【連載】サロン・ド・フォレ -6-
入ったときには気がつかなかったけれど、入り口から見て右の奥まったところに上へと続く階段があった。トン、トンとゆっくりと上る老女のあとをついていく。
木の中だからどの壁も床も当然木でできている。どこにも窓が見当たらないのに明るく、ごつごつとした場所は目立たずなめらかなつくりだ。
まもなく二階の踊場につくと、二つの扉があった。
「ここは私の部屋で、こっちはお風呂だよ。私はお店をしめたあとに入るから、それ以外の時間だったら好きに使ってくれてかまわないよ。」
それだけ言うと、彼女はまた上へと上りだした。
「ありがとうございます。」
三階にも二つの扉があった。
「こっちの部屋を使うといい。」
彼女は右手の扉を開けた。
4畳ほどの空間にベッドと小さなテーブルと椅子があった。やはり窓はないのに明るくあたたかだ。
「隣の部屋は、今は誰も使ってないんだけどね。ついこの間まで男の子が使っててね。まだ片付けができていないんだよ。」
「その男の子も、私と同じようにここに迷い込んできてしまったんですか。」
「あぁそうさ。」
「その男の子は今どこに。」
「自分の家で過ごしているよ。」
自分の家とはどういうことだろう。もとの場所に帰ることができたということなのだろうか。分からずにいると
「明日にはあなたの家もできているはずだから、案内するよ。」
混乱したまま、それでも明日になればその意味がわかるのだと思い
「わかりました。お願いします。」
と返した。
「ゆっくり休むといい。私は店にいるから、なにかあったら来なさい。」
「はい。ありがとうございます。」
彼女がトン、トンと下へ戻っていく音を聞きながら、私は扉を閉めた。
テーブルの上には水が入ったガラス製のピッチャーと下向きに伏せられたガラスのコップがのっていた。私がコーヒーを飲んでいる間に彼女が用意してくれたのだろう。
手荷物もなにもない私はパンプスを脱いで、ベージュのカバーをまとったベッドに倒れこんだ。
天井を見つめながら今までのことを考える。
仕事帰りだった。最寄駅から自宅まで歩いていた。いつもどおり、変わったことなどなにもなかったはずだ。
それなのに、気がついたら見慣れない景色が広がっていた。家々に倒れこんでいた大きな魚たちはこわかったし、何かに追われたこともこわかった。結局何に追われていたのかはわからなかったが、気のせいではないはずだ。迷い込んだ森に現れた水色の桜のアーチ。たどり着いた先の大木の中に今、私はいる。扉を開ける前に大木の周りを一周したけれど、森に囲まれた芝があるだけで建物らしきものは見えなかった。私より先に迷い込んでしまった男の子とは、どんな人なのだろうか。そもそもあの老女の話を信じてよいのだろうか。店にいた人たちは。
途方もない自問自答を繰り返しながら、いつしか私は眠りに落ちていた。
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