パン屋も本屋もない町で暮らすということ
はじめまして、都会とは真逆の生活。
この町に来る前、一人暮らしをしていた神奈川県のアパートでは、隣人への引っ越し挨拶に2.3度チャレンジしたものの毎回留守で、半年以上隣人の顔さえ知らなかった。
実家のマンションでは、小学生の頃は近所の子と遊んだり、今でも帰省時エレベーターなどで住民に会えばもちろん挨拶をするが、住み始めてから20年も経てば転勤や戸建て購入などで住人もだいぶ入れ替わり、「何号室のだれだれさん」と顔を見てわかる人も少なくなった。
そんなわたしが新しく住み始めた町は、人口4100人ちょっと。
犬も歩けば棒に当たるように、ひとたび外に出れば近所のどなたかに出会う。
「おはようございます!」
「今日暑いですね」
「今から走りに行ってきます!」
「先日いただいた煮物、とっても美味しかったです」
「お出かけですか?お気をつけて」
知り合いもいない、未踏の地に一人で移り住んだわたし。
移住直後は得体の知れない不安に押しつぶされてしまいそうだったけれど、孫のように可愛がってくれたり気にかけてくださる近所の方々のおかげで、時には買い物や料理で楽をさせてもらいながら有難く生活している。
都会ではぜったいにあり得ない光景だろう。
すれ違えば挨拶をして、時には立ち止まって少々の世間話。
「お茶飲んでくか?」のお誘い。
「前通ったら必ずうち寄ってね」というお言葉。
用がある時はまず戸を開けて大きな声で「ごめんくださーい!」、返事がなければ「こんにちは!」。
それでも返事がなければ、ようやくチャイムを押す。
そもそも車がなければ家にいないだろうと出直す。
映画や、サザエさんなどのアニメで見たような光景がこの町にはある。
あたたかいなあと思う。
県内に親戚も友だちもいなければ、町内には居酒屋すら一軒しかなく(しかも車がないと行けない)、大好きなパン屋も本屋もない。
都会に住んでいた時当たり前にあったものたちは遠いものになってしまったけれど、その分都会にはなかったものがある。
何かを手放せば、そこには必ずまた別のものが入ってくる
そんなことを改めて実感した。
「パンがなければお菓子を食べればいい」と昔誰かが言っていた気がするけれど、パン屋がなければ自分でパンを焼けばいいし、本屋がないなら積読を読めばいい。本を求める人がいれば、自分が図書館になったっていい。
ないものは創り出す。きっと、昔の人たちはそうやって生きてきたんだろうなあと、しみじみと思った。
実際、ケーキが食べたくなっても近場では入手できないので、最近よくケーキを作るようになった。
こちらはいただいた大きなかぼちゃと地元の良寛牛乳さんのヨーグルトで作った、南瓜のチーズケーキ(風)。
いつもお世話になっている近所の方や、原材料をくださった方などにおすそ分け。
カップケーキの型まで買って、地元特産のハックルベリーを使ったマフィンも。・・・食べすぎには注意しよう。
使いどころなく、無駄に上がる女子力を横目に・・・
ないものに目を向けて嘆くのではなくて、(もちろんわたしだって嘆きたくなる時もあるのでその時は思いっきり嘆けばいいってことにする)、どうやって創り出すかを考えればきっと毎日は楽しくなるのだろうなと、この町に来て思った。
もちろん大変なこともあるが、少しずつ、自分で創り出しながら、一日一日を紡ぎだしていきたい。
大丈夫、時間はたくさんある・・・!と自分に言い聞かせて。