渋谷すばるのファンから錦戸亮のファンになった10年間の全て

2014年の春
当時高校3年生だった私は、関ジャニ∞デビュー10周年のお祭り幕開けと同時に、関ジャニ∞の渋谷すばるのファンになった。

2014年の夏
オモイダマを初めて聴いたとき、涙がポロポロ流れた。誰かの歌で泣いたのなんて初めてのことで自分でも驚いた。当時、学生特有の悩みを色々抱えて凝り固まっていたわたしの心を溶かしたのはオモイダマだった。

初めてのライブは十祭だった。
双眼鏡を持っていくという知恵さえなかった私は米粒くらいのすばるを一生懸命目で追った。絶対見えない距離なのに一生懸命作ってきた団扇を握りしめていた。すばりょのkicyuで会場が沸いたとき、モニタに映し出されたすばるの顔を今でも覚えてる。本当に楽しくて、一生わたしは関ジャニ∞のファンなんだろうなと思った。初めてこんなに好きになったアイドルをこの先ずっと応援したいと思ったし、ここからさらに5年10年と続いていく関ジャニ∞の歴史をこの目で見たいと思った。

2014年〜2017年にかけて
関ジャニ∞のライブに何度も足を運んだ。
毎回新しい団扇を作ったり、届いた紙チケを当日まで大切に保管したり、友達とお揃いの参戦服を買ったり、プリクラとったり、ツイッターで仲良くなったエイターさんと実際にお会いしたり、、、それはそれは楽しい日々だった。毎日精神をすり減らしていた新社会人の私には関ジャニ∞しかなかった。仕事で大変な時も、失恋した時も、関ジャニ∞のおかげでわたしは前を向けるんだって本気でそう思っていた。

2018年4月15日、世界が変わってしまった。

すばるが、グループ脱退と事務所退所を発表した。
ファンクラブからのメールで思考が停止して、その日のお昼頃に始まった会見の生放送を見て現実なんだと思ったら涙が止まらなかった。亮ちゃんが「でも、もうすばるくんの歌が聴けなくなる訳じゃないので」と言った時、そういうことじゃ無い!って思った。横山さんの涙や、大倉さんの不貞腐れたような態度に共感し救われた。当時21歳だったわたしは年甲斐もなく大泣きした。安田君ファンだった友人が会見のあとすぐに駆けつけてくれて、二人で大泣きした。大泣きしたらお腹がすいて、二人で泣きながら食べたピザの味はもう覚えていないけれど、友人の優しさは今でもしっかり覚えている。

何もかも終わっちゃった、って思った。
「たった一人のアイドルがアイドルを辞めてしまう」
たったそれだけの事なのに、当時の私にはそれが全てだったのかもしれない。

それでもわたしは、これから6人の関ジャニも応援するし、一人で世界に飛び出していくすばるも応援しようって思った。半ば強引にそう思うことでしか前を向けない自分がいたのかもしれないけど。

2018年8月
6人になって初のライブGR8ESTにも行った。すばるがいないライブに、赤い服を着て見に行った。覚悟はしていたけど苦しくて切なかった。
だけど亮ちゃんが「赤い服着てきてくれた子もありがとう」って言ってくれて救われたこと今でも覚えてる。
でも6人の関ジャニ∞をこの目で見て、やっぱり応援することはできないかもしれないって思ってしまった私は、GR8TESTを最後に関ジャニ∞のファンを卒業した。

2019年4月
突然始動した渋谷すばるのファンクラブには発表されたその日のうちに入会した。アクセスが集中していてサーバーダウンする中、ようやく手続きが済んだのは夜だった。それだけ多くの人が待ち望んだ瞬間だったのだと思う。
素直にまた会えて嬉しいという気持ちと、もう関ジャニ∞ではない渋谷すばるなんだという切なさが、今思えば五分五分だったのかな。

2020年2月
独立したすばるのライブに初めて行った。
すばるが出てきたとき嬉しくて涙が少しだけ出た。すごく楽しかったのだけれど、ライブ中に、すばるの後ろでドラムを叩くのは大倉さんがいい、なんてことを思ってしまった。
思ってはいけないことを思ってしまったこと、
考えても意味がないことを考えてしまうこと、
私の考えは多方面に対して失礼だということ。
そのどれもが苦しくて、私が出した答えは
「私は関ジャニ∞のアイドルだった渋谷すばるが好きだったんだ」
ということ。
自分でも悲しかった。独立しても応援していくぞって思っていたのに、ここで私はすばるのファンを卒業した。

