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『住めば都』は嘘だけど、都は自ら創れる。わたし流、都の創り方!

「『住めば都』だよ!」
意味は、「どんな所でも、住み慣れるとそこが居心地よく思える」ということだ。
どこかに引っ越そうとしている人が不安がっていたり、新しく住み始めた場所で悩んだりしている人に向けて使われることの多い言葉ではないだろうか。
かつてわたしも言われた。いろんな人から、何度も、何度も。
そんなわたしがもし、上記のような人に出会ったら迷わずこう言う。
「『住めば都』は嘘だよ!!!」
でも、それじゃあ絶望から救われない。だからこう付け加える。
「でも、都は自分で創れるよ」、と。

自己紹介が遅れたが、わたしは新潟県の出雲崎町という海沿いの人口4000人ほどの小さな町に移住してもうすぐ4年半が経とうとしている地域おこし協力隊だ。
生まれは大阪、育ちは名古屋、ひとつ前の職場は東京の表参道。
27歳の時にこっちに来るまで免許は持っていたけれど車の運転は一切できず、一軒家に住んだこともなく、新潟県や田舎暮らしとも縁遠い生活を送っていた。さらに時はコロナ禍真っ盛りで世の中は敏感でパニック。
そんな過酷な状況下でわりと突然決めてしまった単身移住。
4年半前、できないことだらけでどうやって生きていけばよいのかわからず「どれだけ住んだって都になんてなるわけないやろ!!!」と泣き叫ぶように生きていたわたしが、3年間の任期を自らの意志で二度も延長(*コロナ禍であった2020~2021年の特別置制度を利用)して今もここに住み続けている理由を、『都の創り方』としてお話ししていこうと思う。
移住や引っ越しを考えている人、もしくは今後の生き方を模索している人にとって少しでもヒントのようになるといいなという想いを込めて。

- 自分らしくあること

移住当初、人生初の田舎暮らしは27年間生きてきた環境とちがいすぎて今まで当たり前だと思っていたことがなにひとつ通用せず、息をしているだけで苦しかった。
そんなわたしが今では「ここはここでわたしにとってひとつの都かもな」と思えるようになった経緯を振り返ってみて、『自分で都を創る』ことにもっとも重要なのは自分らしくあることなのではないかと思った。

縁もゆかりもなかった海辺が、いつしか見慣れた落ち着く景色に。*ただし晴天の日に限る

自分が、自分らしくあること。
おそらく真っ新な土地で0から関係性をつくっていくうえで必要不可欠なのは自分らしくあることではないだろうか。
特に、田舎であれば田舎であるほどその土地の人は新参者を警戒している。
その警戒を解くのは、愛想笑いや上辺だけの世間話ではなくて、自分という人間をさらけ出して一生懸命にその土地で我武者羅に生きている姿なのではないかと思う。
ただ、自分らしくあれと言われても「はい!そうします」とできることでもないし、自分らしくあることはわがままで周りへの気遣いなく傍若無人に生きるという意味でもない。
では、自分らしく生きて『自分で都を創る』ためにはどうすればよいのか。
わたしは2つの材料さえあれば自分らしく生きながら『都を創れる』と思っているので、ここからはそのことについて考えていく。

- どこにいても、一人でも誰かとでもできる自分を元気にするもの

突然ですが、「どこにいても、一人でも誰かとでもできる自分を元気にするものやことはありますか?」と聞かれて、パッと答えることはできるだろうか。
質問の意味がわかりにくいかもしれないので少し補足すると、簡単に言えば相手や場所を選ばずにできる『趣味』だ。
これが、できれば2つ以上(状況によってそれができなくなってしまったとしてももう1つあれば安心、という意味で。)あることが、わたしの思う自ら都を創るための1つ目の材料だ。

…そう言われて少し考えてみて思い浮かんだ人も思い浮かばなかった人もいるかもしれない。ちなみにわたしも移住してから時が経ち自分自身について振り返ってみるまでこのことについて考えてみたこともなかったので、パッと思い浮かばなくてもなんら問題もなければ、思い浮かんでいないだけで実はすでに持っている可能性もあるので心配は無用だ。もちろんこれから探すことだってできる。

