オウム真理教、なぜ若者はハマったのか

ずいぶん長い間、型にはまった文章を書き続けてきたせいで、自分の文章というものが書けなくなってしまったばかりでなく、思考そのものも停止してしまったなぁと感じるので、まずは何も考えずに書く、というところからリハビリを始めようかと思う。

ライターというものは、本来独自性や専門性が武器になるものだが、私にはどちらもない。ただ、人より器用だったから、大手町に勤務するおじさま方が好むようなテーマ、つまり、一般的なライターが選び難いような分野でやってこられた。自らのスキルの程は分からないが、とにかく希少性という意味では有利なポジションにいたと思う。

面白いか、面白くないかでいえば、面白くはない。しかし、まぁ、発言力なり影響力なりの強い人物と会って話すことは、それなりの刺激にはなる。こんなふうに世の中が動いているんだなぁと、一般市民の視点ではなく、マクロの視点から社会を見られることは、割と貴重な機会だったかもしれない。

今までやってきたことの意味は、まだ分からない。いつか腑に落ちる日が来ることを願う。

さて、ここ最近、世間を騒がせたニュースがある。1995年3月20日、地下鉄サリン事件の黒幕であるオウム真理教の元教祖・麻原彰晃元死刑囚、そして実行犯らを含む計7人の死刑執行だ。

この一週間、私はオウム真理教関連の記事を書くための取材やリサーチをしていた。オウム真理教の言動はどう考えてもおかしなものだが、同教団に入信する若者たちは、“上澄み中の上澄み”レベルのエリートだった。「なぜ、優秀な人たちがこぞって入信してしまったのだろう?」──この疑問は、未だに多くの人たちの間で議論されている。

取材先の一人が、こんなエピソードを話してくれた。

「オウム真理教という名前が世の中に出始めた頃、オウムに限らず様々な新興宗教が注目を集めていた。私は当時大学生で、サークルの仲間たちと遊び半分で、適当に各人が一つの教団を選び、セミナーに参加して内情を探ってみよう、ということをやった。すると、ジャンケンに負けてオウムのセミナーに参加した友人は、本当にハマってしまった。周囲が止めても、『オウムってすげえ!』と言いながら入信してしまった。教団があれほどまでに人をハマらせてしまう理由は何だったのか、未だに分からない」

このあたりの考察は、様々な専門家の間でもされているとは思うが、私自身の考えをまとめてみようと思う。

まずは時代背景だ。オウム真理教が発足したのは1987年。バブル期の最中である(ヨガ道場時代を考慮するともっと前だが)。以降、順調に勢力を拡大し、1989年末にバブル崩壊。1990年以降、日本国内は大不況に見舞われた。

混沌とした時代、優秀な人たちは、バブル期には物質的には恵まれていたかもしれないが、どこか空しさも感じていたのかもしれない、と思う。しかも、バブルはたった5年程度で終焉を迎え、ますます目的を見失いやすかったのではないか。まぁ、20歳前後って、ただでさえ自分自身がよく分からないまま将来の方向性を考えなきゃいけない迷走時期もある。

そういった潜在的なベースがあった上で、なぜ、彼らの行き先がオウム真理教だったのか。麻原氏の何が魅力だったのか。

取材先のジャーナリストは、「麻原は、正直で駆け引きをしない人物だったからじゃないかな」と言った。確かに、自分に対して正直だったところはあると思う。あと特徴的なのは、麻原氏の口調が常に断定的というところ。迷走中に若者にとっては、彼の言動は刺さるかもしれない。

それプラス、麻原氏には大きな強みが二つあった。一つは、マネジメント能力の高さだ。教団の組織構造は、日本政府の構造に倣い、例えば大蔵省、科学技術庁などといった専門ごとに分類されていた。信者たちを適材適所に配置し、能力を最大限に発揮できるようにしていた。

さらには、当時の日本企業は年功序列型だったわけだが、教団内の評価はほぼ成果主義型だった。若くても、能力があれば出世できる。ここは優秀な信者であればあるほど、モチベーションが上がったところだと思う。

