々から彼のギタープレイに目を付けていたという話を仁耶氏から聞いていたが、実際のところはどうだったのだろうか?
当時、あんきもで叩いてたK野君が観に行ってたイベントで炭酸君(訳注:仁耶氏の愛称)のプレイを観たらしくて、"何か若くてスゴいの弾いてた面白いギタリストがいてさ"って話してて。それでその後に炭酸君が当時弾いてたバンドと対バンする機会があって、観てみたら確かにスゴい巧くてね。"若いのに凄いなー"って思った。高校生なのに"ちゃんとギター弾いてる"って印象で、速弾きも凄い上手だった。とにかくメカニカルなフレーズが凄い巧かったよね。その時はSeiyaが固定のサポートでいたし、Seiyaもすごい巧かったからすぐには声掛けなかったけど、しばらくしたらSeiyaがサポートを辞めるってなっちゃってね。だからそのタイミングで"あの時のボウズに声を掛けてみようかな"って(笑)炭酸君に連絡したんだよね。
何故、仁耶氏が高校生という若さで紫煉氏を唸らせるテクニックを身につける事が出来たのかは、"激人探訪 Vol.7"を参照して欲しいが、やはりこの時、紫煉氏は仁耶氏のテクニックに驚愕していたようだった。
紫煉氏にとって、仁耶氏は"息子"のような存在であるそうだ(笑)
当時まだ高校生だった仁耶氏を見出し、彼が1人では学び得なかった音楽のイロハを教えて成長へと導いていったという自負が紫煉氏にはあるのだろう。
先輩後輩、師弟関係、どれとも違うような何とも面白い関係性である。
一方で、ベースの小川 洋行氏は年齢的にも対等な間柄で、紫煉氏と最も長い付き合いがあるメンバーである。
小川氏と紫煉氏は、MI JAPANに入学した当初からの仲で、前述の通り、小川氏は Unlucky Morpheusの初ライブからベースを担当してきた人物だ。
彼とはMI時代から仲は良くて、在学中もその時やってたバンドのサポートで弾いてもらったり、一緒にジャズバーに演奏しに行ったり、、そういう感じで在学中から一緒に音楽演ったりしてたんだよね。1年の最初の頃から俺に目を付けてくれてて、"俺、北海道から友達と出て来てて上手い奴と一緒に演りたいからこれから一緒に色々演ろうよ"って声掛けてきてくれてね。その時からの交流って感じかな。
自分は小川氏と直接的な交流はないが、紫煉氏と同じで、彼も自分のMI JAPANの1年上の先輩である。
在学当時から故・藤岡幹大氏のTRICK BOXに参加したり、セミナーなどではゲストミュージシャンとセッションしたりするなど、積極的で目立った活動をしている生徒であった印象だ。
そんな積極的な姿勢が学生時代の紫煉氏と共鳴し合い、2人の交流をより深めたのかもしれない。
そんな小川氏とUnlucky Morpheusの根底を支えるのは、激人探訪 Vol.8のゲストでも登場して頂いたFUMIYA氏だ。
Vol.8の記事内でFUMIYA氏が発言していた通り、彼が以前参加していたFluoriteでFuki氏がサポートボーカルを務めたことがあり、そのビデオを観た紫煉氏がFUMIYA氏を気に入り、連絡をとった事がFUMIYA氏がUnlucky Morpheusに加入した経緯である。
ふっきーにFluoriteをサポートして来た時のライブ映像を観せてもらった時、何かすごい"メタルだな!"っていうドラムを叩いてるふーみんが印象に残ったんだよね。それで2010年と2011年に3本だけ、3部構成の長いワンマンライブを開催しようってなった時に流石にドラムは1人じゃキツイんじゃないかって事になって、それであの時ビデオで観たふーみんに声掛けてみようかなってサポートをお願いしてみた感じだったんだよね。最初にスタジオ入った時、"何かドラムにいっぱい色々並べてるな〜"って思った(笑)俺、ANGRAが好きだったからAquiles Priesterみたいなドラムをやってみたいなーって自分なりに彼っぽい1拍半フレーズとかを打ち込んでみたりしてたんだけど、ふーみんはそれを更に自分なりにアレンジして"それどうなってんの?!"って思うような事も演ってくれて。"これこれ〜!"って感じで、ビデオで観た時よりも初めて一緒にスタジオ入った時の方が"演ってみたかった事を演ってくれる奴が来た!"って感じで印象に残ってるかな。
ANGRAのドラマー、Aquiles Priesterは2ビートを小口径シンバルなどを活用してでポリリズム的に割ったり、ベルでアクセントを付けていくなどのスタイルが特徴的で、FUMIYA氏も強く影響を受けているであろうドラマーだ。
そんなAquiles Priesterのスタイルを継承したFUMIYA氏のドラミングは、紫煉氏の好みにピタリとハマり、その後10年以上、FUMIYA氏はUnlucky Morpheus不動のドラマーとして君臨する事になる。
一方で、まだUnlucky Morpheusに加入して数年程しか経っていないものの、抜群の存在感を放っているのがヴァイオリニストのJill氏である。
ヘヴィメタルバンドにヴァイオリニストがいるという編成もかなり珍しいが、華のあるゴシカルなルックスで、高速ギターソロとシンクロするヴァイオリンを余裕で弾きこなす超絶テクニックは一度観たら忘れられないインパクトがある。
Jillさんは自分が妖精帝國にいた時のライブでオープングアクトとして出てたグループのサポートで弾いてるのを観た時が最初の出会いかな。すごい巧いし、ファッションとかも世界観があって凄いカッコ良くて衝撃を受けたんだよね。それがずっと印象に残ってて、「VAMPIR」を制作する際に生ヴァイオリンを録りたいって事になって連絡したのが加入のきっかけだったね。
このように、Jill氏の持つスター性には紫煉氏も初見から衝撃を受けたと語っているし、近年におけるUnlucky Morpheusは、彼女のヴァイオリン無しでは成り立たないような楽曲が多くなってきている。
ライブでのギターとヴァイオリンの壮絶なソロの掛け合いは、Unlucky Morpheus以外では、まずお目にかかれないパフォーマンスであると思うし、他バンドとの差別化という意味でも、Jill氏は今後のUnlucky Morpheusにおいて欠かせないメンバーの1人であると思う。
このように、Unlucky Morpheusは中心メンバーであるFuki氏と紫煉氏以外のメンバーも非常に魅力的で、華のあるミュージシャンが揃っている。