わたしにとってのどこにいても、一人でも誰かとでもできる自分を元気にするものは、ランニング料理、あとは読書だ。
わたしの経験を読んで、「自分にとってはなんだろう」と考えるキッカケにしていただけたら嬉しい。
移住云々の以前に、「自分といえばこれ!」というものを胸を張って発信したり続けていくことは、自分らしく生きることに繋がっていくから。

・社会人になってから始めたランニング

「ねえねえ、海沿いで苺が食べられるフルマラソン出てみない!?」
キッカケは、社会人1年目の年に友人からそんなふうに声をかけられたこと。
父がマラソンをやっていたのと、車の運転をしない故に42㎞の距離感がわからず、「海沿いで苺食べたい!出る!」と二つ返事でOKしてしまった。それが始まりで、すっかり趣味のひとつとなったランニング。

無謀移住をしたのがちょうど7月であり、近場に友だちもいなければ車にも乗れず、コロナ禍で身動きも制限されていたのでとにかくできることがなかったわたし。
だけど道は目の前にあり(しかも海沿い。夏は気持ちがいい)、靴さえあればいつでも走れる。
コロナ禍ゆえにマラソン大会も軒並み中止であったが、とりあえず海沿いをランニングすることを日課にしていた。これが、移住前と変わらずできて自分らしくいられる数少ないことのひとつだったから。

家から30秒で辿り着く海は、my running road

ちなみに、移住早々に町での暮らしを発信するInstagramのアカウントを作っており、最初はフォローする知り合いもいない状態ではあったがハッシュタグをつけたりしながら発信しているうちに町の方の目にも留まるようになり、DMから「出雲崎町のランニングチームの者です。よかったら今度一緒に走りませんか?日時は~」といったご連絡をいただき、移住してから1ヶ月と少々で、町のランニングチームに入れていただくことに。
そこからはチームのみなさんと一年中毎週集まってランニングをしたり、県内各地のマラソン大会に出たり、慰労会や忘年会を行ったりするようになって仲間ができた。

道と靴さえあればどこにいてもできて、一人でも誰かとでも年齢問わず一緒にできるランニングという趣味があったから、また更にそれを地道に続けたり発信したりしていたからこそ、縁もゆかりもなかった土地でこんなにも素敵な繋がりができた。
日常でどれだけ辛いことがあっても、毎週みなさんに会って談笑しながら走る時間が、どれだけわたしにとって救いであったか。みなさんと走る時間があったから今日まで笑顔でいろいろなことを乗り越えてこれたと言っても過言ではない。ランニングチームのみなさんには本当に感謝しかない。

もうかれこれ4年以上毎週一緒に走ったりマラソン大会に出たりしているチームミントのみなさん。年の離れたわたしも仲間に入れてくれたことに心から感謝

そして走ることなので、もちろん1人でもできる。
今でも1人で近所をランニングしたり、気になったマラソン大会に1人でエントリーすることもある。
1人でも、誰かとでもできる趣味というのは融通が利くのだ。

・環境が大きく変わっても、同じ味が食べられること

もうひとつ、移住後のわたしを支えていたのは料理だ。

大学1回生の時に一人暮らしを始めて以来、ほとんど自炊で生活してきた。子どもの頃から「日常の食事は作るもの」という価値観の家に育ったので、最初は味噌汁すら作れないくらい料理ができなかったが自炊をするのは自然な流れだった。
毎日お弁当も夕食も自分で作っているうちに気づけば食べたいものは自分で作れるようになっていて、料理教室に通ったり誰かに習ったりしたことはないが、料理はわたしの日常であり食べたいものを自分で作れることは幸せや小さな自信のひとつとなっていた。

そんな中での突然の無謀な単身移住。しかも行先は田舎。
最寄りのコンビニは片道車で10分。誰もが知っているファストフード店までは片道30分…すぐに食べられる状態のものにあり着くにはハードルが高すぎる。
そして季節は夏。出会う人出会う人に見たこともなかったり調理したこともない食材をもらうもらう…
とても有難く幸せなことなのだが、もしきっとわたしが全く料理ができなかったらかなりの負担であり、さらに食べきれなかったり腐らせてしまう罪悪感で精神的にも辛かっただろう。もしくは毎日生野菜をかじる、みたいな生活になっていたかもしれない。

