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私は地域とどう関わりたいか?について福島滞在3日間で考えた

最近、再び地域での活動を再開していますが、

私は地域とこれからどんな風にかかわっていきたいのか

この問いが今私の中での一番ホットな課題になっています。

移住したいのか、関係人口でいたいのか、何かを生み出していきたいのか、ただ誰かの企画に乗っかってふらっと訪れる人でいたいのか・・・

そう悩んでいる中、先日福島県の知人に呼んでいただき、3日間農業を体験してきました。

モヤモヤを抱えている中行った、福島

私は現在、大学の福島県の事業の運営を担っております。
しかし、運営で活動してみて、私は組織全体をマネジメントするよりもプレイヤーでありたいと強く思うようになりました。

しかし、教授には引き止められ、就職までの残り約1年間は色んな地域に訪れたいのに、色んな人に会いたいのに、それがなかなか実現できない状況になりつつありました。

また、大学外でも福島県に携わっているのですが、やってみて何か自分の中で言語化できないモヤモヤがありました。

それで少し脳内が爆発しかけていた頃、福島県の知人の方、会いたいとずっと思っていた方からお誘いを受け、即、「行きます!!!」と返信し、行くことになりました。

やっぱり地域は価値観を変える

今までも一般的に「地方」と呼ばれるところに行ったときは、色んな人に会いに行って、色んな人から話を聞いて、今こういうことで迷っている、今後こういうことがしたいなどそんなお話を聞いて自分が地域にどうか関わっていきたいか模索していました。

今回の農業体験もそんな感じで、お米を作る農家さん、草木について知らないことがない農家さん、カスミソウを育てる農家さん、別の地域から福島に来た学生さんなど様々な方からお話を聞いて、それを自分に落とし込んで考えていました。

そして出た結論が、つい最近までは、「地域を元気にしたい!」つまり、地域活性化というのをやりたいんだ!と思っていました。

しかし、先日福島に行ってみて、私はこの方向性じゃないな。と気づきました。

結果的にそれが地域活性化に繋がればもちろん嬉しいことだけど、「地域で自分で何かを企画してやりたいのか?」と言われるとちょっと違う。
私は田舎には癒し、地域コミュニティ、非日常感を求めている。仮に地域で活動するとなったら、この「非日常」が「日常」へと変わってしまう。
それが嫌だから、地域にがっつり関わって地域を元気にすることは違う。

と感じました。

地域と地元は切り離して考える

そうは言っても、地元だったら話は別だなと思っています。
地元には非日常感は求めておらず、「地域コミュニティ」を主に求めています。
それが21年間この地で育ってきて、1番悲しさを感じていることです。

箱物がどんどん建設され、都内からの移住者が増え、経済的には豊かになっていく街。私にとってはそれは目先のことばかりの政策のように思え、10年後、20年後を考えたら恐ろしくてたまりません。

近年、私の市にも観光案内所兼コミュニティスペースができ、市のコミュニティを形成することに非常に貢献しています。

やがてはそういうコミュニティの力になれるようなことがしたい。
そのために、今、癒しやその地域の人との会話、非日常感を味わいつつ今は地元以外の色んな地に足を運びたい。
そして、そこで見てきたものを地元に持って帰り、今後地元のコミュニティ再形成の一員として活動してみたい。

そんな感じで、今私の中でまとまっています。

とどのつまり、

私は地方にガッツリ関わって活動したいとは思っていない。なぜなら、地方には「癒し」「地域コミュニティ」「非日常感」の3つを求めているから。これが1つでも欠けることは私の中では許せない。

けれど、地元では「地域コミュニティ」のみを求めているので、そういうコミュニティの力になれるようなことをしていきたい。そのために、今は色んな地域・地方で活動してみて、そこでの学びを地元に持ち帰り、今後地元のコミュニティ再形成をしていきたい。

こうやって、定期的に地方を訪れ、自分を見直し、また行動していく。
自分を見つめ直すための地域というのもまた魅力的だなと感じました。



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