見出し画像

🍀なんなる28 未来の種蒔篇⑼「学歴信仰」を手放した先に

日本国憲法に出会った中学3年。

「その能力に応じて、ひとしく」
とはなんであろうか。
私は、この条文に中学3年のときに出会ってから、今もまだ解釈の仕方に悩んでいる。

私たちの住むこの国は、果たして学歴信仰を手放せるか?

学歴が幸せを決める訳ではないことをたーくさんの人たちが知っている。
「職業に貴賎なし」とはいえ、夢や志のために、最終学歴を見据えて偏差値を上げるためにひたすら努力する人もいらっしゃる。

もっと勉強したい子とゆっくり学ぶ子は共存できない?

「ゆっくり学ぶ子と一緒だと勉強が遅れちゃう」
という声に象徴されるように、もっと勉強したい子もゆっくりな子も同じ場所で共に学び暮らすことを想像できない大人もいらっしゃるのではないだろうか。

中学3年生だった当時。学校でお友達に勉強をわかりやすく教えることにやりがいを見出していた。「受験競争に乗り遅れ、進学校に進めない私の人生詰んだ?」と悲観したこともあった(私の古傷。)

受験競争に出遅れたら終わり?

そーんなことないよ!!

学歴信仰に頼らずとも、なりたい自分になれるよ。

中学3年生だった私に、伝えたい。
偏差値を上げるためにひたすら努力する受験システムに乗らなくても、学校で教科書のとおりに学習指導要領を消化しなくても、豊かな知識を得る方法はたくさんある。なりたい自分になれる。
例えば、私の場合、学校で数学の教科書をもらうことはできなかったが、公文式教室で高校数学まで取り組むことができた。公文式教室では、学年を越えてどんどん先に進めるのが、楽しかった。自分の知識欲もますます深まり、最終的に取りたかった資格を3つ取ることができた。

知識を得る方法はいくらでもある。

もっと勉強したい子もゆっくりな子も同じ場所で共に学び暮らす社会は実現可能だよ。

私も楽しかったよ。嬉しかったよ。
私の方こそ「ありがとう」だよ。

改めて問う。
「その能力に応じて、ひとしく」ってなあに?
「学ぶ」ってなあに?


人はカラフルなのだ。
人の内面もまたカラフルなのだ。