時にそのような"スーパーバンド"は、メンバー同士の個性が喧嘩し合い、結果的に個性の押し潰し合いになってしまうケースも多いように思う。
しかし、Unlucky Morpheusはリーダーである紫煉氏の"その人の個性をどう活かすか"という的確なプロデュース力と、その個性を楽曲に投影させる作曲力の働きによって、5つの異なる個性が1つの魅力的な集合体として輝きを放つ事が出来ている。
そのような、"個を見る力"と"全を見る力"、その2つを兼ね備え、バランス良く自身の音楽に活かせる人間力も、紫煉氏の魅力の1つだろう。
第6章 妖精帝國での"リードセカンドギタリスト"活動
Unlucky Morpheusに加え、妖精帝國での活動も紫煉氏を語る上では外せないキャリアの1つだ。
メタルとアニメソングをミックスしたような曲調を基本としながらも、クラシックやテクノなどの様々な音楽スタイルをアクセントとして加えていくオリジナリティ溢れる楽曲で、国内外問わず高い人気を誇るバンドである。
紫煉氏はこの妖精帝國に2013年から参加した。
あんきもの活動と並行してずっとヴィジュアル系バンドをやってたんだけど、そのバンドが解散することになっちゃって。丁度そのタイミングで妖精帝國のオーディション募集を見つけて、"やってみるかな"ってオーディションを受けてみたんだよね。
そのオーディションの末、紫煉氏は最終選考まで勝ち進み、ギタリスト兼"曹長"として(訳注:妖精帝國はメンバーにそれぞれ階級がある)妖精帝國に加入する事となる。
Unlucky Morpheusでは、バンドの創始者で、運営面も管理するリーダーとしてバンドを牽引してきた紫煉氏だが、途中加入した妖精帝國での活動に最初はどのような印象を持ったのだろうか?
やっぱりリーダーであることとそうじゃないって事は大きな違いだったかな。あとは"自主かメジャーか"って所とかもそうだし、色々な面において違ったね。例えばマネージャーがいるだとか、タイアップとかがあったり、自主だとなかなか出られないようなフェスに出演出来たりだとか、、。でもどっちがやりやすい、やりにくいみたいなのはそんなに無かったかな。とにかくその環境でベストを尽くすってだけだった。
今までの環境との違いも感じつつも、その中で自身が出来る事のベストを常に考え、行動していった紫煉氏。
紫煉氏の立場はリーダーでこそ無かったが、持ち前の積極性を失わず、自らが妖精帝國の良い変化になれるように、出来うる提案と努力は惜しまなかったという。
リーダーでは無かったかもしれないけど、バンドをより良くするために自主的に発言したりはしてたかな。メイクとか衣装の事とかも"もう少しこうしたい"っていう意見を出したりはしてたしね。今思うと"その時の状況だと仕方なかったかな"って事もあったんだけど、自分なりに良くする為のアイデアとか提案はさせてもらってた。
紫煉氏は自らがUnlucky Morpheusを動かしているからこそ見えてくる事も沢山あり、恐らくそれは妖精帝國にとってもプラスに作用していたのではないかと個人的には思う。
自らが中心に立ち、主体的に物事を動かす人間の言う事は大体において正しいものだ。
また、妖精帝國の紫煉氏はギタリストというだけではなく、作曲者の1人としての役割も担っていた。
妖精帝國でも曲を作ってはいたけど、"バンドの音楽性を自分だけではコントロールしない"っていう部分ではあんきもとは違ってた。"こうしてみたいな"って思っても"そうじゃない"って時とかもあったし。でもそれはそれで面白いって思ってたんだよ。MIの時からスタジオミュージシャン的なプレイヤーとしてもやっていきたいって思いもあったしね。自分が良いって思う方向性は試してみるけど、"それじゃなくてこういう方向が良い"ってなったら"じゃあその方向で考えてみよう"って切り替えて、与えられた額縁の中で自分を表現して良い仕事が出来ればいいって考えて演ってたかな。妖精帝國でもリードギタリストだったけど、音楽性的な部分ではセカンドギタリスト的な気持ちでやってて、、"リードセカンドギタリスト"みたいな(笑)でもそれはそれで楽しんでたし、不満があるわけでは全く無かった。並行して演ってた電気式華憐音楽集団とかも同じようなスタンスでやってたかな。でも、あんきもと二本立てだからそれでも良いって思えてたのかもしれないっていうのはちょっとある。それだけだったら"自分のアートを演りきれない"って思いも出てきてたかもしれないなって今思うと感じるけどね。でもまあ、それはそれで楽しんで演ってはいたよ。
紫煉氏は、妖精帝國への参加でもたらされた"与えられたものにどう応えていくか"という現場を、自身が持つポテンシャルを存分に活かして自らの成長に繋げていった。
2013年からの数年間、紫煉氏は常に自身が表現したい音楽、ギタリストとしての可能性、両方と対峙して人一倍精力的に音楽と向き合い続けてきた。
彼の持つ常軌を逸した超絶ギタープレイと、層の厚い音楽知識は妖精帝國を始めとした様々なアーティストの音楽に変革をもたらしたのだろうと感じるし、彼が国内トップの腕を持つギタリストに登り詰めるのは時間の問題であっただろう。
しかし、そんな過剰なまでにギターと向き合い続ける日々を送る彼の身体は、もはや限界寸前のところまで追い込まれていた。
第7章 与えられた試練と贈物
2018年、紫煉氏は妖精帝國を脱退する。
原因は2016年から悩まされていた腱鞘炎の悪化だ。
当時、かなりレコーディングが忙しくて短期間で結構な量の曲数録らないといけないスケジュールだったからそこで爆発しちゃったんだよね。3時間弾き続けた時にくる疲労が20分くらいで来ちゃう感覚というか、、そういう感じだった。それで、もうこのまま闇雲に弾き続けてたんじゃダメだって思って。それで"ドクターストップ"というか、"自分ストップ"というか、、ギターを弾く量を極端に減らす為に、活動スタイルを変える必要があると思った。
療養期間を設ける事を余儀なくされた紫煉氏は、Unlucky Morpheus以外の在籍バンドを全て辞め、Unlucky Morpheusでも大部分のギターパートを仁耶氏に任せ、自身はボーカルと作曲を中心とした活動をするようになる。
自身の最大の武器が取り上げられてしまう形になってしまい、それは引退にも繋がりかねない事だとも思うのだが、この時紫煉氏は何を思っていたのか?
