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22年と17年と羊羹の話。

12月の福岡は思ったよりも寒かった。

想像と違うというのは残酷だったりする。

あ、なんか思ってたのと違うな。

それだけで私がその対象に向ける気持ちが変わって、まるで元々何も無かったかのように終わったりする。

大なり小なり誰もがきっとそんな経験をしていて、私も例外じゃない。

だからすごく怖かった。

福岡に降り立っただけで「思ってたより寒い」という、想像とのズレが。

ということは、これからもっと沢山のズレが発覚して、私の中で何かが変わって、全部終わってしまうんじゃなかろうか。なんて。


唄人羽のライブに行ったあの時から17年。唄人羽を聴かなくなったあの頃から17年。

およそ17年前、私は高校生。その時を始まりとするならば、今が17歳の高校生。

その空白は埋まらない。

どうやって何が生まれて、どうやって何が起こって、どうやって何がどうなった。とか、私には知らないことが多い。

別にそんなの全部完璧に知らなくても良いよと思ってしまうのは、17という思春期っぽい年数のせいかもしれない。意地っ張り。

あの頃の2人って金髪だったっけ。長髪だったっけ。痩せてたっけ。どんなファッションだったっけ。

そんな事を考えてみても、上手く思い出せない。

それは17年という歳月が記憶を抹消しているからというより、あの頃仕入れていた外見の情報があまりにも少なかったからだろうと思う。

ライブに行くという事象にまるで現実味が無かったあの頃、CDから聴こえる声が私にとってはうたいびとはね。

あの時のライブではステージに出てきた2人の姿を見ても、ぽわんとしていてあまりよくわからなかった。姿を見るよりも、歌声を聴くことで存在が鮮明になって、あらゆる部分が高鳴った。

