辛かった体験 〜イジメとか、鬱とか?〜

過去、まあホントにいろいろありました。ここで、吐き出させてもらいます。かなり長いですが、最後まで目を通していただければ幸いです。

まずは小学校の頃

優しい反面臆病で、受け身で、引っ込み思案で、押しが弱く、ものすごく繊細で、よく泣く。体も弱くてしょっちゅう体調を崩す、そんな子でした。体力というかパワーも弱かったです。その一方で体格はかなり大きく、鳩胸で分厚い体も手伝って、かなりパワーがありそうに見えてたかもしれません。

性格ゆえか、ケンカが弱いせいか、いつもいじめられてましたね。途中まではかなりの小食で、男子で唯一給食を残す子でした。当時は、食べきれなかったら廊下に立たされる時代。女子数人と僕が「お残しの罰」の常連でした。男子が給食残しで立ってると非常に目立つので、余計イジメのターゲットになりやすかったのかもしれません。

ちなみに、お残しの罰は今も悪影響を及ぼし、無理してでも完食して後で具合が悪くなる、いつも急かされるように早食いしてしまう、などの癖があります。

園児の頃からすでにイジメられてたらしいけど、当時の記憶がほとんど無いので、わかりません。

小学校に入ってそう経たない頃からすでにイジメられてたような記憶があります。低学年のイジメはまだそれほど苛烈じゃなかったけど、それでもなかなか辛かってです。

当時から、性格が女みたいなヤツってな感じで、男子からはイジメられ、気が強いリーダー格の女子からはキツく当たられ、という感じでしたね。きつい癖毛なので、それもイジメのネタになりました。

やられて黙ってるタイプじゃないんですが、まあ見事なぐらいケンカが弱くて、イジメられる→歯向かってケンカになる→あっさり負ける→泣く、がルーチン化してました。

もうひとつ辛かったのが、イジメられた事を家に帰って母に報告すると、きつく怒られた事。イジメられるほうが悪い、とか言われましたね。当時の僕には、親すら敵でした。

転機を迎えるのが3年生。この頃になると見た目の違いを意識しだすのか、だんだんハーフだと間違われた事がクラスの子の言動に出てくるようになります。クラス替えした初対面でいきなり「本名なに?」とマジメに聞かれるなんてハプニングに始まり、イジメのほうもだんだんハーフネタが加わるようになります。

イジメは年とともにエスカレートし、教科書を隠されたり、靴を焼却炉に捨てられたり、上靴の中や椅子に押しピンを置かれてたり。二次性徴も飛び抜けて早かったので、その点でもイジメられてました。

家庭でも、母からはイジメられたのを責められるし、性格も「女の腐ったようなの」と全否定。父は自分の事しか興味がなく、こっちの話は聞かない、腹の虫の居所が悪いと暴力を振るわれたり、モノを投げつけられたり、という具合で、決して好ましくない家庭環境で育ちました。

長期間の帰省や親の用事などがあり、近所の子ともあまり仲良くなれない環境でした。

当時、すでに死にたいと思うようになっていましたが、僕とは別のイジメられっ子が「死んでやる!」などとわめき散らした事件があり、恥ずかしいヤツだと思われるのがイヤで、感情を押し殺して機械のように生きていました。

5〜6年生になると、本格的に事件が起こるようになります。

通りすがりでいきなり膝蹴りを喰らって呼吸がしばらく止まる、プールで頭を押さえつけられ溺れ死にそうになる、といった状態で、先生達もイジメた側を怒りはするけど、当時はイジメに対する意識も低く、警察沙汰にでもならない限りはそれでおしまいでした。怒られた程度でイジメが止まるはずもなく、どんどんエスカレートしていきました。