ギタリストとしてこれからどうなるのかっていうのは凄い心配だった。だけど音楽自体はずっと自分のやってる事で、今さら会社に入って外回りしたところで俺には何も出来ないし、それだったら騙し騙しじゃないけど、、手は痛くても普通の人よりはギター弾けるだろうし作曲も出来るから、今の現状に合わせた音楽活動をやっていこうとしか考えてなかったな。"麻雀プロになろうかな"とはちょっと考えたけど(笑)でも自分の中ではその時めちゃくちゃ精神的に辛くて、、。全然表には出て無かったみたいだけどね。でも、結局立たされた状況に合わせてやっていくしかない。"ギター弾けない"って言ってるだけでどうなるんだ?って話で、自分で弾かないなりにも活動は続けようって。仁耶だって良いギタリストだし、俺が弾けないところは仁耶に弾いてもらえばいいわけだしね。今までは"ギタリストとしての自分を育てよう"って意識だったけど、これからは"あんきもっていうバンドを育てよう"って意識に自分を持って行って、そういう視点でバンド活動を続けていこうって考えになっていったかな。
自身の最大の武器であったギターを弾く事が出来なくなってしまったこの時の紫煉氏の気持ちは筆舌に尽くし難い。
しかし、自分の中の全てを失ったというわけではない。紫煉氏は発想を転換し、作曲やボーカル、バンドの運営などの自身の中にまだある"柱"に注力し、そこに的を絞っていく。
自分の場合は治るかもしれなかったしね。本当に治るかはわからないけど、"無いものは仕方ない"って感じで経過を見ながら、治るまではこのやり方でやっていこうって。止まってる方が不安になるかもしれないしね。むしろ自分の中で"こういう状況でも俺は出来るんだ"って自信が欲しかったのかもしれない。"俺は止まらねぇーぞオラァ!"みたいなのが(笑)
紫煉氏は、本当の意味でとても前向きな人であると思う。
自身が不利な状況に立たされた時、"何も行動せずにふさぎ込んでしまう人"と"出来ないなりに行動する人"、その他にもう1人、"前向きな発言はするけど行動はしない人"の3種類の人間がいると思う。
実は最後の人間が一番厄介で、自分が実はネガティブであるという自覚がこのタイプの人にはほぼ無い。
紫煉氏は、ただ"弾けないなりの事をやるしかない"と言葉だけで言っているのではなく、その"弾けないなりの事"を全て実践しており、その実践の結果、Unlucky Morpheusは今まで以上に精力的な活動を続ける事が出来ている。
もちろん、他メンバーの頑張り(主に仁耶氏)もあってのものだとも思うが、そんなポジティブな姿勢を言葉だけではなく、しっかりと行動で見せる事が出来るリーダーがいるからこそ、他メンバーがしっかりと付いてくる事が出来るのだろう。
また、紫煉氏はこの療養期間のリフレッシュが、自分の人生に大きな影響を与えたと話す。
沖縄に3週間くらい旅行に行ってみたんだよね。"自分探し"じゃないけど(笑)もう人生でずーっと音楽演ってきてたから、これを機にちょっと"音楽を演らない"って事をやってみようかなって思ってね。そこで何を得たかっていうのはちょっとわからないんだけど、とりあえず凄い楽しかったんだよね。友達夫婦と半分くらい一緒に過ごして、色々なところに連れてってもらったりして。シュノーケリングをやったんだけど、もう沖縄の海の美しさと言ったらなくて、本当に感動的だった。顔を付けたら水族館みたいな。沖縄では特にそれが印象的だったな、、今までそんなにアウトドアを楽しんだ事って無かったからね。ちょっと脱線しちゃうかもだけど、ミュージシャンって、当たり前だけど音楽やってるだけじゃダメっていうか、、。やっぱりリスナーの人って多くの趣味とか人生の楽しみの1つとして音楽があるんだよね。俺達ミュージシャンは音楽が絶対的に"ドンっ"って自分の中心にあるけど、普通のリスナーの人は映画があったりアウトドアがあったり、色々なたくさんの楽しみがある。だからそういう人達が音楽を聴きたい時ってどういう時なのかっていうのを知らないといけないし、ミュージシャンに興味を持つポイントとかも俺達とは違う。だからそういう人達が音楽に対してどう向き合ってるのかとかを知らないといけないよなって最近思ってて。音楽を凄い勉強してるし、音楽を凄い知ってるのは当然として、その中でファンの人達がそれぞれ"音楽"というものの立ち位置をどういうふうに付けてるのかという事を想像しながら、最近は音楽と向き合ってるかな。
1つの物事を突き詰めることも大切だが、時には思い切ってそれを捨てて、他のことに目を向けることも同じくらい大切な事だ。
今までの音楽漬けの日々から一歩出て、違う世界を見る事が出来た紫煉氏は、本当の意味で視野を広げる事が出来たのだろう。
音楽っていうのは"言語"だから、それを使って"何か"を表現しなきゃいけない。文字を書く事が上手くても、それは"上手い字が書ける"っていうだけで、そうじゃなくて"その文字を使って何を表現するか"っていうところが一番大事なんだと思う。だから表現をする自分の懐の深さがなきゃいけないし、自分の表現に聴いてもらう価値が無いといけない。
自身の内面や思考、価値観や審美眼が投影され、それを第3者に感じ取らせる事の出来る音楽が、本当の意味での"良い音楽"なのだと思う。
この療養期間に沖縄で紫煉氏が見た美しい海の景色や、音楽から切り離されたリラックスした楽しい時間は、抽象的ながらも彼の音楽に何らかの影響を及ぼしたのでは無いだろうか?
