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他者の理解って、どゆこと??⑩'中編

※このシリーズは、他者の理解について、メンヘラ気味のオバさんが、世の中でうまく生きられるようにと、考えを深めていく記事です

※⑩記事は、前編、中編、後編の3つからなります
  この記事は、⑩'中編です


では、
【他者理解では、身体の言葉はどんな意味があるのか?】という肝心の段階に進みます

実はわたしは、これが出来ていません(@_@;)
旦那さんはこういう言葉を、使うのですが……


わたしの考えではありますが、
身体の知覚を経由し、無意識に意志決定し発せられる身体の言葉は、人類が言語以上にノンバーバルを受け止めてきたように、他者が話し手の無意識に触れるという、人間らしい言葉だったのではないか……そして、それは今も変わらないのではないか……

心理学の本に、無意識に伝わる言葉の例が、いろいろとありました
断定表現とか、パワーワードだとか、ひどく虫ずが走るのですが(たぶんわたしの潜在に相当するのでしょう……( ̄▽ ̄;)ハヒ)

そこに、身体の知覚の言葉は書かれていなかったように思います

日常の言葉に偽りなし、とは言い切れないですが、純粋な表現は、
人々のこころに届き、
人々が安心して受け取れる言葉だったのではないか
と、、、メンヘラオバさんは思いました、、、


しかし、
発達系の方や、メンタルのダウンの場合は、身体の言葉に込められた共通認識が伝わらないのではないか、とわたしは考えました

「疲れたなぁ」
「ほんとだね。。。」にならない
「それは、かくかくしかじか、だからではないか」と言ったり( ゚д゚ )彡
「なんで?」とにかく掘り下げてしまう
(わたしも完全にそうなのです( TдT))

解決思考とは言われるが、なんの解決か
聞き手の、ドーパミン依存的な解消の快楽に、あたまが働いているのか……スミマセン毒語


そう、このシリーズのタイトルのように、理解、理解、理解という名の【壁】を、どこまでも作る、、、


自分自身に対しては、共感的対応を求めるにもかかわらず、、フタタビ毒語(_ _;)


この壁が、なぜここまで拡大したのか、、
今はそれを探る根気と勇気はなかった(^_^;)
……

最後に、
他者とつながりを持つ人々は···
→⑩後編に続きます