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久しぶりに新聞を読んで

私は元々新聞を読む習慣がなかった。
家には新聞があるけれど、文章が堅苦しい印象を持っていたから。

今日は休みだったので、朝と昼を兼ねて食事をしていると、たまたま広げていた新聞に目が留まりました。そこには、祖父母の世代の体験を語る小さなコラムが掲載されていました。
戦争というテーマは、どの時代においても重い印象を与えるものだと思います。それは間違いないです。

そこに掲載されていたのは、以下の記事です。


戦争を体験したおばあの投稿

私たちは「労働力」でしかなかった
東京都 95歳 女性 F・O

太平洋戦争当時、政府にとって中学生は「使い捨ての労働力」だったのでしょう。宮崎にいた私も、今の中学2年生にあたる高等女学校2年生の時、麦刈り、田植え、稲刈りなどの手伝いが始まりました。
3年生になると軍需工場で飛行機の尾翼づくりに動員されました。特攻機だったとのことです。1945年、宮崎でも空襲が激しくなりました。友だちも亡くなりました。
工場が空爆でなくなると、今度は飛行場の滑走路のための石運び。炎天下、2人組でもっこで運ぶのは重労働でした。その飛行場は先日、不発弾が爆発した宮崎空港です。
戦後、英語の男性の先生から「今まで教えたことは、皆、うそである」と言われました。「日本は持ちこたえる」と聞かされたのもうそだった。先生の言葉をじていたのでショックでした。それ以来、私は何事でも背景にあるものは何かを疑う癖がつきました。

朝日新聞 声 語りつぐ戦争 2024/10/19 より

感想

このおばあちゃんがまだ中学2年生ってどれだけ時間が経っているんだろうと思って計算してみたらなんと81年前。😱
さらに読み進めていくと、最近ニュースで取り上げられた宮崎空港の不発弾の話に行き着きました。なんと、81年前にその場所で特攻隊の飛行機や滑走路が作られていたとのことです。

歴史を振り返るのは素晴らしいことですね。
今回は戦争に関する話題なので、いいものではないですが。
今、普通に空港として利用されている場所が、戦争の時代にも同じように使われていたとは驚きです。宮崎空港のある地域は「地盤がしっかりしているな」と感じました。

81年も爆弾が爆発せずに残っているなんて、どういうことなんだろう?

このおばあちゃんが伝えたいのは、
・戦争の実情(自分の体験や出来事)
・メディアや周囲の人々の言葉の信頼性
それにしても、宮崎空港の話が特に心に残ります。

こんなにカジュアルな感じで扱っていいのか、ちょっと戸惑うところもある。
でも、他の人たちのように単に記憶を語るのではなく、このおばあちゃんのように現代の話と結びつけてくれると、戦争を経験していない私たちの世代としては、興味が一層深まるんだよね。
私自身が実際に魅了されている。

本来、過去の出来事を振り返ったり学んだりすることは重要だと理解しています。しかし、心から共感できないことに対しては、軽い気持ちで接するべきではないと感じます。

私も昔、祖父母から戦争の時代についての話を聞いたことがあります。しかし、正直なところ、どのように反応すればいいのか分からないです。
今後、日本だけでなく、海外で戦争を経験した人々の話を聞く機会があるかもしれません。私たちと同じ世代で戦争を経験した人は、世界中に数多く存在しています。そんな時、私たちはどのように接すればよいのでしょうか。

私は、ロシアとウクライナの問題やイスラエルとガザの状況、さらには他の多くの紛争が早く解決することを願っている。しかし、現実はそう簡単ではなく、多くの人々が困難や悲しみに直面しているのが現実。
わかってます。


皆さん、今日は戦争に関する特別な日ではありませんが、8月15日は日本の終戦記念日です。忘れずに!

私もここ数年でやっと覚えた人の一人です。
ちなみに、8月15日と言えば、私にとっては真っ先に聖母被昇天の日が思い浮かびます。私はキリスト教徒でもカトリックでもありませんが、私が好きな国や地域にとって重要な祝日なので、しっかり記憶しています。
こういったことは意外と簡単に覚えられるものですね。




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