もし仮にそうでなくとも、音楽を演っているだけでは絶対に得られなかった経験が出来たことは、彼の人生において忘れがたい大切な経験になった事だろう。
もしかしたら、この大きな怪我は、"音楽の神"が彼に与えたちょっとした試練でもあり、"お前はちょっと休め、その方が良い曲書けるから"という大きなプレゼントでもあったのかもしれない。
もちろん、そんな怪我など経験しない方がマシであったことは百も承知だし、そんな超常的な存在など、この世にはいないことも分かってはいる。
しかし、紫煉氏の話を聞いて思ったのはそんな事だった。
第8章 紫煉氏の作曲論
前述の紫煉氏の発言でもあった通り、Unlucky Morpheusの楽曲は全て紫煉氏が作曲している。
紫煉氏は作曲においてのこだわりを様々なメディアでも発言しているが、彼が作曲をする際に一番意識する事はどんな事なのだろうか?
一番って言うと本当に難しいんだけど、、まず最初に曲のサビとかイントロの断片が出来て、その曲が"求める方向"、"行きたい方向"っていうのがあって、それに合わせて"あんきもで何を演りたいか"っていう"思惑"みたいな部分を加味しながら曲を完成まで持っていくって事かな。あとは本当に数パーセントでも良いから新しい要素を入れる。何かしら新しい要素がないと作る意味がないなって思ってしまうんだよね。同じような曲ばかり作りたくないというか、似てても良いんだけど自分の中で一緒じゃいけないっていうか。
紫煉氏の学生時代から持っている向上心の高さは今でも健在だ。
紫煉氏にとっての作曲は、"自己表現"という面だけではなく、"自身が成長する為の手段"という側面も持っている。
毎回、新しい要素を取り入れていくのはそう簡単な事ではないと思うが、メロディ、リズムなど、具体的にはどのような部分で曲に変化をつけるようにしているのだろうか?
もちろんメロディとかリズムとかもそうだけど、それよりもっと微妙な変化、例えば"新しいチューニングを使ってみる"とかもあるかな。「瀧夜叉姫」からギターのチューニングをちょっと変わったチューニングにしてみたりして、そういうのがあると変化をつけやすくて、結構あの作品はサクサク作れたんだよね。あとは今まで入れた事がなかったシンセの音色を入れてみようだとか、そういう本当にちょっとしたのでも良いから毎回変化をつけようって意識はしてるかな。
今年の4月にリリースされた「瀧夜叉姫」は、和音階を取り入れた今までのUnlucky Morpheusにはなかった新機軸で、新しい日本のヘヴィメタルの形を提示した1曲だ。
どこか不穏な空気が漂う和音階とヘヴィネスが融合したパートと、Fuki氏の歌う憂いを帯びた美しいメロディとのコントラストが絶妙で、下手に取り入れるとコミカルなタッチになってしまう和の要素を、Unlucky Morpheus特有のメロディックスピードメタルに上手くマッチさせている。
毎回変化させるのは本当に自分の為だけにそうしてるって感じかな。単純に同じ曲を作りたくないっていうか。IRON MAIDENよりはJUDAS PRIESTみたいな(笑)それこそSLAYERとかみたいに同じアイデアをひたすら演り続けるバンドも、それはそれで芯が通ってて良いと思うんだけど、俺は変化をつけていかなきゃ新しい曲を作る意味が無いような気がしてしまうんだよね。でもそれって本当に"自分本位"な考え方で、本当は歌詞が違ったりとかすればそれだけで違う曲だから本当は良いはずなんだけどね。でもやっぱりその曲が自分の内にある時点で、何か新しい要素が無いと自分は嫌なんだよね。
曲というものは作れば作るほど自分の中の作曲の方法論が固まっていき、作りやすくなる一方で、俗に言う"マンネリ化"もしてしまうというのはどのアーティストにもある事だと思う。
そして、問題なのは殆どのアーティストがこの自身の"マンネリ化"に気が付かない、もしくは変化をつけていく事を諦めてしまっているという事が多く見受けられる事だ。
そして、それはやがて作曲面だけでなく活動面にまで侵食していき、、というのがアーティストが退化する始まりであるように思うが、それを防ぐためにはもう作曲する時点から"何か新しい変化を入れる"という事を前提に取り組むべきなのだろう。
人間の肉体も同じ負荷を掛けるトレーニングでは成長せず、ちょっとずつでも負荷に変化をつけていく事が必要であるし、それは音楽においても実は同じであるのかもしれない。
紫煉氏は作曲に取り組む際には、毎回"新しい要素を取り入れる"というある種の負荷を自分に課し、本人は意識せずとも、自身の考え方や方法論のマンネリ化を防いでいるのではないかと、この話を聞いて感じた。
Unlucky Morpheusが常に軽いフットワークで新しい活動スタイルとアイデアを提示し、常にファンを楽しませてくれるのは、きっとこのような紫煉氏の新しい事を取り入れ続ける、挑戦的かつ柔軟な姿勢が活きているからなのだろう。
第9章 インスピレーションの源泉
新しい要素の導入に毎回挑戦し、それを具現化していく紫煉氏にインスピレーションを与えるものは多数存在する。
例えば、紫煉氏はロックやメタルだけではなく、クラシック音楽からの影響も受けていると公言しているが、やはりその存在は彼の中で大きいのだろうか?
