おもうこと
「伝わらない」ことがあったとき、虚しさと悲しみと、その感情のはてに、何かがやってくる
届けることが出来なかった「おもい」の、こちら側に残る「おもい」を、誰か···誰か···受け取ってくれないか________。
「おもい」に込められている“話し手の気持ち”が、何であるか、それに聞き手が思いを寄せることの、深みを書いてくださっているんだなぁと、私は思いました。(追記:書き手側についても、書いてありましたね^^;)
そこに個人的な心境を、並べて書いてしまいました。
意図を損ねかねないような内容を書いてしまい、すみません…。自己弁護にはなりますが、影をおもう光のような感覚で、氏のツイートを引用しました。
ツイートは、おもうという字の、文章における書き方と読み取り方において生ずる、“一断面”的な解釈の物悲しさを書いているんだなぁと、思いました
物悲しい______。
国語力的な、読解力の優劣を憂いでいるのでは、決してない。何か、
人が焦点であること
言葉ではなくて、人が焦点であること
言葉ではなくて、気持ちが焦点であること
これが、物悲しさのこたえかもしれないと、私は思いました。だから、全部が伝わらず、憂いと悲しみは多々あるけれど、いつか、少し伝わるかもしれない。今は絶望だが、周りの人も、同様に傷付いた心を持っている。周りの人も、自分も、気持ちはゆっくりが、一番居心地がいいのかもしれないですね。
影と光。そう思うと、並列した心境が、若松英輔さんのツイートと重なってくるような、そんな気がしてしまいます(((((^_^;)