でも。わたしは料理ができた。さらに、自分で食べたいものを作って食べることがもともと好きで日常だった。
いただいた食材でいつもの味の肉じゃがを作り、一口食べた時は涙が溢れた。
「こんなにも環境や境遇が変わっても、肉じゃがの味は変わらない…」
移住当初のわたしには、どこにいても同じ味のごはんが食べられる、このことが大きな生きる希望であった。

さらに、近くに友だちがいなくても遊びに行ったり外食すらできなくても、未知の食材と格闘しておいしい料理を作って「おいしいなあ」と食べることは、わたしの日常の楽しみのひとつとなった。
料理ができなかったらこの町でこんなにも長く暮らしてこられなかったかもな、とたまに思う。

初めて出会った「夕顔」という野菜。大きさに驚いた

・開くだけで別の世界に羽ばたける読書

わたしがこの地で生きてこられたことに大きく関わっているのは上記2つのことであるし、移住当初は心に余裕がなくて大好きだった読書もろくにできないような状態ではあったけれど…
読書はこのあとの話にも関連するので軽く触れておくことにする。

どこにいても、一人でも誰かとでもできる自分を元気にするもの…まさに、読書である。
どこにいても、一人で、誰でもできる。今までに挙げた中で一番わかりやすいかもしれない。

ただ、わたしは読書は心のバロメーターだと思っていて、移住当初のわたしには活字を読むほどの体力と心の余裕は毛頭なかった。
辛うじて、ぼっーとしていても目と耳から自動的に情報が入ってくるテレビをよく見ていたくらいだ。
なので実際に移住当初のわたしを救ったわけではないが(むしろ逆に「本の空間を創りに来たのに本すら読めないのか…」と落ち込む材料となっていたことはここだけの話。)、場所と境遇がちがったらきっとこれもそのうちの1つだと言えるだろうと思うのでこちらも挙げておく。

- その場所で成し遂げたい夢や目標があること

『都を創る』うえで自分らしくあるための材料のもう1つは、その場所で成し遂げたい夢や目標があること。
そこにいる明確な理由があることがその場所で精一杯生きることに繋がって、それが自然に自分らしくあることとなると思っている。

夢や目標なんてなんでもいい。
わたしのように「本のある空間を創って、本と人の出会いを生み出したい」といった仕事としてやりたいことでもいいし、ここからは想像になるが「都会ではできない人と人との繋がりを大切にした暮らしがしたい」とか「自然の中で暮らしたい」とか「古い家を自分でリノベーションして住みたい」とか…きっと人それぞれいろいろあるだろう。
ただ、明確ななにかがないとそこにいる理由がなくなってしまって、住んでいて辛いことやうまくいかないことが起きた時に「住めば都になんてならない!別の場所にしよう!」となってしまう気がする。
もちろんそれでもなんの問題もない。そうやって自分にとって最適な土地や暮らしを探すのも1つの方法だ。ただ、わたしは移住がどれだけ大変なことか身をもって知っているし、時間もお金もかかる。
ここでは住んだ場所を都にする方法を伝えているので、もう少しお付き合いいただきたい。

・夢を叶えるための移住

わたしは大都会から人口4000人の町にわりと弾丸で移住してきたわけだが、都会が嫌になったわけでも田舎暮らしに憧れていたわけでもまったくない。一軒家や古民家に住みたかったわけでもなければ、人間関係を一掃したかったり1人になりたかったわけでもなく、新潟県や町に縁やゆかりがあったわけでもまったくなければ、地域おこし協力隊になりたかったわけでもない。
…ふつうはこの状況で移住なんてきっとしない。しようとも思わない。
でもわたしはいろいろな偶然の重なり合いや世の中の状況、さらに「ついでにどうですか?」と軽く言われて受けた採用面接に受かってしまったなどがあって気がついたら移住していた。

ではそもそもなぜ移住しようと思ったのか。
それは、「本のある空間を創って、本と人を繋げたい」という夢があったからだ。
この夢をこの場所で叶えようと決めたのはほんとうに偶然でしかないが、兎にも角にも、わたしはこの夢を叶えるためだけにこの町にやってきた。

