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国際アルビニズム啓発デー 雑記

テーマのあるnoteは夜に投稿する予定なのだが、国際アルビニズム啓発デーを迎えた今日、思うところを書き記しておく。

国際アルビニズム啓発デーは国連が定めた、アルビノの人への差別や迫害をなくすための日。今日、世界中で当事者たちによるアクションが行われている。


知ってもらえば、解決するか?〜啓発の効果〜

何も知らないままに他人を尊重するなんて無理だ。では、知っていれば差別に加担しないのだろうか。そんなわけはない。

じゃあ何で国際アルビニズム啓発デーにスペースやnoteでコンテンツを作っているのか。知ることで差別は減らせるからだ。ゼロにはならないけど。

学ぼうとしてくれる人もいる。そういう人に甘くはないが真摯な入口を作っておきたい。矛盾を抱えた行動の理由はそんなところだ。

「啓発」なる言葉に欠如モデルの気配を感じる

「啓発」は障害や疾患についての話題で聞く言葉だが、最近この言葉にもやもやしている。市民に知識が足りないから科学への不安が生じ、正しい知識を注ぎこめば解決するという欠如モデルの気配を感じるからだ。

アルビノや数多の疾患、障害への知識を無知な人に伝えるなんて姿勢は取るべきではない。啓発よりもっと対等に考えられる言葉を探したい。

アルビノへの差別や迫害の事実から目をそらさない当事者をやる

差別や迫害は現実にある。たとえそれが小さな制限に見えたとしても、積み重なって大きな困難になる。

理解してもらおうとする、物わかりのいい当事者になる気はない。伝える技術は磨くけれど、笑顔でへりくだる気なんかない。

当事者同士でひどい経験を共有したり対処法を考えたりするのも大事だ。でも、私は私にこんなことをする社会構造を解体したい。それにはデータを根拠に社会構造への批判を行わなければならない。

言葉が強いのは承知の上で、差別を差別と言う。

奇祭から始まる

Twitter(現X)において、私が発案し、粕谷幸司さんと盛り上げているのが、#アルビニズムデー2024のハッシュタグだ。先に断言しておく。これは奇祭だ。

今日、アルビノにちなんで白いものの画像を投稿する。白い食べ物、白い服、白いアクセサリー、白い景色、良識の範囲で白ければ何でもOK。

そして私も同じタグを使い、アルビノを知る手がかりとなる情報をTLに混入していく。白いものの画像、アルビノの情報があふれるタイムラインの出来上がりだ。

Twitterの奇祭と言って差し支えない不思議なキャンペーン。しかも、国際アルビニズム啓発デーの成り立ちを思えば、白いもの、特に食べ物や飲み物の画像を投稿するやり方に批判は起こりうる。アルビノの人の身体や命を奪い、売買する深刻な差別と迫害を止めるための日なのだから、その日に白い食べ物や飲み物の投稿が何の違和感もなく受け入れられるとは私も思っていない。

他のアルビノ当事者が同じことをしたなら、私は異議を唱えたかもしれない。少なくとも、心から賛同はしないだろう。

迷いはある。もっといい方法があるんじゃないかと思う。

かつて私はアルビノフェス2019を強く非難した。差別と迫害の事実やその解決よりも、アルビノ当事者の表現活動に強く焦点を当てるフェスの開催は新たなステレオタイプを生み出しアルビノ当事者に頑張ることを強いるばかりで、問題はそのままだ、と。今もそれは変わらない。

なのにこんな奇祭を始めるのはなぜか。こういうアクションは慎重に進めるべきなのも承知で、それでもこの奇祭がアルビノを知らない多くの人を巻きこみ成果を出す可能性を生じさせた。

私の好きな漫画の一つ、『亜人』の主人公、永井圭がこんなことを言う。可能性が低くても、行動し続ければ、成功確率はゼロではない。永井よりもずっと経験豊富で戦闘に長けた佐藤に圧倒され、希望も消えたかに思えたそのときに彼は諦めないと宣言する。

賛否が別れたアイスバケツチャレンジは、ALSの研究、治療に寄与している。私が嫌いな24時間TVも集めた寄付で障害者や子どもに向けた支援を行っている。アイスバケツチャレンジも24時間TVも私は冷ややかに見ていた。24時間TVに関してはこれからもそうだろう。あの番組はマスメディアとして問い直されなければならない。

それでも、最善を考えているうちに私の時間は過ぎていく。何もしなければ何も起きない。やる後悔か、やらない後悔か。やってみることにした。

この奇祭の効果として私が望むのは、アルビノが解き明かされ、視機能の改善に向けた治療ができることだ。「もっといいやり方がある」「正しくない」と言われるのも予想の範疇。それで、その正しさは私がするより多くのことを私にしてくれるんですか? 私がやるよりも迅速に、的確に?

ライトでポップな奇祭が何を生むかは未知数。やりながら調整していく他ない。批判にも目を通しできる限り応答したい。

私は人と足並みを合わせられない難儀な性格をしている。多分、一人で突っ走っていくしかない。そうして批評され、修正しつつ私にできることをやり続ける。徒労に終わるかもしれない数多くの試行の一つとして。

執筆のための資料代にさせていただきます。