また、麻原氏は、幹部一人ひとりに対して、対応の仕方を変えていたという。個々の性格を見抜き、個別にベストな対応を判断する能力が長けていた。これはすごいことだと思う。言葉で言うのは簡単だけど、できる人ってほとんどいない。彼は方向性さえ間違わなければ、別の形で大きな成果を出せたかもしれない。

二つ目の強みは、神通力だ。「麻原には神通力などない」というのが定説だが、私は、それなりにそういった能力を持ち合わせていたのではないかと思う。

というのは、元幹部らの近年撮影されたインタビュー動画を見ると、揃って「麻原に触れられた時に、神秘体験をした」と言っているからだ。心理学の教授によると、「それは、彼らが神秘体験を期待していたからという面もあると思う」と分析していたが、それだけではないんじゃないかな、というのが私の見解。

私は、ある趣味からスピリチュアル関係には割と踏み込んでいて、特殊能力を持つとされる人に話を聞くこともあるのだが、俗に言う「サイキック」は結構いる。人やモノを透視したり、チャネリングをしたり、未来をある程度見通したり、よく分からないエネルギー(?)を注入したりと、色んな人がいる。その真偽は議論の余地があるが、説明がつかない場合も結構ある。要は、「珍しくない」ということだ。

ただ、特殊能力を持つ人が「すごい」とは限らない。人格的にもいいとは言えない人もいる。いや、むしろそういう人の方が多い。

私の捉え方としては、どの人にも特殊能力はある。例えば、私の周囲にいる編集さんたちは超現実的な人たちばかりだけど、やたら直感や感覚が鋭かったりするし、人を見抜く力もある。そんなふうにアンテナが敏感だからこそ、情報を扱う職業に向いている。これも、捉え方が違うだけである種の特殊能力だ。

だから、麻原氏にもそういった理解不能な特殊能力はある程度あったとは思う。実際、ダライ・ラマ14世に会って評価された実績もあるし、それなりの何かが備わっていたんじゃないかな。

以上の2点が強いカリスマ性となって発揮され、麻原氏の元に優秀な人たちが集まってきたのではないか。

事件を止めることはできなかったのか。これには、警察の落ち度も大いにある。警察は、教団内でサリンの製造も事件の計画も把握していたが、動かなかった。なぜかといえば、一つは地下鉄サリン事件発生の数カ月前に起こった阪神淡路大震災により、警察内部が混乱していたということ。もう一つは、「宗教集団」を甘く見ていたということだ。あるいは宗教集団は、あまり足を踏み込みたくない存在でもあった。例えばオウム真理教の内部でサリン事件の計画があると把握していても、強制捜査して何も出てこなかったら責任をどう取るのか、教団や政府からバッシングを受けるんじゃないか、という警戒心があった。

一方で、教団内部でも、麻原氏を止める信者はいなかった。強固な支配構造の下では、反発すれば自分が殺される。当時、教団のスポークスマンだった幹部は、唯一麻原氏に反論できた人物であったとされるが、そのせいでロシアに飛ばされている。

時間の針を戻したとしても、事件の発生を防ぐことはできなかっただろう。ただ、今は警察も宗教集団に対して警戒姿勢でいるし、世間の新興宗教に対する見方も大きく変わった。その点では、今と当時とは状況が異なる。

一連の事件を振り返り思ったことは、自分自身が迷走している時、弱っている時、軸のない時こそ、周囲からの影響には気をつけなきゃいけないなぁ、ということ。難しいことではあるけど、一歩引いた視点をいつでも持ち続けることだな、と。特に警戒すべきは、支配構造。支配構造に一度でも組み込まれると、結構厄介だ。抜け出すのが大変。現実的に脱せないこともあるし、精神的に逃げられないこともある。

なぜ、自分がここに惹きつけられるのか。なぜ、違和感を感じるのか。自分の感覚をストレートにキャッチして、全体を俯瞰して「何が起こっているのか」を観察する視点。ここは常に持っていたいと思う。

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