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全てはWindows95から始まった! ~夢はかなうものじゃなくかなえるもの。45歳で女の私がどうして社長になれたのか~

私の高校時代の夢は「文筆業で生計を立てること」そして大学時代の夢は「社長として起業すること」だった。そして、今、私はあいである広場の編集長で、ライターとしても自分の記事を読んでもらえるようになった。そして、㈱アイデアルの社長となった。

そんな私のことを「あなたは運がよかった」という人はたくさんいて、それは私にとってコンプレックスだった。だって、「運」なんていう不確定要素で今の私があるのか、「運」が尽きたら私はこの立場にいないのかと思うから。自分の立場がものすごく儚くて根拠のないものの上に成り立っている…そんな気持ちが消えなかったから。

だけど、ある人に「だけど、飯野さんはそのために動いたんですよね?多くの人は本気で夢を叶える気はないんです。口で何と言おうと本気じゃないから動かないんですよ」と言われて、自信がついた。

今日は「じゃあ、具体的に私がどんなことをしてきたのか」を書きたいと思います。

そう振り返ると、私とインターネットは切り離せない。私が初めて手にしたパソコンは98note。OSはWindows95の時代。

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私は主に人との出会いの手段としてインターネットを活用していた。会いたい人には会いに行く。会いたい人とすぐにコンタクトが取れるインターネットは私の人生を大きく変えた。

インターネットとの出会いは、私が立教大学に入学した1995年。学部は旧経済学部経営学科。ベンチャー企業論を受講して、自分もいつかは社長になりたいと思っていた。

バブルの崩壊が1991年(平成3年)3月から1993年(平成5年)。卒業する頃は就職氷河期だったけれど、私は就職活動をほとんどしなかった。

雑誌で、あるベンチャー企業支援コンサルティング会社の公認会計士さんのインタビューを読んだ。その当時には珍しく、その事務所にはホームページがあった。そこから「お話だけでも聞かせてください」とメールしたのがきかけで、私はコンサルタントの職を得た。そこに求人などなかった。

その後、外部から支援する人間としてベンチャー企業に関わるのではなく、「中の人」になりたくて、飲食ベンチャー企業に転職する。経営企画室で働くうちに、自分のやりたいことをやってみたい!と個人事業主となった。

独立した当時はアンティーク着物がブームだった。そこで、やはり私は当時、一番売れていた本の作者である、遠藤 瓔子さんにメールした。

遠藤さんからのアドバイスで着物に合わせる小物類を企画・販売することとなる。

webショップではなくリアルな世界で着物ショップを立ち上げたいと思った私は、数年後にwebで求人を見つけた。「着物屋さんの立ち上げプランナー」の求人だ。早速、本社の社長宛に、企画商品の写真一覧と履歴書・職務経歴書を送ったところ、即日で採用となる。

その着物屋さんは今でも青山に健在だ。

そして、結婚後、私は発達障害児の息子を育てることとなる。離婚を経て、生活再建をしている途中、SNSである作家さんと出会うことになる。28歳のころ、私はその作家さんのルポルタージュを父の本棚の中に見つけ、読んでいた。

その作家さんの友達が、今の㈱アイデアルの親会社の会長である藤田だった。もちろん「子会社の社長を探しています」なんて求人はなく、全てが出会ってから動き出した企画だった。

そうやって私は今、高校時代の夢「文筆業で生計を立てること」、大学時代の夢「社長として起業すること」のどちらも叶えた。

私の仕事人生で、インターネットがなければ、多くの出会いはなかった。インターネット時代だからこそ、私は女性で、発達障害グレーゾーンで、育児のブランクがあったにも関わらず、今、社長をしている。

インターネット上には出会いも、表に出てこない求人もたくさんある。そして、夢は本気で叶えようと思い「行動した」人間のみが叶えられるものだと、私は思う。




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田口ゆう
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