自分が「悲しむ」ことを「許す」と起きたこの2週間の激変!グリーフ(悲嘆)ケアで何が変わる?
私は母を一昨年、乳がんで亡くしている。だけど、いまだに「あ、これ、お母さんに話そう」とLINEをしようとして「もう死んでたんだ……」と気づく。そんな私がRCメソッド代表 高橋 万紀子さんのカウンセリングを受け、今日で2週間経つ。
本日は2週間で起きた自分の変化についてレポします。
1週間目はひたすら亡き母を泣いたり偲んだり
カウンセリング終了後、正直、私は思った。
「カウンセリングでそんなに変わるかい!!」と。
だけど「今週は思う存分、亡き母の死を悼む(いたむ)期間」と決めたら
色々な母との想い出がよぎった。
母が抗がん剤をやめたいと言った時、私は病院に一緒に行った。
「つらいんです!もう緩和ケアにしてください」と懇願する母に、医師は
「辞めたら1か月も持たないんですよ!もう少し頑張りましょう!!」と説得した。
「1か月も持たない」
その言葉に私は動揺した。
気付くと私は医師と一緒に母の抗がん剤継続の説得をしていた。母がこの世からいなくなるなんて嫌だった。だけど、泣いている母を説得しながら
「副作用がこんなにキツイのに生きることがそんなに最優先なのか」と葛藤もした。だけど、支えなきゃいけない。ガンでつらいのは母自身なんだ。
そこでも私は悲しむことを拒否した。
その半年後、医師から何か告げられるようだと不安がる母の通院に付き添った。
医師は「残念ですが、もう効く抗がん剤はありません。もう頑張る必要はないんですよ」と冷たく言った。
その時、母は泣きながら医師につかみかかった。
「だって、半年前は頑張れって言ったじゃないですか!何で今さら頑張らなくていいなんて言うんですか!」
それを必死に止める私と医師の冷たい目。私だって本当は泣きたかった。医師に「どうしてもっと治療してくれないんだ!!」と泣いてつかみかかりたかったんだ。だけど、私が支えなきゃ。私は悲しむことを拒否した。
ガンになっても、髪の毛が全て抜けてかつらになっても、母は私と一緒に月1回はビールを飲んでいた。パートも最後まで続けていた。意識が薄れる日が増えてLINEは返ってこなくなっていった。それでも「お母さんはまだ生きてるよ」とたまにLINEが返ってきた。
最後は電話だった。「お母さん、もう持たないみたい。意識が薄れる日が増えて……。寝るね」それが母と話した最期だった。
私が……支えなきゃ。私がしっかりしなきゃ……。だけど、母が亡くなった後にガンを患った家族を持つ人を「第二の患者」と呼ぶことを知った。私だってつらく悲しかったんだ。
人は自分が思ってるほど自分のことを自分で決めてない
強くあれ、たくましく生きなさい、自立した女性でいなさい
それは母の願いであり、ここ数十年で世間が女性に求めてきたこと。
だけど、私自身はそうありたかったんだろうか?
「女はすぐ泣くよね」という会社員時代の男性たちの言葉がつらくて
私はよくトイレで泣いていた。決して、自分で決めたことなんかじゃない。
私は自分で「泣くこと」「悲しむこと」を許した途端、「怒ること」「感情的になること」「サボること」「わがままを言うこと」などなどを許した。
私はもっと自由に・楽に生きることを「自分で」決めた。
そうしたら、色々なことが激変したのだ。
田口さんって喧嘩好きなくせに好きじゃないふりしてる
知人からよく言われていました。「Xで喧嘩したければ喧嘩したらいいでしょ。だって、喧嘩している田口さんは生き生きしてるよ。何で、私はいやいや仕方なくやっているみたいな言い方しているの。好きなんだし喧嘩を楽しめばいいよ」と。
いや、断じて私は喧嘩好きではない。
けど、売られた喧嘩を買ったら
「私って心底、喧嘩(というか議論)好き人間だわ」と納得した(笑)
今まではムカついてもイライラしながら「何てことありませんわよ」みたいなふりをした。けど、もうやめた。これからも喧嘩売られたら買おう!だって、楽しんだもの。
私は傷ついたんだ!気を遣って言わなかっただけ!
私は怒ることも許した。昔のことをほじくり返してと言われようと
言おうと決めた。
けど、言ってみたら何てことはなかった。
「そうだったんだ!ごめん!」とか「隠しきれてなかったよ(笑)怒ってるんだと思ってた」と周りは別に離れていくわけでもなかった。
いったい私が気を遣っていたのは誰に対して?
「脳内で自分が作り上げた〇〇さん像」に気を遣っていただけだった。
バカみたい。言ってみなければ相手がどう反応するかなんか分からないのに。
僕はサボりたい。疲れたという小5の息子
息子が林間学校を終えて帰宅して
「僕、なんか疲れちゃった。サボりたいなあ~」
と言い出した。
それもそのはず。息子はとにかくこの半年ほど、別人のように
授業中に発言し、お祭りの企画を立てた。
林間学校では学年リーダーをし、最終日には学校代表挨拶をした。
疲れるはずだ。
以前だったら「この調子で頑張ろう!」と言っていただろうけど
今回は「一緒にサボろうか!!」と言えた。そして、学校を2日サボることにした。
担任の先生に「燃え尽き症候群なので休ませます」と伝えると
「全然いいと思いますよ。だって、息子君、ものすごく頑張ってましたから。そりゃ疲れるでしょうし燃え尽きもするでしょう。休ませてあげてください」と言われた。
私がサボらなかったら、息子もサボっていなかった。だから「2人でサボろう!」といって、お休みを思う存分、楽しんだ。
無意識のうちに私は息子を緊張させて、頑張らせてしまっていたと気づいた。
ただまだよぎる「脳内母の言葉」や「脳内誰かの言葉」
そんなことを一通り話した。
高橋さん「今でも脳内に誰かの言葉がよぎりますか?」
よぎります。けど、「それって私が決めたことじゃないし、私の価値観じゃない」って押し戻すんですよ。
高橋さん「息子さんとサボろうと言ったように言葉にするっていいですよ。
潜在意識に入ってきます。
そして、よぎったときに、これは自分で決めてなかったことだと自分で決めていくと、他の誰かの価値観が入る余地がなくなります」
そうか、自分らしく生きるってこういうことだったのか。
最後に
高橋さんのカウンセリングって汎用性があって面白い!
私もカウンセラーになりたい!と言ってみたけど、やめました。
私はこうして書くことが何より好きで、これからも文章を書き続けていきたいから!
また何かに迷ったら、高橋さんに相談しにいきますね。
これだけ激変して60分13,200円(税込)は、数か月に1回なら全然「あり!」と私は感じました。
高橋さん、公開カウンセリングで聞いてくださった方々、どうもありがとうございました。