だらだら書く
あいまいに寛容であることが、人間関係に必要であることを知ったのは、そんなに前ではなかった。1年前か・・・数ヶ月前か。
私は、言われてみれば、対人関係に白黒つけたい人間かもしれない。特に、身内に対して。身内に、仕事場のように、合理的な言葉で返していたような気がする。きっちりと、ちゃんと、と。
曖昧ということは、当たり前に、却下するものだと、相手が子どもでも、私は思っていたかもしれない。
しかし、人間関係には、それが、不向きだということを知った。
そうして、私が苦しんだのは、このような自責ではないと、断言したい。
私のような、不寛容な相手に、私は苦しんだのかもしれないと思う。
そういう大人に対して。そういう自らの子どもの言動に対して。
仕事や、そうではないシチュエーションや。
私が不寛容なのだから、相手が不寛容な態度を示すのも、当然だ。
しかし、私は今日車をぶつけて、
また、地底を這うような気持ちだった。
実は1年前にも、物損をした
1年で2回も・・・。それで、ショックが大きく、今日は思考が停止し、顔も固まっていたかもしれない。
_____今ちょっと思った。
車をぶつけるのは、よくあることじゃないけれど、ショックが大きくなるのは、当たり前の出来事だ。だから、頭が真っ白になるのも、相手を受け入れるような表情が出来なくなるのも、当たり前かもしれない。
それに物損をして、なに食わぬ顔をしていたら、それこそ、火に油だ。
私の心や体の反応は、それで良かったのだと思う。