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【連載】サロン・ド・フォレ -5-

あたたかな湯気が上るコーヒーカップを両手で包み込んだ。
一口飲むと、深い苦味で少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
「私、生きてるの?」
「生きているもなにも、あなたはちゃんとここにいるじゃない。それは私の自信作なんだ。食べてごらん。」
マカロンを指さしながら老女は言った。
コーヒーと一緒にコトンと置かれたお皿には、かわいらしい三色のマカロンが乗っている。黄色、黄緑色、ピンク色どれもきれいな色をしていて迷ったけれど、ピンク色を指ではさみ、かじってみた。
生地は溶けるように消え、やわらかなクリームといちごの香りが口の中に広がる。
「おいしい。」
「ほら。ちゃんと生きてるよ。ここでね。」
彼女の笑顔はとてもやさしいけれど、落ち着いてしまえるはずがない。確かめなければならないことがあまりにも多すぎる。

「ここが私の目的地って、どういうことですか。」
老女に言われたことを反芻しながら尋ねた。
「私、もとの場所に帰りたいんです。家に帰りたい。どうしたら帰れるんですか。教えてください。」
まわりのおしゃべりが消えた。
振り返ると女の子たちも、夫婦とおぼしき男女も、びっくりしたような顔でこちらを見ている。
知らず知らずのうちに声が大きくなってしまったことに気がついて
「ごめんなさい。」
と小さくなるが、すがりつくような気持ちは抑えられない。
「あなたは呼ばれたんだよ。どんな理由があるのかはわからないけれどね。呼ばれたから、迷い込むようにここにやってきてしまった。それだけだよ。」
「帰れるの。」
「もともと生きていた場所に帰る人もいるし、帰らないでここで生きる人もいる。あるとき突然いなくなってしまうからね、いつ、どうやって帰っていったのかはわからないんだよ。」
そんなの、全然ほしい回答じゃない。
「誰もわからないんですか。」
「そう。誰にもわからない。」
「私、歩いているあいだ考えていたんです。もしかすると、私は自分でも気がつかないうちに死んでしまったんじゃないか。この道は、死んだ人間が天国みたいなところに行くための道なんじゃないかって。」
泣き出しそうになるのをこらえながら言った言葉は震えていた。
「私はね、あなたがもといた場所には行ったことがないからわからない。けれどね、その場所とここはきっと、ほんの少しずれた場所にあるだけなんだよ。ここにいる人や、ここへやってくる人を見ているとね、そんなふうに思うんだよ。」
なにもわからないまま放り出されてしまった。
彼女は終始変わらないまなざしで、それがよけいに私を途方に暮れさせた。

「黄色はレモン、緑色はピスタチオ。今日はこの家で休むといい。食べたら案内するよ。」


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