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このギター、まだ使えますか?
実家の物置部屋の奥で、ギターを見つけた。
古いアコースティックギターが3本。そんなにたくさんあったっけな。と思いながら引っ張り出した。
YAMAHAが2本、ヤイリが1本。
ヤイリはボディが割れていて、その上からガムテープが貼られていて、更に趣味の悪いステッカーもたくさん貼られていて、見たことのないギターだった。
YAMAHAの2本はよく似ていて、詳しくない私には種類の違いなんて分からなかった。
でも一瞬で気付いた。
印やマークや番号なんかじゃなくて、ほんの小さな傷が確信させた。
祖父のやつで、2番目の兄のやつ。
2番目の兄はアウトロー。本当に嫌いだった。
人は血の繋がった家族をここまで嫌いになれるんだろうか。というくらい嫌いだった。
何度も父を困らせて、何度も母を泣かせて、何度もいつも冷静な1番目の兄を憤慨させて、どうしてこんな奴が産まれてきたんだ。と思った。
小学生の頃、家に帰ると、暗いリビングにあいつの担任の先生が居て、その横で母が泣きそうな顔をして謝っていた。
中学に入ると、知らない不良の上級生や先生から「〇〇の妹じゃろ?」とニヤニヤしながら言われた。
あいつなんかこの世界から居なくなれば良い。ずっとそう思っていた。
それが少しだけ変わった時期がある。
あいつが音楽を始めた時だった。
昔から、水泳をしてみたり、陸上をしてみたり、サッカーをしてみたり、ボクシングをしてみたり…どれも長続きはしなかった。
全部逃げるように辞めて、学校や家族にただ迷惑をかけるだけの人間だった。
ある時、あいつと私の通う中学に、音楽担当の若い男の先生が入ってきた。産休に入った先生の臨時だった。
今はどうなのか知らないけれど、当時の私たちには男の人が音楽の先生をするのが珍しくて、しかも若くて、しかもギターが上手で、しかもだいぶ遠目で見るとちょっとイケメンで、しかも人当たりが良くて、しかも今風な感じで、それはそれは人気者だった。
そんな先生と仲良くなったあいつは、突然ギターを始めた。
そしていつものように形から入りたかったのか、ギターを欲しがった。
ちょうど良いタイミングで、祖父が昔使っていた古いアコースティックギターを譲り受けた。
どうせすぐ飽きるんだろ。
私はそう思いながら、いつも隣の部屋で鳴る下手なギターを聴いていた。
いつの間にか、そうでもない月日が流れた。
あいつは歌が上手い友達を家に連れてくるようになった。その人は不良じゃなかった。
ギターの音と、タンバリンの音、友達の歌声。
うるさいなぁ。こっちは勉強してるのに。
私はそう思いながら、隣の部屋の騒音をなぜか少し誇らしげに聴いていた。
聴こえる音楽は私もよく知っていて、ゆず、19、うたいびとはね。
たまに重なるあいつのハモりはゲボが出るほど下手だった。
(自分のハモりが)ズレとった?
あいつはよくトイレに行くふりをして、私の部屋へ確認しに来た。
下手すぎるだろ。
私はそう思いながら「いや、良いんじゃない?」と言っていた。
その頃あいつがよく歌っていたのが、うたいびとはねの五月病。
私も大好きな曲だった。
記憶が合っていれば「花サク」というアルバムの曲集(コード集?)の最後に五月病が載っていて、そこばかり開いていたのか、そのページだけ破れていた気がする。
いや、気のせいだったかもしれない。
私の方が先にうたいびとはねを好きだったのに。
私はそう思いながら、コソコソとあいつの部屋に入って曲集を開いてはギターを弾く真似事をしていた。
それからあいつは音楽にのめり込んで、今では真面目に音楽関係の仕事をしていて…
と、そうなればハッピーエンドだと思う。
でも、現実はそう甘くはない。
大勢の若者がそうであるように、しばらくするとパタリと音楽をやらなくなった。
だんだん家にもあまり帰ってこなくなった。付き合う友達も悪そうな人ばかりだった。
服装も、使う言葉も、持っている物も、顔つきすらも変わっていった。
厄介なことに、家族を泣かせる方法が大人のそれになっただけで、あいつはアウトローのままだった。
たくさんの人に嘘をついて、たくさんの人を困らせて、たくさんの人に嫌われて、結果、たくさんの重荷を背負った。
身動き取れないほどの重荷を背負うあいつを見ても、私は可哀想だなんてひとつも思わない。
あんなやつ、どこで何をしていようが関係ない。
むしろ、どこにも居なくたっていい。
思い出したくもない。
あんなやつ。
少し前、母とテレビ電話をしている時、画面上の母の隣にあいつが居た。
10年ぶりくらいに顔を見た。
昔よりは表情が少し柔らかい気がした。でもそれは画質が悪かったからそう思っただけかもしれない。
私は10年ぶりに突然あいつの前に放り出されて、何を言えば良いか分からなかった。
あ、最近うたいびとはね聴いとるよ。今度ライブにも行ってみようかと思っとる。
そーなん。懐かしいな。
母を通さずに交わした会話はそれだけだった。
その時のあいつは、服装も、使う言葉も、あの頃より少し柔らかい気がした。でもそれは電波の何かしらがそうさせただけかもしれない。
今は実家を出て、少し離れた県でひとり暮らしをしながら働いている。ということを母から聞いた。
未だにたくさんの重荷を背負っている。ということも母から聞いた。
そんなことを聞いても、やっぱり私はあいつを可哀想だなんて思わない。
あいつのことなんかどうだっていい。
ただ、もう少し上手く会話ができても良いかもしれないとは思った。
あのギター、まだ使えるんかなぁ。
そのくらいは聞けてもよかったかもしれないとは思った。
その時からずっと、ギターのことが気になっていた。
この年末年始、ようやくなんとか実家に帰ることができて、真っ先に両親にギターの行方を聞いた。
まだ捨ててないけど、もう古いしボロボロじゃし、使い物にならんと思うで。
まだ捨ててないと言われて、なぜか少しホッとした。
だからって別に探そうなんて思わなかった。まだそれがあるから、だからどうするなんて考えていなかった。
少し手持ち無沙汰になった時に物置部屋を物色していたら、ギターが3本見つかっただけ。ただそれだけ。
興味本位で楽器屋さんに持って行ってみただけ。ただそれだけ。
こんなギターなんてどうだってよかった。捨てたってよかった。
だから楽器屋さんでこんなことは聞かなくてもよかった。
このギター、まだ使えますか?
私は何かに縋りたかったのかもしれない。
だからそこにそれ以外の何かを乗せていたのかもしれない。
あ、いや、新品みたいにしてくれとかじゃないんですっ。音が出せる程度になるかなー…なんてっ。
それが自分で恥ずかしくて、こんなことを付け加えたのかもしれない。
大丈夫ですよ。ひとつパーツが取れてるのでこのままでは使えませんが、それを付ければまだまだ使えます。
店員さんの言葉にそれ以外の意味は無かったんだろう。
それでも私はその言葉に、それ以外の意味を乗せて受け取っておいた。