未来が見えなくなった日。
日中はまだ少し暑い日が続きますね。
毎日のようにアイス食べてます。(おでぶ)
暑いのが心底嫌いな私。
そんな日々でも、夜に涼しい風が吹き始めると、
ちょびっと、寂しい気持ちになる。
妙な感覚ですよね。
結婚するまで、そして結婚してからも、
もしかしたらこどもを諦めなければいけないのかも、と
思うタイミングは、実は結構ありました。
夫の反応や発言もそうですし、当時の夫婦の関係性や、
現実的な問題を考えても、やはり簡単ではない。
それでも、どうにか・・・と心のどこかで、葛藤。
私が一番、諦めなければならないのかな、と感じたのは、
義母から会うたびに言われる、
「ごめんね、ありがとう」という、些細な言葉でした。
その言葉が、私には、どーーーーしてもいつも・・・
「(こどもができなくて)ごめんね、
(付き合ってくれて、結婚してくれて)ありがとう」
に聞こえていました。卑屈だと思うでしょう?
でも、実際に、義母には結婚間際に言われていました。
「こどもができないのに、
結婚を許してもらえて、本当にありがたい」、と。
まさか、私の口から、「こどもは諦めていません」と
言うことはできませんでした。
きっとその言葉に、義母は胸を痛めるだろうから。
義母は、それはそれは息子のことが大好きで、
いつも息子の心配をしています。
子を思う、親の気持ちは当然理解できますし、
私の親も、私を過保護な程に大切にしてきました。
だから、
自分の息子が苦しむようなことはさせたくない、と
思うことだって、当然だろうとわかっていました。
私は、義家族との関係は、悪くない方だと思っています。
近くに住んでいないので、
それなりの距離が良く保ってくれているのかもしれないけど。
本当によくしてもらっているし、人間としても好きです。
ただ、こどものことに関しては、簡単に「ごめんね」で
片づけられないし、片づけてほしくもなかった。
かといって、夫に「こどもがほしい」と言うのも、怖い。
また、あの悲しそうな、苦しそうな顔をさせるのか。
そんなこんなでモヤモヤした日々を送っていた、ある日。
夫がふいに、
将来的に"家”をどうするか、について話を始めたのです。
別に一生賃貸でもいい、持ち家じゃなくてもね。
「財産や資産を残すような人もいないし」
ああ、もうほんとにダメなんだな。
私には、相談する隙も与えないんだな。
あなたの想像する未来に、こどもはいないんだね。
私とふたりで生きる未来を
真剣に考えてくれていることは、よく分かりました。
ただ、この言葉の後の話はあまり覚えていません。
その日の夜、1人お風呂でただひたすら泣きました。
ごめん。
私、やっぱりこどもが欲しいよ。
できるか、できないか、それはわからない。
だけど、
挑戦することすら出来ないのは、辛い。
この日から、上手く笑えない毎日が続きました。
今までの結婚生活で溜まった色々なものも含めて、
もう、私は我慢の限界でした。
(その他の色々については、次回書きますね。)
そして、
私は、ある出来事を機に、家を出る決意をするのです。
「離婚」を覚悟しました。
長くなったので、今日はここで終わります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました✩*。