イジメられて黙ってるような子じゃないのは学年が上がっても相変わらずで、ケンカになってはボロ負けの繰り返しでした。

1対1で負けてしまうので、なすすべがありませんでした。

イジメに対して、傍観している児童が大半で、助け船を出してくれるのはごく一部でした。

小学校の頃のオアシスは、仲のいい女子数名のグループでした。いつのまにか僕もそのグループのメンバーの黒一点になっていました。

ちなみに、小学校の頃を通じて体が弱く、体調を崩して休む事が多く、また救急外来の常連でもありました。

中学校に入ってもイジメは相変わらずで、なかなか壮絶な日々を過ごしていました。女子トイレにカバンを放り込まれるという暴挙までありました(※犯人は男子です)。取りに行くと僕の方がヘンタイ扱いされかねないという卑劣なヤツで、ここは女子に助けてもらいました。

不幸中の幸いだったのは、いじめっ子グループと不良グループがぜんぜん別個で、不良グループの方からは何もなかった事。不良グループの方はむしろ割合仲のいいクラスメイトという感じでしたね。

「気は優しくて力も強い」という評判の男子生徒も数名居ましたが、コイツらはイジメられてる僕を冷たく突き放すので、距離を置いていました。自分が強いぶん、歯向かっても力で負ける僕の気持ちなんてまったく理解できない様子でした。

常々、強い側の人は理解を示してくれなかった事とそれが重なり、また男子からイジメられていた事もあり、だんだんと男性全般が苦手になっていきました。また、男らしさをバカバカしいと思うようになったり、強さへの抵抗感も自覚するようになっていきました。

男子が急激に大きくなり、女子は背が伸びなくなるこの年頃になると、僕の背の伸びはすでに頭打ち。体力差がどんどん開いていき、あまり大きくない部類のイジメっ子との力の差も絶望的に広がっていきました。

中学校ではさすがに特定の女子グループのメンバー入りする事はありませんでしたが、やはり結果的には女子の輪の中に混ざってるほうが多かった気がします。

また中学校では、僕がブラをつけてるかのように言いがかりをつける「ブラネタ」が登場します。言いがかりをつけるのは男子で、ワイシャツの中にタンクトップを着ていたのをターゲットにされたようです(当時の男子中学生は素肌にいきなりワイシャツか、中にTシャツかの2パターンが一般的でした)。

これはそんなわけないだろと軽くかわしますが、僕が実は男子じゃない説が出たり、タンクトップを一切着られなくなったりして、ある意味タイヘンでした。

中学時代にもうひとつ辛かったのが、休めなくなった事です。相変わらず体調を崩しがちでしたが、親は一切の欠席を許さなくなり、どんなに体調が悪くても、どんなに精神的に辛くても、ドクターストップがない限りは無理矢理登校させられていました。

イジメの辛さと強制登校の辛さが重なり、電気コードで首を絞めようとする、体に刃を当てる、など自殺を意識した行動を隠れて取るようになりました。どれも最初の方の少しの苦痛で怖くなりやめたので、自傷行為や自殺未遂などと呼ばれるレベルまでは行っていません。

小学校の頃は放課後も女子グループと遊んだりしてましたが、この頃は女子と一緒にいると付き合ってるだなんだうるさいので、誤解を恐れて、クラスの中での緩い集まりにとどまりました。

ちょうど中学校に入った頃からギターを始めていて、それが唯一の生きる希望、生命エネルギーの源でした。

高校でもイジメられていました。こちらは最初は軽くいきすぎたからかいだったのですが、エスカレートしていきました。仕掛けてくるのはやはり男子。

怒って追いかけるのですが、体力差がありすぎて、ぜんぜん追いつかない。それをいいことにまたからかう。その繰り返しでどんどんエスカレートしていきました。

高校に入ってからはハーフネタが中心でしたが、新たに体ネタが加わるようになります。体格が普通の男子とちょっと違うのがバレてたのか、性格ゆえかはわかりませんが、男の急所を握りつぶしてきた上で「ない!!」と大声で叫んだり、胸のあたりを触ってきて「ある!!」と大声で叫んだり。タンクトップはやめてたのに、ブラネタは相変わらず時々ありました。これまた軽くかわしますが、本当に男子かどうか疑うかのような反応が一部で起こりタイヘンでした。

