わたしとトランポリンについて。 #3
#2の続き。
父との競技生活をスタートしたわけだけど
父は体操競技出身だから
トランポリンのことはあんまり知らない。
なのでいろんなクラブに練習させてもらいに行って
わたしは技を教えてもらって
父は指導の仕方を教えてもらって
本当にたくさんのクラブの
たくさんの方々にお世話になった。
父は平日は普通にサラリーマンをしているので
練習を見られるのは仕事がお休みの土日だけ。
平日は自分の仕事をして、
土日はわたしの練習を見て、勉強もしてって
いつ休んでたの?って思う。
それで、平日は違うコーチに見てもらってた。
そのコーチは全日本選手権とかにも出てる
すごい人で、厳しくもあり優しくもあり
とにかくそのコーチも大好きだった。
けどそのコーチとも1年でお別れ。
4年生からはまた違うコーチ。
大好きなコーチとお別れすることは
毎回とても悲しかったけど、
いろんなコーチにいろんなことを教えてもらえた
ことはすごく良かったんだろうなぁ
と今になって思う。
たくさんの方の支えのお陰で
順調に上手になっていったわたしは
4年生の時、初めて世界大会に出場した。
初めての海外は南アフリカ。
初めての海外が南アフリカって。笑
なかなかいないと思うそんな人。
その遠征では前のクラブのお姉さんたちも
たくさんいて、面倒見てもらって
大会でもいい演技ができて、とても楽しかった!!!
土日は父と、平日はコーチと
その時選手はわたしと数人しかいなかったから
ほぼ毎日マンツーマンでたくさん練習できて
成長したわたしは5年生になって、
全日本Jrで個人シンクロ2冠。
やっと日本一!!!
上手な選手の仲間入りができた気がして
とても嬉しかった。
だけど5年生の後半ぐらいかな?
練習している体育館はあんまり天井が高くなくて
ついに手が天井に届いてしまって。
そうなると大きな技や大会でやる
演技の練習はできなくなってしまうので
低いジャンプでもできる
新しい技のかかり(技の前段階の練習)を
毎日たっくさんやって、
休日にはまたいろんなクラブに
練習させてもらいに行って
という形で1年間ぐらいを過ごした。
4年生で初海外試合を経験して以来、
世界大会の選考会にはなぜだかめっぽう弱く、
5年生、6年生、中学1年生と全部中断。
他の大会では必ず上位にいるのに、
選考会だけは全部中断。
3年連続中断で迎えた中学2年生の選考会。
人生の1回目の転機だった中学生のお話は次で。
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