普通のロックミュージシャンよりは下地にあるってくらいだけどね。でもオーケストレーションとかに関してはまあまあ影響は受けてるかな。今のポップスとかアニソンとかはストリングスが派手な曲も多いから、ある意味ではむしろそういうクラシックを消化してポップスとかに落とし込んでるものに影響を受けてるって感じもあるけどね。でもやっぱり中学の時にトランペットを演ってたから、オーケストラは"コードとメロディ"っていう構造じゃなくて、"それぞれ独立した旋律が折り重なって曲になってる"っていう構造になってるのが分かってて、そういう旋律の組み合わせ方をボーカルに対するヴァイオリンのラインとかのオーケストレーションに活かすというのとかは、自分の中でこだわってるところだね。
メタルの楽曲の中でヴァイオリンを効果的に扱うのはかなり高度な音楽理論が必要になってくる。
少し壮大な雰囲気を出すためのアレンジ程度に入れるのであればそこまで難しくは無いが、Unlucky Morpheusに至ってはヴァイオリンが曲の要になり、時にはギターと同じ位置に立って曲を牽引するパートもあるので、クラシック等の分野の知識がないと、ここまでヴァイオリンを曲中で活かしきるのはやはり無理だろう。
そういうオーケストレーションはロックの人達はあまり意識しないところかもしれないね。そういう意味ではクラシックの影響は強いのかも。例えば"バッハみたいなフレーズを弾く"って事はもはや"ロック"なんだよね。それはネオクラシカルから影響を受けてるだけで、それはクラシックから影響を受けてるとはもう言えないと思う。Yngwie Malmsteenは、パガニーニとかバッハのフレーズをギターで弾いたらどうなるんだろう?ってところから始まってるけど、今の時代の人達がそれを弾くのはYngwie Malmsteenを聴いてるからそれを弾いてるだけで、彼とは思考回路が違う。もうそれがカッコいいって事を知ってしまってるから自分で開発したものではないんだよね。だから自分の価値観で作ってるっていうところでは、そういう対旋律をメタルの楽曲に取り入れてるってところがクラシックからの影響って言えるかな。
日々新しい事を追求し、実践している紫煉氏ならではの興味深い意見だ。
クラシック&メタルという組み合わせは決して新しいものではなく、むしろ使い古されたアイデアでもある。
しかし、紫煉氏はその組み合わせを別の方向から見つめ、他とは違ったやり方でクラシックとメタルを融合させる事に成功した。
また、紫煉氏は音楽だけでは無く、マンガやアニメ、ゲームといった分野から受けている影響も大きく、様々な作品からインスピレーションを得ていると話す。
やっぱりパワーメタルの世界観ってゲームっぽいじゃん?(笑)"ファンタジー"っていうか。だからやっぱりそういうのが好きなんだろうなっていうのがある。ファイナルファンタジーとかドラゴンクエストとか好きだし。アニメとかゲームに限らず、創作物全般に言える事だけど、"起承転結"がしっかりある作品が好きなんだよね。「嘘喰い」って漫画があって俺すごい好きなんだけど、ストーリーが進むごとに"この時こうだったのが実はこうだったんだ!"みたいに伏線が回収されていく、起承転結がすごいしっかりした作品なんだよね。自分の音楽もそうありたいなって思う。漫画って"連載"って性質上、盛り上げるだけ盛り上げといて尻すぼみで終わっちゃうって事も多いし、打ち切りとかになっちゃう事もあるから仕方ないんだけど、それでも"結"でしっかりと盛り上げきってくれる作品が好きなんだよね。「からくりサーカス」とかもそうだし、あと元はゲームだけど「STEINS;GATE」って作品とかもスゴい伏線を活かした作りで好き。やっぱりクラシックとかも最初に1フレーズあってそれが展開されて後になって出てきたりとか、同じリズムパターンをキープさせつつ展開していくとかが多くて、自分の楽曲もそういう伏線が張られてて、どんどん結末に向かっていく展開を作るっていうのをすごい意識してるかな。
この紫煉氏の起承転結と伏線の張り方へのこだわりは、Unlucky Morpheusの楽曲に大いに生かされている。
例えば先日発売されたニューアルバム、「Unfinished」からのリードトラックの"Unending Sorceress"。
展開自体はそこまで複雑な構成ではないが、聴き手を飽きさせずに曲を展開させ、かつ聴いた後にしっかりと"残る"曲に仕上げているのが一聴しただけでわかる。
4つ打ちのダンサンブルとも捉えられるイントロパートはインパクトがあるが、冒頭以降、最後のエンディングまでは一切出てこない。
最後、このイントロパートに伏線を回収するように戻るのだが、その直前の、ボーカルのメロディが美しいラストへのブリッジ的なパートがこのイントロパートとの対比を生み出し、ダンサンブルなフレーズがより生かされて同じパートながらも最初とは違ったフィーリングに聴こえる。
他にも、エンディングに向けて加速していくような緊張感のある、パート単体でも起承転結を感じられるようなギターソロも魅力的だ。途中、サビのメロディをツインでハモるのも個人的にグッとくる。
今回挙げた例はあくまでも個人的に感じた事に過ぎないが、このようにUnlucky Morpheusの楽曲には紫煉氏の起承転結や伏線張りへのこだわりが随所に散りばめられている。
そのような事を意識して楽曲を聴くと、何かまた違った世界が見えてくるかもしれない。
最終章 "学び、育てる"事で生まれる感動
紫煉氏と会話をしていく中で、彼は"学ぶ"という事に非常に貪欲で、その学びを通し、自分自身や自分と関わる人や物事を"育てていく"という意識を常に持ってるという事を強く感じた。
やっぱり世の中起こった事は全て"学び"だから。やっぱり学ぶ事は好きだね。音楽って極めようって思ったら終わりがないと思うしね。でも最近は自分の中で"学び"の部分を少し減らして、アウトプットの方に比重を置いてるかな。"学び"って言ってしまえば"インプット"なわけだけど、音楽活動って常にアウトプットもあればインプットもあるって感じで、やってみたらその中で学べる事もあるから両方の側面があると思うけどね。でもやっぱり常にミュージシャンとして、毎日1mmでも進みたいって気持ちがあって、本当に"1曲新しい曲を聴いた"みたいなレベルで良いから毎日前進したいって気持ちは今でもあるよね。昔から音楽に限らず、"何かを覚えた"って実感が好きなんだよ。その中でもやっぱり音楽は自分の人生で一番大事な事だから、尚更そういう気持ちがあるよね。ただ今は臨界点を突破したと思ってて、昔は1曲作るごとに10%は新しい要素を入れたいって思ってたけど、今は3%で良いって感じで、学びのハードルを結構下げてる。それよりもバンドをグングン動かすって事を重視してて、結局それが学びになるんだなって感じてる。音楽を作る事だけじゃなくて、それを人に聴いてもらったりライブでプレイしたりする中で"バンドを育てていく"っていう事に今は重きを置いてるんだよね。