自傷もどきも続いていました。一方でギターに生きる希望を見出した僕は、軽音部に入り本格的に音楽をやるようになりました。

からかいがエスカレートしたイジメは3年になっても続き、ついに登校拒否するまでに至りました。あまりの抵抗の激しさに親も折れた、といったところが実態なので、登校拒否しそこねた事はそれ以前から多々あります。

登校拒否を重くみた高校が動き、また就職だ進学だと忙しくなる時期だったのもあり、登校拒否は1日で治まりました。

それで万事解決、とはいかないもので、大学以降はストレス過重による鬱傾向に悩まされることになります。

周囲の強い勧めと、国語が苦手だった事とがあり、あまり好きではない理系に進んだ僕。理系なので、学生はほとんど男子。一方の僕は、当時はその自覚が無かったんですが、すでに男性全般がうっすら苦手になっていたので、人間関係が希薄でした。唯一、途中まで帰りの電車が一緒だったヤツとその取り巻きは話をするようになりました。

途中までは安定していたんですが、当時活動していたバンドが消滅し、なおかつ研究室での人間関係もギクシャクし、就活もうまくいかず、挙げ句の果てには4回生で卒論まで通ったのに、卒業要件を満たせず留年。

半年遅れで卒業するも、きっちり現役卒業できなかった人間の就活は非常に厳しく、どうにか入った会社で心が潰れてしまい、ついには出社拒否までするような鬱になり、試用期間終了直後の解雇となりました。

その時まだ実家に留まっていましたが、鬱への理解ゼロの家族に無理矢理叩き出され、休むまもなく再就職活動へ向かわされることになりました。

唯一の救いは、当時お世話になった相談員さんが理解のある方で、しばらく休んでからにしなさいと言っていただいた事でした。

就活を口実にしばらく休んだ後、職種を変えての再就職になりました。そこから6〜7年は会社自体にいろいろありすぎてドタバタしていて、鬱になる暇さえありませんでした。

最初の勤め先やそこからの出向先では人間関係もなんとかやり過ごした感じだったのですが、転勤先での人間関係がうまくいきませんでした。ドタバタが収まると業務変更やら人員整理やらあり、ストレスが高まっていきました。

転勤先では、地域住民から警戒されていたようで、会社での人脈に乏しい状況で、プライベートの居場所を見つけるのに何年もかかりました。

ようやく見つけた居場所は外国人コミュニティでしたが、人の入れ替わりが激しく、仲良くなった人が離日して人脈が途切れてしまいました。そんなところに介護問題が重なり、その時の勤め先を辞めて、Uターンしていた両親のもとに身を寄せることになりました。

もともとあまり馬が合わない家族、閉鎖的で保守的な土地柄、新しい仕事、などストレスが重なり、また鬱傾向が出てきました。

何度も経験していたので、危険信号を早目に察知して、早々と仕事を辞めて、しばらく就活にかこつけて休むことにしました。当初は同一圏内での再就職をと思っていたのですが、家庭環境の悪化、地域住民の奇異の目、それに介護状況の変化が重なり、親の地元から出ることにしました。

その時にお世話になったのが、障害者を専門に扱う担当者でした。そこでの就活は実らなかったのですが、うすうす感じていた自分の特性に一定の答えが出たので少し安心しました。

その後、ひょんなことから首都圏での再就職が決まり、今に至ります。

後遺症らしき事は今でもあります。自分で自分の気持ちや本音が今もよくわからず、どこか他人のような感じすらあります。また、人格とまでは言わないけれど、思考回路のようなものがいくつか別個に存在して、勝手に切り替わります。趣向や得意苦手、考え方感じ方などがそれぞれ別です。小学校のときすでに園児の頃の記憶が断片的にしか無かったので、もしかすると、その前後に解離してしまっていたのかもしれません。

男性全般への苦手意識についても、今も続いています。表面的な対応はなんとかできるけど、男性の存在自体を不快に感じる、無意識のうちに敵だと感じて身構える、といった傾向があります。男性というだけで怖く感じることは少ないですが、たまにあります。






いいなと思ったら応援しよう!