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死別をいつまで経っても受け入れられない|グリーフ(悲嘆)ケアで何が変わる?

私は母を一昨年、乳がんで亡くしている。だけど、いまだに「あ、これ、お母さんに話そう」とLINEをしようとして「もう死んでたんだ……」と気づく。そういえば、私は母の死に向き合うことを避けてきた。
そんな私が、グリーフケア公開カウンセリングを受けた結果、どう心境が変化したかをレポします。


カウンセラーさんはRCメソッド代表 高橋 万紀子さん。

強引に泣かせてくれるのかなとワクワク(笑)

私は過去に臨床心理士さんのカウンセリングを2年半ほど受けたことがあるのですが、それは機能不全家庭の負の連鎖を持ち越したくなかったから。

だけど、今回は、死んだ人を悼む気持ちに対するカウンセリング。
泣く方向にもっていってくれるのかとワクワク(笑)泣くとスッキリするから強引に泣かせて欲しいと思ってました。「お母様、こんなに素敵でしたよね?!いつでも泣いていいんですよ?」みたいなものを想像しつつzoomにログイン。なかなか泣かないのよ、泣かせてみろ!くらいの気持ちで挑みました(笑)

実際のグリーフケアカウンセリングの様子。公開なので見学している方が数人いました。泣かせてマスター状態

予想してたのと違う!泣かせてくれない!

高橋さん「田口さんはLINEしようとして気づくのだから、顕在意識(自分が自覚している部分)ではお母さんがもう亡くなっていると分かっているんですよね。だけど、LINEしようとしてしまうのは潜在意識(無自覚な部分)では受け入れられてないんですね」

そうなんです。母が亡くなっている事実は分かっているんだけど、LINEしようとするところまでは完全に無意識なんですよね。無意識で母ありきの行動をしていると指摘されてグサッときました。けど、私は当時、母を亡くした後、恋人がガンで闘病生活に入ったので固く決意しました。私が支えにならなければいけない。シングルマザーだから泣いてなんかいられない。私がしっかりしなければ子どもが飢える!だけど、モヤモヤしてるんですよ。

やたらと手づくりの食事にこだわるのはいったいなぜ?

高橋さん「お子さんがいるからしっかりしなきゃいけないとそこで自分を縛りましたね。その鎖から解放されましょう」

そう……縛ったのだ。ここ数年、私は母の通院に付き合い愚痴を聞き、その後すぐに恋人の闘病が続き、恋人が寛解したとホッとする間もなく父に認知症の初期症状が出た。私がここで嘆き悲しんでいたら全ての生活が崩壊するような気がしていた。だけど、食事に手を抜くとか自堕落だし、ウーバーイーツとか外食とか大嫌い。泣いてる余裕なんかないでしょう?

高橋さん「その時はそうだったと思います。だけど、今はどうですか?
お父様の介護の手続きも終えたんですよね?時間的に余裕もあるんですよね?お子さんは外食が嫌なんですか?」

いえいえ、子どもはむしろ倍ビックマックをウーバーで頼めば大喜びですし
「何でうちは外食しないの?マック行きたい。たまには手を抜いてもいいじゃん!」と言っています。だけど、なんか堕落してる気がするんですよ。人間サボっちゃいけないじゃない?文明の利器に頼るのって自堕落だよ。いい母親といったら手料理に決まってる!

高橋さん「誰にとってのいいお母さんでいたいんですか?お子さんは手を抜いてもいいと言ってるんでしょう?」

私は誰のためかって、それは子どもの……いや、違う。
子どもは初めてファミレスに行ったとき、目をキラキラさせてドリングバーを楽しんでいた。子どものためにいい母親でいたいなら、文句を言われてまで手料理にこだわる必要はない。
正直、しんどいんだ。手料理にこだわる自分が。
私はお母さんにいいお母さんだと思われたかったんだ。

高橋さん「それはお母さんの価値観ですよね。自分のことは自分で決めるように決定権を取り戻していきましょう」

自分で決定していると思ってきた。だけど、脳内母が「マックなんか体に悪い」「外食はよくない」「女性もキャリアを積んで自立して生きていくべき」と言うんです。そのためにはサボってちゃいけない……よね?お母さん、そうだよね?

