絵本ゼミ2回目は・・・
次回も期限以内に書こうとしていたのですが、体調を崩して講座自体に参加できず、そこからとても時間が経ってしまいました。。
録画に慣れていないのか、リアルタイムで受けるときよりもノートを取れず、振り返りをまとめられない・・と悪循環?に陥っていました。反省です。
なんとか3回目の講座前に振り返らなければ!と思い、いま書き始めました。汗
今回は、録画を見て特に学びになったことを箇条書きで書いてみます。2回目の講座は昔話絵本と科学絵本についてでした。
・童話と昔話の違い
童話は子どもに向けた作品の総称で、昔話は人々が口づてに伝えてきたもの。
グリムやペローは、本当は昔話だが、日本に入ってきたときに童話と訳されてしまったため、今では童話と昔話が混同されてしまっているそう。
・The Promise of Happiness by Fred Inglis
昔話絵本には、残酷性がよく描かれることは前回の講座で学びました。しかし、その残酷さだけで終わらないように、子どもがホッとしたりするような最後になっていることが、良い昔話絵本の条件である。
The Promise of Happiness by Fred Inglis, published by Cambridge University Press, 2010. Originally published in 1982.
→子どもの本の最後には救いがある。人生は辛いこともある、不条理に満ちているが、人生は楽しい幸せなものでもある。子どもの本にはそういう光が必要である。
実はこの本は読めていなくて、先生が講座の中でおっしゃっていたことをメモしました。。修士論文を書き上げたら読みたいと思います!
昔話の残酷性についての話で、先日、赤羽末吉の義娘そして赤羽末吉研究の第一人者であられる赤羽茂乃さんの講演会でのお話を思い出しました。
赤羽茂乃さんは、世界はほのぼのして生きていけるわけではない。人間は必ず怖さや残酷さを持っているから、生きていく上でそれらを学ぶことも必要である。悲しさや不幸、幸せなど全てを知って、その上で1人の人間になっていくとおっしゃっていました。
優しい人、他人に心を通わせることができる人になるためには、優しさとは何かを理解するために悲しみや辛苦を知らなければならない。その辛さを、子どもたちは絵本や児童文学を通じて体験して、心豊かな人間に成長していくのかなと考えました。
・昔話をどこまで描くのか
人々が口で語ることで伝承してきた昔話。その昔話を絵で表した昔話絵本は、話をどこまで絵で表現するかが重要になる。
先生が例としてあげてくださったのは、フェリクス・ホフマン絵の『七わのからす』(福音館書店, 1971)です。
『七わのからす』は、7人の息子と1人の女の子が登場するお話で、口だけで語る場合、女の子中心の話なため女の子にフォーカスが当たる。
しかし、ホフマンの絵には女の子だけでなく7人の息子も描かれてしまうため、息子たちに目がいってしまい、女の子が薄れてしまう。結果的にお話に集中できなくなる。
・図鑑と科学絵本
テーマは移り、科学絵本についてです。
図鑑と科学絵本についての前に、図と鑑について学びました。
「図」は系図、「What これ何?」に答える。
「鑑」はよく見る、一つのものを詳しく見る。「Why どうして、なぜ?」に答える。
ほとんどの本は、図と鑑を一緒にしてしまっている。両方とも中途半端だから、もっと知りたかったらそれぞれ買うことになるそうです。
一方、科学絵本は、「物語が組み込まれ、子どもにわかりやすい絵で、感動をめざす」。
知った、で終わりではなく、感動することで経験になり生きた知識にするということかなと思いました。
・物語とは?
では、科学絵本に必要な物語とは何なのか?
先生が引用されていたのは・・
The novelist E.M. Forster once said, “The king died and then the queen died is a story. The king died, and then the queen died of the grief is a plot” (86). The point is that the plot is not just a series of events; it is a series of interested events
(David L. Russell. Literature for Children: A Short Introduction. 8th edition. NY: Pearson, 2015).
出来事の連続は単なるストーリーで、出来事同士に関係性をつけるとプロット(筋書き)になるということです。
例えば、蝶の種類がただ並んでいるだけでは、子どもの興味を惹きつけない。そこに関連性があって初めて、子どもの興味を引くことができるそうです。
例として、先生がご紹介くださったのは、
・宮崎学『死を食べる』偕成社、2002。
・矢間芳子作/森田竜義監修『すみれとあり』福音館書店、2002。
・科学絵本という希望?
最後に、新しい発見や技術がたくさん出てくるから、科学絵本はすぐ古くなってしまう、と先生はおっしゃっていました。
出版不況といわれる今、科学絵本に希望があるのでは?とそこで思いました。そんなことは当たり前だ!とお叱りを受けそうですが、、
新しい発見や技術が日々報告される。人類は、常に成長しているのでしょうか?
人間は、生きている限り、常に成長しなければならないと私は考えています。そこに停滞することはできず、常に常に、先へ進まなければならない。
どうやら、というかやはり、ある本にとても影響を受けているみたいです。
大学院の先生に、修論に使えるから読みなさいと言われて読んだ、児童文学の理論書です。とにかくおもしろくて、それについては機会があれば書きたいなと思っています。
そんな、常に成長し続ける人間が幼いときに、「わたし」であることを自覚する大事な時期に出会う科学絵本は、人類の成長に遅れをとらないように、いま生きているときの最新の情報を正確に伝えなければならないと思いました。
内容がいつもより薄く、何だか締まりませんが、継続することに意味があると自分に言い聞かせて・・・今日はここまでにします。