わかりづらい差別 -マイクロアグレッション
差別は「XX人との結婚は許さない!」とか「XX人は出て行け!」とか「Nワード(※黒人に対する蔑称)」といったわかりやすい形で起こるとは限らない。
「マイクロアグレッション(微細な攻撃)」は学術的な用語として古くから存在するが、近年より一般的に使われるようになった。マイクロアグレッションは「伝統的な差別」と異なり、より微妙で見えづらい。だから見過ごされやすいのだが、受けた本人に対しての影響は決して小さいわけではなくじわじわ効いてくる。だからこそ注目が集まっているものだ。
具体的には、以下のような発言がマイクロアグレッションだ。
(アジア人に対して)
「どこ出身?つまり、アジアのどこの国にルーツがあるの?」
「英語が完璧だね」
「算数やプログラムが得意でしょ」
「チン・チョン・チャン!」
「アジア人の女性は従順だから結婚したい」
(ラテン系の人に対して)
「スペイン語を話せないの?」
「訛りがない英語を話せる?」
「あなたメキシコ人でしょ?え、エルサルバドル人?同じようなものでしょ」
(混血で、一見どこがルーツがわからない外見の人に対して)
「あなた何人?」
(アメリカ人だよ、というと)
「どこ出身なの?」
(ロサンゼルスだよ、というと)
「ちがう、そうじゃなくて、もともと。どこから・きたの?」
(生まれたのはシアトルだけど、その後ロサンゼルスに引っ越したというと)
「あなたの両親はどの国からきたの?」
「(人種的ルーツを聞いたあとで)ええー嘘でしょ!あなたは白人よ!」
(黒人に対して)
「あなたはいわゆる普通の黒人とは違うわね」
「あなたのことを、全然黒人だとは見てないわ。あ、いい意味でね」
「その髪の毛どうなってるの?このカールは本物?(勝手に撫でたり髪引っ張る)」
「どうして白人みたいな話し方をするの?」
「大学に入るのが簡単でいいね」
(日本にいる外国人に対して)
「日本語上手ですね!」
「お箸使えるんですね」
「いつまで日本にいるんですか?」
(女性に対して)
「(道端から)よ、可愛い子ちゃん!」
「あ、お医者さんだったんですね、失礼。看護婦さんかと思いました」
以下の動画もわかりやすい。
アメリカ生まれのアジア人に対して、「どこから来たの?」と聞き、サンディエゴ出身だという答えでは満足せず、「韓国系」という答えを引き出すやいなや、韓国系のステロタイプを使って会話を続ける白人男性。アジア人女性は仕返しに同じことをする。それが「変」であることは感じるが、自分がたった今彼女に対して同じことをしたことには無自覚な白人男性。
「白人の女の子が、黒人の女の子に対して言うことあるある」
マイクロアグレッションは、必ずしも悪意の表れではないが、その人が持つステロタイプの表れなのだ。今までこういう「ささいだけど引っかかること」に対してぴったり来る言葉がなかった。
(わたしが気にし過ぎなだけ?それともこれは差別?でも差別ってもっと大きい問題を指すような気もするし…)そんな風にモヤモヤを抱えていた人も「マイクロアグレッション」という言葉が身近になることで、より簡単に問題を指摘できるようになった。
しかしマイクロアグレッションは指摘された時の対応も難しい。本人は差別しているつもりなどないことが多いので、「悪気はなかった」「褒めるつもりだった」などを言い訳をしがちだ。
同じマイノリティでも、このようなマイクロアグレッションで傷つけられる人と傷つけられない人がいることも問題を複雑にする。同じ属性を持つマイノリティが「わたしは気にならない」「あの人は気にしすぎ」と言ってしまうと、マイクロアグレッションをする側は、「ほら、やっぱり同じXX人のOOちゃんはこう言ってる。自分は悪くない」と思いつづけることが可能だ。
事実、わたし自身は長い間、多くのアジア系アメリカ人の友だちが不愉快に感じるマイクロアグレッションに対してあまりピンとこなかった。移民であるわたし自身は「どこからきたの?」と言われれば、「日本」と答えればいいし、道端で「コニチワ!」と言われても、あんまり嫌じゃなかったのだ。
逆に恥ずかしながら、自分がマイクロアグレッション的な行動を取ってしまったこともある。
しかし、アメリカ人の友だちの話を聞いたり、差別について学んでいくうちに、マイクロアグレッションは、本当に彼らの自尊心を傷つける差別であり、その申し立ては真剣に耳を傾けられるべきものなのだと考えるようになった。
マイクロアグレッションは「無邪気」「悪気はない」という言葉に覆い隠された「無知」や「相手に対する尊敬のなさ」がある。「あなたは”ここ”にいるべき人間じゃない」「あなたは“私たち”の仲間じゃない」という無言のメッセージが込められている。さらに、それを指摘されても、多数派である側はその訴えを無視して生きていくことができる。そこに既に不公平は存在しているのだ。
「ちょっとした会話を交わしたい」「相手のことをもっと知りたい」という気持ち自体は、決して悪いことではない。相手を尋ねることは決していけないことではないはず。でもその時に、以下の様なことをもう一度考えなおしてほしい。
その質問は、相手に対して失礼にあたらないか?
その質問は自分の無知によるものではないのか?
相手に聞く前に、まず、自分で学べることはないか?
相手から、何か自分に理解しやすいような答えが帰ってくることを期待していないか?
予想に反した答え方や反応がかえって来た時に、その答えを尊重し、ただ受け止めることができるか?
また、このエントリでもマイクロアグレッションとして多くの例をあげたが、上げられたやりとりを見ていくうちに、自分の中にある「ステロタイプ」に気づくだろう。
まずは気づくこと!それが第一歩だと思う。
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このnoteは昔ブログに書いたものを移行してます。
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