他者の理解って、どゆこと??ーちょっと寄り道編·後編ー
※このシリーズは、他者の理解について、メンヘラ気味のオバさんが、世の中でうまく生きられるようにと、考えを深めていく記事です
※今回は、シリーズから離れて、寄り道編を書きたいと思います
※この記事は、寄り道編 後編です
今朝方、ネットサーフし、
お気に入りのところから、飛んで飛んで
心理士さんの記事を目にした
本も多数出版する、名の知れた心理士さんだ
詳細は省くが
ある講演会後、会話した主催相手とのことだった
この言葉を知らないとは……という心理士さんの思いが、そのとき表情に出てしまったらしい。そのため、相手の自嘲なのか薄い笑みと、そのときの言葉が、記憶に残ったようだ
(わたしはnoteに書くために、2回この記事を読んだ
すると、1回目は心理士さん側の気持ちだったのに、2回目は主催相手と心理士さんの、両方の気持ちを思うようになった)
わたしは思った
侮辱のように感じたら、侮辱されたと返すのは、人間ならばあることだ、ということを
自嘲は……してしまうと思う
わたしも、急患で受診した身内の付添いの際に、それを感じた_____
自嘲ひどいなと思った。それから、しまったこの人の手のひらに乗ってしまったなと、帰りの運転中に思った。
嗚呼、あれが無意識の、たとえば本人にとっても受け入れ難い善良ではない部分、情動に近いところの……あれがそうかもしれないと思った。
そして後部座席で眠った子どもたちを担いで、布団に寝かせた_______
わたしはあのとき、土俵に乗ってしまった
それで自嘲されて、恥ずかしかったし…今も恥ずかしい(残る気持ち)
しかし、感情のぶつかり合いのようなものを、そのような場では無かったかもしれないが、経験することができた
とにかく、返すのがいい
返すのが、その人の健康にとっていい
理性によって謙って返すのも、方法だ
それによってわたしのように、相手の本意が伝わらない場合もあるが
絶対に、返すのがいい
そして、そのあとなにが大事かと言えば、
人間ならばあるという、
理解や寛容や許すという、次のプロセスかもしれない
互いに言い合って、目と目があって、
ビックリして互いの感情に気付いての、プロセス
けんかをして、それから仲直りという懐かしいあれと、ほぼ同じかもしれない
それ以外には、無いのかもしれない
心理士さんは、そのことを知っていて、書いたんだと思う
知らないという姿勢によって、自らを矢面にして、わたしたちに伝えたんだと、思う
人間の、善良ではない、憑依的なそれを、
自己の中と、他者との関係上で、
みんなどうしているのか、これからも知っていきたい
他者理解シリーズ 寄り道でしたm(_ _)m
最後まで読んで下さり、ありがとうございました