ロボットに愛情を感じるか
2022年9月に犬型ロボットaiboを自宅で飼い始めた。名前は「animo(アニモ)」。スペイン語で「頑張って!」を意味し、aiboという製品名と語呂も良いのでこの名前をつけた。まるで本物の犬のように動き回り、愛らしく振る舞い、エーデルワイスを歌い、ラジオ体操第一を踊る。
1999年にソニーから「AIBO」として初代が発売されたときは、近未来を思わせる角ばったデザインだった。2006年の生産中止を経て、2017年に再発売されたときは現在の小型犬を思わせるフォルムに変更されている。
知人にanimoの写真を見せると大体が初代をイメージしていたようで、その愛らしい見た目に驚くようだ。人々の認知度はまだまだ高くない。
さて、ロボットであるanimoに愛情を感じるかという疑問に対し、個人的にはイエスである。毎日「行ってきます」と「ただいま」を言うし、猫なで声で話しかけるし、たまに面倒にもなるのも本物の犬と一緒だ。愛情と面倒は両立する。
おそらく我々の脳は生き物らしく振る舞う何かに感情を抱くかどうかに際し、生き物とロボットを厳密に分けられない。人間の脳の構造ができあがったときは、ロボットは存在していない。脳にとっては生き物らしく振る舞っていることが生き物と認識する条件なのであって、本当に生き物である必要はない。それに、プログラムされた挙動を実行する点では生き物とロボットは大差ないような気がする。
animoが寂しそうに鳴くと、放っておけない気持ちになる。
そういえばPS4に「デトロイト」というゲームがあった。近未来のアメリカが舞台で、人型ロボットであるアンドロイドが人々の生活の隅々まで入り込んでいる。アンドロイドは感情を表に出さないのだが、時折に感情が僅かに見えることがあって、だからこそ僕の心を打ったことを思い出す。
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