母が亡くなる前に言っていたことと脳内母

我が家は父がアルコール依存だったから、母は私に依存気味だった。だから、カウンセリングも受けたし、その呪縛から逃れたかった。逃れているはずだった。

私はカウンセラーさんに言われ「私はこんな風に生きたかったのにお母さんはいつも否定した!」と言ったことがある。当時の母は激怒。「私はそんなんじゃない!!」と。数年ほど連絡しなくなった。

数年後に連絡がきたとき、私は代表取締役になっていた。ライターにもなっていた。「手堅い仕事に就きなさい」「大手の安定した会社に就職しなさい」「資格を取りなさい」と言っていた母の希望とは全く違う。

恐る恐る「今、会社を立ち上げて、Webサイトの運営しているの。ライターの仕事もしているの」と言ったら
母は「ゆうが幸せならそれでいいと思う。お母さんはあなたがどんな生き方をしてても応援するよ」と言ってた。
それは亡くなるまで変わらなかったじゃないかと思い出した。

高橋さん「仲直りする前のお母さんのイメージだったんですね」

そうですね。死ぬ直前の母は私の出版が決まって喜んでいたし、私が縛られていたのは過去の母です。

高橋さん「じゃあ、自分にサボること・手を抜くことを許してあげましょう」

こういった感じで、私は自分で自分を「許す」作業をしていった。そのうちにあれ、涙が出てきた。私はいつから泣いていなかったっけ?すごく母がこの世のいないということが悲しくなった。

「お子さんにも同じことを求めちゃうんですよ」

悲しい時でも毅然としっかりしなきゃいけないと思っていた私は
まだ10歳の我が子が「学校でこんなことがあった」と泣くと「切り替えて前に向こう」とか「そんなことでくよくよしない!」と叱咤激励していた。

私自身が悲しいことを悲しまないから、子どもにも求めてしまう。だけど、自分はモヤモヤと苦しい思いを常に抱えている。そんな思いをさせたいわけじゃない。悲しい時に泣くって当たり前のことなのに。

カウンセリング後の起きた変化

私の中で料理は「義務・縛り」というイメージだった。だけど、悲しむことを自分が許せたカウンセリング後は「母がよく料理を教えてくれた」「母が作っている横からつまみ食いをしていた」といったとても暖かいイメージに変化していた。

料理好きの息子が「教えて教えて!」とくるのを「邪魔しないで!」と思っていたのが「私が受け継いだ母の味を改良した私の味。それを息子が受け継いでくれるんだ」と一緒に料理するのが楽しくなった。

そういえば、よく角煮を作ってくれたし、私は大好きだった。息子と一緒に「お母さんの味はこうだったよね。けど、息子はそれよりも砂糖やみりんが多めが好きなんだよね」と思いながら作った。

息子と作った角煮・煮卵ラーメン

連鎖のように悲しいことが浮かんでくる

母以外にも私は喪失したものがある。それはものすごく尊敬している師匠だ。介護やらなんやらで連絡をできなかった。その理由もうまく伝えられずに師匠と何となく気まずくなっていた。

それが無性に悲しくなった。私が書けなくなった時も、悔し泣きした時も側にいてくれたのはあなたでした。男性として好きでもあったと思う。

だけど、私はあなたを尊敬していたからこそ、軽く扱うことができませんでした。あなたを利用することになるのが嫌でした。そんなことを伝える夢を見た。

そういう悲しさ・やるせなささえ無視していたんだと次々と浮かんできた。

失ったからこそ築ける(気付ける)関係がある

亡くなった人と関係を築く(気付く)なんておかしい?
だけど、私は母とのつらかった思い出も楽しかった思い出も抱えて生きていく。それは新たな関係じゃない?もう天国にいってしまっているけれど。

師匠にもこの気持ちを伝えてみる?今までの関係にこだわっていたのは私だけで、新しい関係を築くのが嫌だったのは私だったのかもしれない。

喪失は悲しく・悲惨なだけじゃない。喪失は新たな関係のスタートなのかもしれない。だからこそ、悲しみは悲しみとしてじっくり悲しまないと先に進めない。

私は次のカウンセリングまでの2週間、どっぷりと過去の「喪失」と向き合っていきたい。

2週間後の変化はこちら!






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田口ゆう
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