関ジャニ∞、渋谷すばる、
私が大好きだったものが、次々と大好きでは無くなってしまった。そんな喪失感を抱きながら退屈なコロナ禍を過ごしていた。友達が推し活で楽しそうにしている姿を見ると羨ましかった。
もし今もすばるが辞めてなかったら、って何度も考えてしまったし、その頃には5人(6人)が歌う7人時代の歌を聴けなくなってしまっていた。音楽番組がやっているとチャンネルを変えてしまうこともあった。すばるのパートを他の誰かが歌うことが切なくて見ていられなかった。この感情は意外と長く2023年の年明けごろまで続いた。(今思うと残されたメンバーだってすごく苦労して頑張っていたのに本当に申し訳ない)

2023年の春
まさかの出来事が起きた。私は亮ちゃんのファンになった。
インスタの広告に出てきた爆イケ亮ちゃんに落ちて、すぐにアルバムを買い、2週間後にはファンクラブに入会してプレミアム会員にまでなっていた。
私の中で可愛くてかっこいいお兄さんだった亮ちゃんが、渋くてかっこいい大人の男の人になっていて、それがたまらなくかっこいいと思った。

これは余談だけれど、
今でもアイドル時代のすばるの写真を見かけると、髪型でだいたいあーこれは何年ごろの写真だな、とか分かるのに、アイドル時代の亮ちゃんを見ても全然わからない。それだけアイドル時代に私はすばるしか見ていなかった証拠だと思う。

「アイドルじゃなくなった渋谷すばる」のファンを辞めてしまったのに、
「アイドルじゃなくなった錦戸亮」のファンになった。

これはとても不思議な感覚で、自分でも何が起きたのかよく分からなかった。
もちろんすばるが抜けたあとも関ジャニ∞として活動していた亮ちゃんや、亮ちゃんが独立してからの4年を私は全くと言っていいほど知らなかった。
知らないんだけど、でも間違いなく、今、この瞬間、錦戸亮が大好きだと思った。

2023年10月
初めて独立後の亮ちゃんのライブに行った。
ドキドキワクワクの中に、実はほんの少しだけ怖さもあった。もしもまた、すばるの時のように、やっぱりアイドルの亮ちゃんが好きだった!なんて思ってしまったらどうしようっていう不安。
だけどあの日の亮ちゃんは、そんな私の不安を吹き飛ばしてくれた。私の中でアイドル時代で止まってしまっていた亮ちゃんの記憶を、まさに亮ちゃん自身が上書きしてくれた瞬間だった。
亮ちゃんを見ていると、あー亮ちゃんはこういう音楽がしたいのだなと感じることができて、そのどれもがかっこよくて、多くの曲が私の心の中にスッと入ってきて、かっこいいのは顔だけじゃ無いと思った。これからも応援したいし、ライブも沢山行きたいと思った。
ようやく私はまた誰かのファンになることができた。それがとても嬉しくて誇らしかった。

そうこうしているうちに、いつの間にか私は全て受け入れることができるようになっていた。
すばるが独立したことも、今の関ジャニ(現SUPER EIGHT)が7人時代の曲を歌うことも。

奇しくも私の世界が変わってしまったあの日の会見で、そういうことじゃ無い!という言葉を向けたくなった人、
あの日のライブで、赤い服着てきてくれてありがとうって言ってくれた人のファンになった。
本当に人生は何が起こるか分からないと思う。


わたしは亮ちゃんのライブで流れる穏やかで優しい時間が大好き。
なんでも人に頼って甘えてきた私が一人でライブにいく決心をしたほど亮ちゃんの虜になってしまった。
私も大人になったからか、昔のように推しが私の全て!なんてことは思っていないけれど、
亮ちゃんのライブは楽しいし、優しい亮ちゃんファンの方との交流も楽しいし、亮ちゃんのおかげで日常がより充実していると思う。これから先もすごく楽しみだし期待してる。

短い間だったけど大好きだった渋谷すばるさんやSUPER EIGHTの5人にも私は感謝しています。
7人時代の関ジャニ∞には何度も背中を押されたし救われた。
綺麗事かもしれないけれど、
私が言えることじゃないかもしれないけれど、
5人も、すばるも、亮ちゃんも、みんながそれぞれの場所で輝いてくれることを願います。

誰の何の役にも立たないけれど、これがこの10年の間の出来事です。いつか忘れてしまいそうだから、忘れたくないから、ここにこうして記録しました!おしまい!

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