少し前の紫煉氏は音楽の質に焦点を当て、自分だけが作れる音楽が作れるようになりたい、より良いギタリストになりたいという事に注力していたと語っていた。
しかし今は、よりUnlucky Morpheusを大きくしていく事に注力し、バンドの存在を今以上に多くの人に知ってもらうという部分に焦点を当てているという。
これはミュージシャンの人達で思う人も思わない人も両方いると思うんだけど、ミュージシャンって社会に貢献してないような気がするんだよね。特に今なんて"不要不急"扱いされてて、別になきゃいけない仕事ではないみたいな感じというか。俺はそうじゃないと思うけど、一見すると"必要ない"って思われてしまう。その一方で、やっぱり歳を重ねていくと人に貢献したいって気持ちが段々と出てきて。自分があれこれやりたいって事だけじゃなくて、この地球にいる自分が価値ある存在になりたいというか、"誰かの為に何かやりたいな"って気持ちが段々と大きくなってきててね。自分の作った音楽を聴いて毎日楽しくなったりしてくれる人が増えたら良いなとか、、。もちろん、あんきもの最初のライブで泣いてくれてるお客さんがいて嬉しかったけど、あの時は自分の音楽を追求したいって気持ちが強すぎて、そういう実感が湧かなかったんだよね。でも今は自分の音楽が自分の中で完結してるだけじゃなくて、"自分が楽しんで演ってる事が他の人の為になってるんだ"って思いたい、、思いたくなってきてるんだろうね、どんどんと。だったら色々な人に聴いてもらって、色々な人に元気になってもらったり、"音楽"っていう楽しみを作ってもらいたい。楽しい事はやっぱり多い方が良いと思うから。そしてせっかくだったらそれを小さいコミュニティじゃなくて大きいコミュニティでやりたい、みたいな気持ちがある。昔は"大きい会場でやりたい"って理解出来なかったんだけどね。でも今はそういう気持ちが出てきてるかな。
自分が納得のいく音楽を作る事が出来た時は当然嬉しい。
しかし、その納得出来た音楽が人に伝わり、自分と同じくらい、もしくはそれ以上の感動を聴いてくれた人が感じていたらもっと嬉しい。
それはアーティストとリスナーが、直接顔を合わさずとも音楽を通して繋がりを持てたという事であり、その繋がれた感動というのは両者どちらにとってもこの上ない喜びになり得る。
時にその繋がりは、バラバラになりそうだった自分の心を繋ぎ止め、萎縮していた自我を解放し、冷え切った魂に火を灯させる。
音楽には、そのようなある意味では、薬やワクチンよりも人を正常な状態にさせ、ネガティブな事柄を解決に向かわさせるような実用的な効果がある。
昔ANGRAのライブを観に行ったんだけど、、自分はずっと、"Carry on"を愛聴してて、もちろん他の曲も大好きなんだけど、やっぱり"Carry on"が一番好きで。その時のツアーはもうボーカルはAndre MatosじゃなくてEduardo Falaschiに変わってた「Temple of Shadows」の時のツアーだったんだけど、凄い良いライブだったんだよね。アンコールで、1stの"Carry on"前のSE、"Unfinished Allegro"が流れ出して、、もうその時点で"やばいCarry onくる!"って凄いドキドキして、イントロが始まった瞬間、もう涙が溢れて"うわぁーー!"ってなったの。そういう"この音楽が好きで良かった!"って瞬間とかが俺の音楽で訪れてくれたら嬉しいなって。そういうものを提供したいなって思う。
音楽を学んで追求し、それを使って人を感動させる事、そのシンプルかつ難しい事を紫煉氏は実践し、自身の楽曲でより多くの人を感動させる為に、怪我などの厳しい状況を切り抜け、Unlucky Morpheusを今まで以上に精力的に動かして成長させる為に尽力している。
紫煉氏が何故、ストイックとも思えるほどに音楽というものを追求し、Unlucky Morpheusというバンドをここまで押し上げる事が出来たのか?
それはシンプルに彼が音楽という存在を愛し、音楽という存在に助けられ、キャリアを積み上げつつも未だに音楽という存在に感動させられているからなのだろう。
今、バンドをやりたい、音楽を職業にしていきたい、と思っている若い子達に何かアドバイスしたい事は?と尋ねた際、紫煉氏はこう答えた。
まず、"聴きたい人がいる音楽"を作る事。でもそれは売れようとして何かを施すという事では全く無い。じゃあそれを作るにはどうしたら良いかというと、"自分が100%良いと思える音楽"を作る事。俺、今でもこれを基準にしてるんだけど、高校生の時の俺が聴いて"マジであんきもカッコいい!"って思ってもらえる曲を作りたいと思ってるの。それが出来れば少なくとも自分と同じ趣味の人達には響くはずだから。"売れる為にポップなメロディを入れる"とか生半可に考えるのは全く意味が無い。特に今は好きなものを1人1人が探しに行ける"全員総マニアック"な時代だから。あんきもは俺の趣味を全部ぶち込ん出るからこそ、俺と同じ趣味の人達が響いてくれてると思うんだよね。だからそういう曲を作ったあとは、"同じ趣味の人達に聴いてもらえるチャンスがどこにあるかな?"、"高校生の頃の自分みたいな奴ってどこにいるのかな?"って事を考えて、そういう人達がいる環境に自分が行って、自分の音楽に辿り着いてもらえるように努力する事が大切かな。
100%嘘偽りのない、自身の演りたい音楽を追求し、それを人に伝える事が出来るミュージシャン、それが紫煉氏である。
そういう事が出来る存在を、人は"本物"と呼ぶのだろうと思う。
そんな"本物"が作り上げる音楽は、今まで以上に精力的に広範な音楽シーンを賑わし続けてくれる事だろう。
紫煉氏、そしてUnlucky Morpheusが今後の日本の音楽シーンでどのような存在になっていくのか、今から楽しみでならない。
あとがき
音楽を愛している人との会話はいつだって面白い。
そこには音楽のジャンルや細かいスタイルの違いが入る余地はなく、ただ"音楽"を尊い存在だと思っているだけで良い。
そんな事を、今回紫煉氏の記事を書いていて思った。
自分は特にクラシックが好きというわけではないし、メロディックスピードメタルにそこまで傾倒してきたわけでもない。
しかし、紫煉氏がそれらの音楽から得てきたものや、感じさせられてきたものは十分に理解ができる。