だから、記憶を掘り起こして思うことは、ひとつだけ。

歌声がまっすぐで透き通ってたということ。

あ。あと、羊羹。ひとつだけじゃなかった。

小学生の頃、ブラスバンド部の練習で顧問の先生が使っていた例え話。

スラーとテヌートは全然違うんだぞ。テヌートは羊羹だ。

の、羊羹。

羊羹の本体を音として、テヌートは羊羹を音符の長さでストンと真っ直ぐ切るんだ。と先生はよく言っていた。

ブラスバンド部で学んだ音楽の知識なんてものは、もうミジンコ程も覚えていない。でも、羊羹の例えだけは覚えている。

うたいびとはねの歌声はまっすぐ伸びていて、それに似ているなぁと当時は思っていたことも。

だから、羊羹。


そんな数少ない記憶を抱えて約2年前、(私にとっては)突然おじさんになった唄人羽を見つけた。そしてまた引き込まれて、また聴き始めた。

コロナ禍のお陰様でと言うべきかどうなのか、配信ライブというものの存在感が大きくなって、唄人羽もコロナ禍でたくさんの配信ライブをやってくれた。

ファンクラブ会報によると、今年だけで32回だそう。

なかなかの回数だと思う。

これまで過去のアルバムを全曲演奏したり、リクエストに応えたり、テーマを決めて選曲したり、おしゃべりしたり。いろいろあった。

ご本人にどんな気持ちがあってこんなにも沢山の配信ライブをやったのかは分からない。

でも、なかなか会えないこんな世の中でも、私達ファンのことを忘れてないんだな。ちゃんと覚えてくれてるんだな。と、思えた。気がする。気のせいかも。

そんな沢山の配信ライブの全てを観ることはできなかったけど、観て思うことはひとつだけ。

歌声がまっすぐで透き通ってるということ。

あ。と、羊羹。やっぱりひとつだけじゃなかった。


22年うたをうたい続けるというのは、どんなだろう。何が見えて、どう感じるんだろう。

こちら側の私には分からない。

見てきた景色や感じたものの一部はうたになって届いてくるんだろう思う。

ただ、誰にも見えないところにそれ以上に沢山の感情や経験があるんだろうとも思う。

そんなの私が全部知る必要はないよ。と、思ってしまうのは、17という思春期っぽい年数のせいなのかもしれない。


ステージに出てきた2人は想像していたよりも大きかった。

画面の中の2人ばかり見ていたからというのもあるかもしれない。でも、掠れた記憶を引っ張り出して見えてきたあの頃の2人よりも確実に大きかった。

身幅もきっと大きくなってるんだろうけど、それだけじゃない。

22年分の経験値から出るたくましさのようなものが、あの頃よりも人間を大きく見せているのかもしれない。いや、気のせいかもしれない。

あの頃の2人は一緒に遊びたい人。今の2人はついて行きたい人。

なんとなくそんな感じがする。いや、気のせいかもしれない。

オープニングのバンドの音がこれから凄いことが始まるんだと期待させて、それを背負いながら2人がギターを準備して、私は何故か息を殺して。

「エンブレム」の第一声で完全に息が止まって。

たぶん心臓もしばらく止まって。

だからもう身体が固まってしまって、がちがち。

エンブレムの間は、ずっと磔にされたかのように身動きが取れなかった。

がちがちのままライブが終わってしまうのかと思いきや、やっぱり全身で音楽を受け止めると自然に身体は揺れる。非常に心地良い。

ライブって良いよなぁ。

やっぱりライブの人達なんだなぁ。


「BORDER」は、私が17年前に初めて2人のうたを生で聴いた時に歌ってた。

「パレード」は、私がまた唄人羽を聴き始めるきっかけになった、私の視野を広げてくれた曲。

「Message」は、足の裏やおケツにビリビリ響くあれアレをずっと感じてみたかった。

「三日月とピアス」は、私に新しい感覚を与えてくれた曲。

「虹空」は、生で聴くのは初めてだったけど、久々に会ったみたいに耳が安心した。

物語をうたう新曲は、まだ私の耳が人見知りをしている。もっともっと聴き込んで、もっともっとお耳の恋人にしたい。そして続きが気になる。

でも、なんだろう。3曲目の「温もりの日々」の中にある"くすぐったいな"とかのあたりに、昔の歌声をチラリと感じた気がして心がうふふとなった。細かすぎる。

デビュー記念日だからとマイクも通さずアカペラでうたってくれた「小さな星の小さな旅人」は、2人から出た声が何を通ることもなく、何に変換されることもなく、私の耳にダイレクトに入ってきた。

入ってきたそれが逃げていかないように、穴という穴を全部塞ぎたかった。

アンコールも終わり、配信も終わり、会場限定で最後の最後にうたってくれた「気がつけば」は、いつだったかの配信で1回だけ聴いたことがあった。一目(耳)惚れした曲。

ずっと再会したかった。やっと会えたね。


この日、眩暈がする程あっちやこっちやに感情を揺さぶられながら2人のうたを聴いて思ったことは、ひとつだけ。

歌声がまっすぐで透き通っているけど、羊羹ではない。

あの頃の記憶を辿って想像していたよりも、もっと複雑で分厚かった。

これを進化と言うんだろう。

配信や音源で聴いて想像していたよりも、もっと広くて深くて暖かかった。

それは、ひとつになったものをバラバラにして記号や暗号や信号にして大量にコピーして飛ばしてそれをまた寄せ集めてひとつにして耳の穴にねじ込まれる音では再現しきれないんだろう。

うん。だから羊羹ではなかった。

そうやって想像と違う事はどんどん増えるばかりで、もはや想像通りだったことなんて無かったんじゃなかろうかってくらい。

でも、何も終わらなかった。

いや、終わったかもしれない。で、同時に始まったのかもしれない。あの時から始まった17年が終わって、私の中でちゃんとリアルな唄人羽が始まった。みたいな。

22年が終わると同時に23年が始まるのと同じように。

動けなかった今年が終わると同時に、動きだす来年が始まろうとしているのと同じように。


終わって始まった12月18日。

この日に聴いた、浴びた、唄人羽の音楽を、唄人羽の音楽の素晴らしさを、どうやったら私は上手く表現できるんだろうと考えてみた。

何かやどれかや誰かと比べる事でそれを表現したくはない。そんなのは2人の音楽に似合わない。

だから私はそれを表現する為にもっともっと言葉を知りたい。組み合わせたい。勉強したい。

そう思うという事もまた、唄人羽の音楽を表現しているような気がする。

なんて、言ってみる。


12月18日が通り過ぎた。12月18日を通り過ぎた。

やっぱりセットリストは覚えられなかった。

でも、2人が出てきた時、私の内側にあった感覚は覚えてる。

途中、何度も込み上げるものがあった。

でも、一度も涙は出なかった。

終演後、しばらく動けなくて、言葉も出なかった。

何故か、ステージに誰もいなくなってから涙が出てきた。

なんでだろうなあ。

ずーっと追いかけ続けてきたよって人にも、初めてだよって人にも経験できない、このタイミングで17年ぶりに唄人羽のライブに行った私の気持ち。

私だけに生まれるこの気持ち。独り占め。

そんな風に考えてしまうのは、きっと17という思春期みたいな年数のせいなんだろう。


12月18日は確かに存在した。夢みたいだったけど。

ご本人はじめ、あのライブを作ってくれた全ての人に、全力でありがとうを。

こんな私をとても自然にスルスルっと受け入れてくれた森の住人の方々に、全力でありがとうを。


あ。

22周年おめでとうございます。

なのに。

2人を目の前にすると「ヤバい」しか出てこなくて、肝心のお祝いを言えていない。

それも、17という思春期っぽい年数のせいにしておこう。

おめでと。






ちなみに。

記憶を掘り起こして思い出した。

岡山の深夜ローカル音楽番組に、うたいびとはねがVTRでコメントを出していた。

岡山の番組に。

岡山の番組に。

そのコメントの序盤で安岡さんは

「俺ねぇ、岡山嫌いなんよね」

と言っていた。

当時、岡山の中学生だった私。

しんちゃんって…なんてロックな人なんだ!素敵!

と、ほの字だった。

あれから20年近く経ったけど、少しは岡山を好きになってくれただろうか。

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