
ガンプラの塗装についての私感

ガンダムキャリバーンのパチ組が終わり、完成させました。
HGUCは基本的に、塗装しようと思わないので、パチ組で満足しています。
今、電撃ホビーマガジン付録のヘイズル改と、旧キットのシャイニングガンダムの筆塗り作業に入っています。シャイニングガンダムは、お風呂用の洗剤で塗料を落として、塗り直しです。
どうも気乗りしない。ガンダムの筆塗り。
これがフィギュアだったら気乗りする筈だし、戦車やマシーネンだったら、もう少し気乗りする筈です。
ガンプラだからなのか?
ネットなどのガンプラ塗装を見ると、カーモデルに近い塗装が多いように感じています。迷彩仕上げのガンプラは珍しいですし、スプレー塗装でピカピカな感じがします。
私の筆塗り方法だと、カーモデルに不向きで、車のプラモデルを作りたいともあまり思えません。車を作るなら、戦車を作りたい私です。
ガンダムだと思うから気乗りしないのか、と気付きました。
これをガンダムではなく、戦車やマシーネンだと思って塗れば良いのではないのか。
気楽な練習ぐらいに思って塗れば良いではないか、と。
こういうモノだ、という思い込みがあり、従ってこうしなければならない、と思い込めば、気乗りしない時があります。
自分に向いていることだったら良いかも知れませんが、向いていないことだったら、苦手意識というか、ハードルが高くなるというか。
だったら、前提を覆してしまえば良い。これはガンダムではない。戦車だ、マシーネンだ、と捉えてしまえば、横山宏さんのような筆塗り塗装をすれば良いのだ、と。
その練習だと思えば、ワクワクしてきます。
キャリバーンを見ても、戦車やマシーネンに見えないし、パチ組の完成度を見て、私は塗装したいと思えません。
ニッパーのみで表面処理をしていませんが、凝視しなければ気にならない、私は視力が悪いし、老眼が入ってきているので、気にしなければどうということはありません。
塗装をしたいな、或いは、塗装をしないといけないと感じさせるガンプラもある筈で(旧キットなど)、最新のガンプラはパチ組だけで十分な完成度があって、プラモデルだからといって、全て塗装をしなければならない、ということはないでしょう。
最新のガンプラばかりを買って作っているのならば(水星の魔女シリーズなど)、パチ組でも十分だと思います。
そういうパチ組モデラーが多くて、それはそれで良いでしょう。
私の場合は、レトロキットや海外のキットを買うことが増えてきて、先日、マクロスの25周年記念塗装のプラモデルを買ったのですが、中を確認してビックリしたのは、パーツが青一色だったことでした。
塗装していないじゃん!
記念塗装というのはデカールのことで、塗装することが前提のキットでした。流石ハセガワの飛行機キット、渋い。
これは批判ではなく、プラモデル塗装をしたことがないのと、あえて塗装をせずに完成とするのは、気持ち的に違いがあるのではないか、とも思えます。
塗装ぐらい自分でしなければモデラーとは言えない、みたいな批判があって、しかし、パチ組でも完成度の高いプラモデルばかり作っていたら、塗装したいとあまり思えないでしょう。
逆説的に言えば、塗装することを強いられる、塗装しなければサマにならないから、塗装をするわけです。
塗装を全くしない、というのは、選択肢がパチ組しかない、ということです。
そこに塗装、筋彫り、合わせ目消し、などが加わることで、選択肢が増えていきます。
しかし、選択肢が増えると、煩わしさも増していきます。だから私は、時にはパチ組、時には塗装、と作り方を選択して、飽きないようにしています。
それしかしない(例えば、パチ組しかしない)というのは、ある種の強みがあります。迷いがないからです。
しかし、塗装も出来るけどあえてしない、というのは、パチ組モデラーはモデラーではない、という批判へのカウンターになります。
さらに、パチ組でも良いじゃん、とも言えます。これだったらパチ組だけでも十分、と。必要だったら塗装すれば良いわけで、無理して塗装をする必要がないからです。
なので、例えばキャリバーンを私が塗装しない理由は、バンダイにあります。
だから、「パチ組=モデラーではない」という批判に関しては、パチ組で満足してしまうキットを販売しているバンダイが元凶だと認識しておいた方が良いでしょう。
もっと言えば、出来の良すぎるキットばかり買って作っているのが悪いのです。ガンプラを買って作らなければ良いのです。
つまり、「パチ組=モデラーではない」という批判は、私的にモデラー批判ではなく、ガンプラ批判だと捉えています。
そういうことは、色々なプラモデルキットを作っていないと、気付きにくいと思われます。