簡単に言ってしまうと、音楽という存在が持っている大きな力をANGRAから与えられているか、SLAYERから与えられているかの違いで、感動の質や熱量はそう大して変わらないのではないかと思ったのだ。
だから、最終章で紫煉氏が話してくれたANGRAのライブでのエピソードは、本当に共感が出来るものだった。
また、本章では書ききれなかったが、紫煉氏が大好きな麻雀のプロリーグ、"Mリーグ"が2018年に発足されたことも彼にとっては大きな出来事であったと語っていた。
今まではアンダーグラウンドなイメージであった"麻雀"という文化が、スポーツや将棋のような国民的な文化として認められつつある現状が本当に嬉しく、世の中の無限の可能性のようなものを感じる出来事であったという。
そして紫煉氏は、Mリーグが自分に与えてくれたような感動を、自分は音楽で人に与えたいと考えているらしい。
日本の自主レーベルで活動しているメタルバンドでも、ここまでの事が出来るんだ!という驚きと喜びを、Unlucky Morpheusのファンの人達と分かち合えたら良いという思いが紫煉氏にはあり、これからは今まで以上に精力的にUnlucky Morpheusを動かし続けたいと、彼は思っているみたいだ。
本章でも語ったが、紫煉氏は本当にポジティブな人であると思う。
"出来ない事"ではなく、"出来る事"に常に焦点を当てて可能性を見出し、それを実践することが出来る人。
それが今回、自分が紫煉氏から受けた印象であり、自分が彼から学び取った一番大きな事だ。
それはきっと、自分の今後の人生の至る所で思い起こされるのであろうし、今後ずっと自分が持ち続けたい心構えである。
そんな大きな"学び"を今回くれた紫煉氏には、本当に感謝したい。
今後も、この激人探訪の可能性を信じ、きっと誰かに"何か"を与えることができていると信じつつ、これからも30000字越えの長い文章をせっせと書き続けていきたいと思ってる次第である。
2020/8/10 YU-TO SUGANO
特別章 紫煉氏によるUnlucky Morpheus ニューアルバム「Unfinished」全曲解説
ここからは特別章として、7月29日に発売されたばかりのUnlucky Morpheusの4thフルアルバム、「Unfinished」の紫煉氏による全曲解説をお送りしていこうと思う。
今年のUnlucky Morpheusの"攻め"の活動姿勢を象徴するように、バンド史上最もヘヴィでアグレッシブな作風に仕上がっているこの「Unfinished」。
本来は"未完成"と銘打たれたライブイベントでレコーディング前にアルバムの全曲をプレイし、そこで感じた感触や手応えを吸収してレコーディングに臨むという、現代においては斬新とも思える制作過程を経て完成されるべき作品であったが、昨今の世の中の状況を考慮し、その"未完成"ライブは中止に。
やはりライブ先行公開を予定していたというだけあって、今までのUnlucky Morpheusにはなかった"ライブ映え"するような要素がそこら中に散りばめられている。
"MOSHY"とも取れるブレイクダウン的グルーヴや、観客全員で歌えるようなシンガロングパート、踊れる4つ打ちなど、メンバー、観客が一丸となってライブを身体的に楽しめるような楽曲が多く、聴けば聴くほどライブに足を運びたくなる作品だ。
このアルバムでは、今までのUnlucky Morpheusにはなかったようなビート(リズム)を積極的に使うことを紫煉氏は意識したらしく、一言で"メロディックスピードメタル"とは言い切れない程の音楽性の幅広さを提示し、バンドの新たなポテンシャルを垣間見せている。
今回は、そんなUnlucky Morpheusの新境地を切り開いた「Unfinished」を、紫煉氏に全曲解説して頂こうと思う。
解説を読みながらアルバムを聴けば、また新たな発見や楽しみ方が見つかるかもしれない。
あんきもファンは全員必読!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
♯1. Unfinished
紫煉氏:頭のSE的な曲で、曲の作りが最初にドラムが入って、そこからベース→ヴァイオリン→ギター→ボーカルっていうふうに、メンバーが1人ずつ増えていくっていう構成になってるんだよね。
ライブでこの曲をプレイした際に、メンバー1人1人にスポットがまず当たるっていうアイデアありきで作った曲。
ライブDVDを結構作ってきてるんだけど、毎回頭のSEって、何を映せば良いのかわからないんだよ(笑)いつも"どうしよ〜"って悩む(笑)
"Lunatic East"ではインサートで各メンバーの演奏してるところをハイライト的に差し込みながらって感じのアイデアで乗りきったんだけど、毎回それでもなって思って(笑)
だからライブDVDにした時にカッコ良く映るようなSEが欲しいなって考えた結果、この1人1人メンバーが増えていくっていうアイデアを思いついて、この曲が出来たんだよね。
#2.Unending Sorceress
紫煉氏:この曲はヴィジュアル系バンド時代に演ってた曲のリメイクで、作っていく中で"これがMV曲かな?"ってなった曲。
原曲とは結構形を変えてて、原型は少ないけど良い曲だから現在進行形に復活させたいなって気持ちもあって、再構成して作ってみた。
今回のアルバムを作るにあたって、デスボイスを多めに入れるというのは最初から決めてたから割と俺が多めに歌ってる曲かな。
メロデスというか"アグレッシブなメロスピ"みたいな感じで、シンフォニックな要素もありつつ、ヘヴィな要素もあるメロディックスピードメタルみたいなイメージ。
あと、これは歌詞がFF8(訳注:ファイナルファンタジー8)からインスピレーションを受けて俺が書いた歌詞なんだけど、わかる人には"これFF8じゃん!"って感じで"ニヤッ"としてもらいたくて、この曲をMVにしたというのもある。MVで歌詞を載せれば読んでもらいやすいしね。
#3. Near The End
この曲は"NieR:Automata"ってゲームを2年くらい前にやったんだけどすごい面白くて感動して、その"ああ良いゲームだった!"って感動が自分の中で新鮮なうちにバァーッと一気に作ったって感じの曲だったね。
"3拍子メタルを作ろう"っていうテーマで作ってみたんだけど、面白いアイデアかなって。
曲調的にも合うだろうし、"全然ありなはずだよな"って思って作ってみたけど、こういう感じの曲って実は俺独特な曲調なのかもしれない。
デスメタルとかで3拍子って結構あるけど、歌ものメタルとかで3拍子ってあまり他にないからね。
#4. 籠の鳥