最初は風当たりが強かった。
なぜなら、縁もゆかりもなく誰だよコイツというわたしが突然やって来て住み始め、お願いされたわけでもないのに「本屋のない町に本屋を創ります!」と言い始めたのだから。(さらにわたしが2人目の地域おこし協力隊であったため、当時はまだまだ町内での理解も浅かった。)
「絶対失敗しますよ、移住してすぐ始めてうまくいくわけがない」
「本だけでこんなところまで人が来るとは思えない」
「図書館なら町内にあるけど」
いろんなことを言われた。

さらに、27年間住んできた場所とは180℃異なるような環境下での暮らしは、前述のようにほんとうに過酷だった。
それでもわたしが前を向いていられたのは、この場所で成し遂げたいことがあって、そのために無謀な移住までしたからだ。
「成し遂げられなかったらこんなに辛い思いをして生きている意味がない。できることを全力でやって、無理ならキパリ諦めて退散しよう」
そんなふうに思うことで自らを支え、ここにいる意味を見出していた。

さらに、とにかく必死で突き進むわたしの姿は狭い町の中ではよくも悪くも目立ってしまう。
少しずつ「これやってやろうか?」「あの人が力になってくれるかも」などと、手を差し伸べてくれる人たちが増えてきた。
やっぱり人はがんばっている誰かを応援したくなるものなのかな、と思ったりもした。
そんなこんなで、最初はわたし1人の夢だったことが、いつしかみんなの夢になって協力してくれる人もたくさん増えた。この夢を叶える過程で知り合ったり繋がった人たちも数知れない。
とにかくひとつ言えることは、わたしはこの夢がなかったらそもそも移住もしていなかったわけだが、この夢がなければ確実にこの地で辛いことを乗り越えて今日まで生きてくることはできなかった。
夢や目標があれば、人は強い。
それを叶えるために生み出されるパワーも人を巻き込む力も大きい。
そんなことを身をもって実感する数年間だった。

移住後5ヶ月でオープンしたわたしが"夢"を叶え続ける場所『蔵と書』

流れるように辿りついた土地で、自らの夢を叶えるために創った拠点を起点に夢を叶え続けていたら、最初は苦しいことしかなかった場所に都を築くことができていた。
このことは、わたしにとって人生レベルの大きな自信にもなっている。

きっと、今後どこに行ってもなんとかして生きていけるのではないか、と本気で思える。し、周りからも「あなたなら大丈夫。」と言われる。
それが実際に次の挑戦にも繋がっているので、かけがえのない経験だったなあと、今もまだ終わってはいないが振り返って思ったりもする。

- わたし流、都の創り方!

長々と語ってしまったが、伝えたいことは変わらない。
わたしは移住を考えている人に「住めば都だ」なんて無責任なことは言えないが、自分の生き方次第で住んだ場所に『都を創る』ことは努力次第で誰にでもできると思っている。

なんならこの地で暮らした数年間で、「自分らしくあるあり方」に気づかせてもらった気さえしている。
なにもない真っ新な場所で、生活も仕事も人間関係も0からつくる。
そんな経験が、自分はどんな人間だったのか、なにが好きでなにが得意でなにができてなにができなくて…と、自分自身ととことん向き合い自分のいいところもいやなところも少しずつ認めたり受け入れたりしながら、たくさん失敗して傷ついたりもしながらトライアンドエラーで生きてきた時間の積み重ねが、わたし自身を再構築してくれたように思う。

ずっと住んでいる居心地のいい都を離れるのは大変だ。苦労やリスクもつきものだし。わざわざ荒波に飛び込むようなことをする必要もない。
それでも、新たな土地に自分の力で『都を創る』経験はきっと人生の中で貴重な経験になると、わたしは自分の地域おこし協力隊として駆け抜けた数年間を振り返って胸を張って言える。

今ではすっかり住み慣れた(?)近所をさんぽするわたし

人生の中で一度くらい、『自分で都を創る』経験をしてみるのもよいかもしれません。


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・申込いただいた方には、開催前に参加方法等をお知らせします。

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Yu Ishisaka
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