![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53511450/rectangle_large_type_2_22a6f8aa9d5c0b7f3cd180b258b09761.jpg?width=1200)
収入と幸福度の関係|生活保護受給していた私が今感じること
おはようございます。
ここ最近、仕事の目標を見失っていた。数年前は生活保護だった私。
そこから復職して生活保護を抜け、今はあいである広場の編集長をしています。
生活保護の基準は年収400万くらいと言われています。それに比べたら今の年収は上がっています。だけど、大幅に幸福度がアップしたかというとそうでもないというのが実感です。
よく年収と幸福度の相関関係に関する統計が出ています。この記事によると
楽しみや笑顔といったポジティブな感情と相関する所得は、日本を含む東アジアでは6万ドル(約660万円)をピークに頭打ちになることが明らかになりました。
私はもっと低めの金額で満足感があります。
私はDVから逃げて家を出たので、家具はもちろん洋服もほとんど持っていませんでした。派遣に登録しに行こうと思っても、面接用のスーツがない。通勤用の服がない。まず、私は実家から徒歩で通えるスーパーの水産加工室(スーパーの中で一番時給が高かったのが加工室)で半年ほど働きました。
その後、スーツや交通費が何とかなりそう!と思ったので、派遣で某家電量販店の営業をします。そこから、さらに特養老人ホームで正規職員になる直前で、交通事故に遭います。後遺症で、介護職の道は閉ざされてしまった。
さらに元夫の家から息子が戻ってきて、愛着障害の診断を受けます。医師から「3年は働かずに生活保護受給しなさい」と言われ生活保護受給しました。
母子自立支援施設に入所して思ったのは、親にも気を遣わずに住む、息子との繭が作れた!ということ。
初日はアルファ米が支給されて、これは毎日食べてたら飽きるな…ということで、まず買ったのは炊飯ジャー。ものすごく嬉しかったのを覚えています。
ガス台もなくてボンベ式のガスコンロでご飯を作っていたので、ガスコンロを買ったときもすごく嬉しかった。焼き魚が大好きなので、魚焼きグリルがついていたのが一番嬉しかった。
そうやって生活必需品をお金をやりくりしながらそろえていった時期。これって惨めでもなんでもなく、すごく楽しかったんですね。
離婚前は民芸家具を揃えたり、着物を着る機会もあったし、割と贅沢に暮らしていました。
そして、復職したのですが、一番最初に買った炊飯ジャー以上に嬉しいと思える買い物ってありません。今は高い家具や着物なんかを欲しいと思わないです。炊飯ジャーを買ったときみたいに嬉しいと思わないのが分かっているから。
そして、何をしていても、苦労して復職できたときの幸せを上回る仕事ってなかったし、ある程度のところで目標を失ってしまった。
一度どん底を経験したけど、どん底経験をして生活を立て直していくステップってめちゃくちゃ楽しかったんだなと思います。
私みたいな経験をしていなくても、皆さんも初めて自分の力で少額でもお金を稼いだり、何かできたときの幸福感がピークなのではないでしょうか?
そこからは人ってその幸福に慣れていってしまうし、何か生きる目標を見つけないとハリのない生活になっちゃうんじゃないかなと思います。
マイノリティの方で「こんなに自分は恵まれてない!」と思っている方に伝えたいんですが、当事者活動や社会に強く訴えたいことがある状況って、生きがいがあって幸せなんじゃないかということ。
私も年収1,000万円の人と比較したら、幸せじゃないのかも?だけど、それよりも人生に目標を持っているときってお金では満たされない満足度があるんじゃないかと思うんです。
私は新しい目標が見つかったので、数年はそれに打ち込みます。
何が書きたかったって、生活保護受給はそんなに悲惨でもないですよってことです。緊急事態宣言も延長になって、生活が苦しい方。水際作戦があることも分かりつつ、受給できるなら迷わずして欲しい。プライドがあるからとためらわないで欲しい。なぜなら、生活の立て直しってすごく楽しいからです。
明日は10時にMiyuさんのこの記事の続編を公開します。
お楽しみに!
いいなと思ったら応援しよう!
![田口ゆう](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/153994568/profile_d7bb0f6e02d3f4756c356eb46431852b.jpg?width=600&crop=1:1,smart)