紫煉氏:この曲は、"シーエ"ってキャラクターがいて、それのスピンオフというかコミカライズの計画があって、そのテーマソング的な曲を作って欲しいという依頼があって作った曲。
その"シーエ"ってキャラクターを元にした作品は割といっぱいあるんだけど、"脳仕掛けの楽園"っていう小説があって、それを資料として読んだんだけどそれがすごい面白くて、その感動のままに作った感じだったかな。
この曲を作った頃くらいから曲のビートの幅を広げたいなっていうのがあって、全体的にヘヴィなビートが多い曲。
あまりにもメロスピっぽいビートの曲が多過ぎるから(好きなビートではあるんだけど 笑)より色々なタイプのビートの曲を作りたいなっていう思いで、こういうあんきもにしてはヘヴィなビートの曲を作ってみた。
#5. Salome
紫煉氏:これもヴィジュアル系時代に演ってた曲のリメイク曲。
ライブで演ったら気持ち良いかな?って思う曲で、元々メロディが良くて気に入ってたから復活させたいなってずっと思ってて。
Bメロの4つ打ちビートとかも前から気に入ってたんだけど、昔だったら"これはあんきもじゃないかな?"って感じてたと思うけど、今だったら演っても良いって思えたんだよね。
イントロのフレーズとかは普通のメタルの流儀でいったらツインギターでハモらせるようなパートだけど、そうじゃなくてギターとヴァイオリンのハモリにしてみようっていう、あんきものカラーを押し出すためのチャレンジというか、本来のセオリーから外れたことに挑戦してみたけど、案外うまくハマったと思う。
結構聴いてくれた人が"ヴァイオリンが特徴的"って感想くれてて、試みがうまくいったかなーって思ってる。
#6. Make your choice
紫煉氏:元々、俺4つ打ちの曲とか好きだったんだけど、なかなか手を出しづらかったというか、"こういうビート演って良いのかな?"みたいな気持ちがあったりして、、(笑)
でもやっぱり好きだし、楽曲の幅を広げようということで、今回挑戦してみたんだよね。
新境地の曲ではあるけど、リリースしてからの反応を見てみても受け入れてくれてる人が多くて良かったって思ってる。
俺、クラブミュージックとかもまあまあ好きで、そういう曲のアイデアをメタルに落とし込んだらどうなるかな?っていうのを考えてて、イントロに無理やり3連を入れてみたり、自分なりのそういうクラブミュージックっぽい音楽からの影響が出てる曲かな。
アレンジが違えば誰かが"ULTRA"で流してくれそうな曲っていう意識というか(笑)
そういう世の中のトレンドみたいな要素も、自分が良いと思えば取り入れたいと思って今回挑戦してみた感じ。
#7. Top of the "M"
紫煉氏:これはあんきもなりの"フェスで盛り上がれる"って感じの、初見でもノレちゃうようなシンプルな曲にしようって意識で作った曲。
ちょっとだけ"ポップ"というかアニメソングっぽいサビだったりして、そういう曲も結構得意だからメロスピだけじゃなくて、こういう曲も今後のあんきもの顔にしていきたいなって思ってて。
この曲は俺が作詞してて、"M"はMリーグの"M"で、Mリーグの選手とか麻雀の用語とかを歌詞にいっぱい入れて、ちょっと言葉遊び的な事もやりつつサビはアニソンっぽい歌詞にしようとか、そういう事を意識して書いてみた。
"M"っていうのは"Music"の"M"でもあって、あんきもでトップを目指すというか、"もっと上に行くぜ!"っていう事のダブルミーニングというか、そういう感じで読んでもらえたら良いなって思ってる。
#8. Dogura Magura
紫煉氏:この曲は今回のアルバムの中で一番最後に作曲した曲。
他の曲が揃ってる中であと1曲どういう曲にしようかなってなった時に、今回は"デスボイス"が1つのテーマでもあるし、ふーみん、そろそろブラスト叩きたいかな?って思って(笑)"ブラスト曲を作ろう!"っていうテーマで、イントロのアイデアから膨らませていったって感じ。
ブラストとシンフォニックってやっぱり合うから、そういう感じの曲にしようって思ったんだけど、結構シンフォニックだと曲の展開を重くしがちで、「VAMPIR」に入ってる"Angreifer"とかは似たタイプの曲で7〜8分ある長い曲なんだけど、この曲に関しては短い曲でシンフォニックな曲っていう感じにしたくて。
前作の「滝夜叉姫」から"曲を短くしよう"っていうのをこだわってて、この曲だけは長くしても良いのかな?って選択肢はあったんだけど、統一感を出すためにシンフォニックな曲だけど短く作るのに挑戦してみた。
こういう濃厚な曲の長さが合うような曲でも短く作って、かつ物足りないって思われないように作るっていう事を考えて作った曲だったね。
#9. Carry on singing to the sky
紫煉氏:去年、自分の大好きなANGRAの初代ボーカリストのAndre Matosが亡くなって。
今、メロディックスピードメタルっていう音楽が"ホット"かと聞かれたらそうとは言い難い。でもその中でも、彼が作ってきた歴史とかを、それなりに若い俺たちが継承してるよみたいな、、そういう気持ちを表現した曲。
もう新規で"メロスピを演ろう"ってバンドなんて、世界で見てもかなり少なくなってて、ベテランのバンドが引き続きやってるというのが基本だと思うんだけど、日本でもそういうのが好きな人達がちゃんといるよっていうのを彼に伝えたくて作ったというか。
おこがましいけど、"どういう気持ちで亡くなったんだろう?"とか自分の中で色々考えちゃって、何か、、大往生だったのかもしれないけど、"俺が引き継ぐぜ!"みたいな気持ちというか、まあ生前交流があったわけでも無いし俺が勝手に思ってるだけなんだけど、そういう気持ちがちょっとあって。
すごい色々とパロディ満載で、シューベルトの"未完成"の引用とかANGRAも演ってるし、あとXも"Art of Life"とかで演ってたりして、俺の中の重要なバンド達がみんなこの"未完成"を引用して曲を作ってるから"俺もいつか演らなきゃな"って思ってて、今回、満を持して演ってみたって感じ。
他にもAndre MatosがANGRAとは別の色々なバンドで引用してるクラシックのフレーズとかも使ってたりしてるから、彼が好きな人ほど"おおっ"って面白く思ってもらえるようなアイデアがいっぱい入ってる。
そういうAndre Matos大好きソングというか(笑)"Andre Matosの作ってきたメロスピって音楽を俺がまとめた"みたいな曲。
だからこれは、"俺の曲"ではなくて、"歴史の曲"って感じかな。
自分の中で"こういう事を思ってるんだ"って強い思いがあって、曲という形に出来るのであればしちゃった方が良いって思ってるから、こういう曲を作るべきかなって感じて、この曲を作ったんだよね。