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*私が看護師になった理由

みなさん、こんにちは(*^^*)

*ゆーりです♪
今回は私が看護師になった理由についてお話します✨

私が看護師を目指したきっかけは、幼い頃からずっと尊敬していた叔母の存在です😊✨
叔母は看護師として働いていたので、その姿は私にとって憧れそのものでした。叔母の優しさ、思いやり、そして気遣いは、小学生だった私の心に深く刻まれました。

私の家庭環境は決して穏やかなものではなく、いわゆる「毒親」と呼ばれる親のもとで育ちました。
小学生の頃に両親が離婚。母との暮らしが長かったのですが、母は私の事は全否定。
人の悪口ばかり言い、自分を正当化する発言ばかりで、お金の管理もできず、借金を平気でする人でした。
(父からの養育費も怪しい何かに消えていきました)

もちろん、シングルマザーで育ててもらった恩は感じていますが、勉強を頑張っても、生活の面でも、人生で一度も褒められた事はありません。
「お金がない」と言われ、就職後に何度お金を貸しても、1銭も返ってこず(´-`).。oO
私名義で借金をされたり、保証人にさせられたりもしました。

「こういう人間にはなりたくない」と、幼いながらに母を反面教師としてみていました🍀

そんな中で、叔母の家に遊びに行く時間が、唯一心の平穏を感じられる瞬間だったんです😊✨

叔母は、いつも私の気持ちを受け止めてくれて、何も否定せず、私の存在をまるごと肯定してくれるような人でした。
叔母の優しさに触れるたびに、「私もこんな風に人を癒せる人になりたい」と強く思うようになりました。

中学生、高校生と成長する中で、「看護師になりたい」という夢はますます明確なものになっていき、大変な仕事だと聞いてはいましたが、それでも「人の役に立つ仕事がしたい」という気持ちは揺らぎませんでした🍀

看護の学科がある大学に進み、ついに念願だった看護師として働き始めたとき、叔母はとても喜んでくれました。
自分が目指していた姿に少し近づけた気がして、心が満たされました😊♡

しかし、私が看護師として働き始めて3年目の時、叔母はがんで他界。

大好きだった叔母を失う喪失感は、言葉では表せないほど大きなものでした。
患者さまや家族を支える立場である看護師としての自分と、最愛の人を失った家族としての自分の間で、心が揺れ動きました。

ずっと1ヵ月近く、ICUで挿管され意識がなかった叔母。

なんで末期がんなのに挿管したんだろうと看護師目線では辛く感じていましたが、叔母はまだ40代と若かったので、叔父は奇跡を信じたかったのかもしれません。

仕事終わりに、叔母の入院先に通い詰めるたびにつらい気持ちになりましたが、叔母の最期の瞬間を看取れたのが救いでした。

人が亡くなることの悲しみや、その家族が抱える辛さを身をもって知った経験でした。

とてもつらい経験でしたが、叔母が生きている間に伝えてくれた
「*ゆーりはきっと良い看護師になるよ」
という言葉を思い出し、徐々に前を向くことができました。

今では、患者さまやそのご家族に対して、叔母が私にしてくれたように、想いに寄り添う看護を心がけています🍀

看護師としての道は決して平坦ではありません。
それでも、叔母との思い出が私を支えてくれていて、看護師として働く原動力になっています✨

叔母が私に与えてくれた優しさと希望を、今度は私が他の人に届けたい!!

その思いが、私を前に進ませてくれています🌸

今日明日もみなさんにとって素敵な1日になりますように😊♪

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