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自己紹介

のぞいていただきありがとうございます。形成外科専門医の外薗 優(ほかぞの ゆう)と申します。美容外科、再建外科を専門としています。
note新参者につき、「そもそも君、誰?」という疑問にお答えすべく、自己紹介をさせていただきます。


出生〜学生時代

僕は鹿児島出身の両親の下、鹿児島市の『のぼり産婦人科』で生まれました。
(母の主治医で僕を取り上げてくださった住吉稔先生とは、後に母校の鹿児島大学サッカー部の選手と顧問という立場で再会することとなります。不思議な縁もあるものです。)


父が転勤族ということもあり、鹿児島県内を転々とする幼少期でした。小学1年までを奄美大島で、小学2年からは鹿児島市内に転居し、そこでも転校をいくつか経験しました。(お陰でいろんな場所に友人ができました。)


勉強は得意だったかというと、特定の興味のある科目のみ得意で、そうでもない科目は全くダメ、というタイプで、総合的には飛び抜けて優秀だったということはありませんでした。


結局、大学生までの間を地元鹿児島で過ごし、鹿児島を満喫し尽くしました。食材の宝庫で温泉王国。あまりせかせかした風土はなく、全体的にスローライフ。外に出た今、改めて鹿児島の素晴らしさに気づかされます。(唯一、空港の所在は全国ワーストの不便さですが。)

趣味など

部活はサッカー一筋。前線からゴールキーパーまで一通り経験しました。今でも長男と早朝練でボールを蹴るのが日課です。他の趣味はというとクルマ、バイク。クルマ好きが昂じてエンジンルームから足回りに至るまで自分でいじっていたのは、外科医としての今の仕事に活かされているのを感じます。

サッカー部の先輩および同期




よって、このnoteは時に医療から脱線してサッカーの話やモータースポーツの話にも触れていくことになると思いますがお許しください。

医師になって①(研修医)

初期研修の場は愛知県名古屋市を選びました。
大学時代からの親友と共に熱田区の市中病院で2年間、苦楽を共にしました。

1学年上の先輩医師および同期看護師と

就職の決め手は雰囲気によるところが大きかったですが、良くも悪くも医師が少なく、研修医ですら戦力とならざるを得ない環境であったのに加え、優秀な上級医の先生方のおかげで、診療科にとらわれない全科的臨床力を培うことができるのではないかと思い、入職を決意しました。

研修医の2年間は本当にアッという間でした。研修期間も終わりに近づくと進路選択を迫られることになり、消化器外科、脳神経外科、形成外科の3択でギリギリまで迷いました。いずれも外科系の診療科で社会的ニーズも高く、魅力的な診療科だと思っています。その中で最終的に決めたのは形成外科でした。それはなぜか。

例えばの話、別々の医師が同時に同じ場所の傷を縫えば、必ずその縫合の美しさという観点から優劣が生じますし、人体の欠損部を補填しようと思ったら、そのアプローチや傷の仕上がりの差がその外科医の技量の差として顕著に現れます。ヘタクソな縫合は見た目にも心的にも患者様にとってはまさにトラウマになってしまいます。

そういったシビアさに人生を賭する価値は大いにあると思い、消化器外科でも脳神経外科でもなく、形成外科を人生の生業として選びました。

医師になって②(形成外科修行編)

僕の母校には形成外科の医局がありませんでした。さらには、研修先の病院にも形成外科はなく、形成外科の入門トレーニングを全く積まない状態の僕を受け入れてくれる場所なんてあるのだろうかという不安の中、いくつかの病院の形成外科を見学に行きました。

最終的に入局を決めた日本医大は縁もゆかりもない大学ですが、様々な大学出身の医局員で構成されており、フレンドリーかつ自由、それでいて皆各々の目指す医療の体現に尽力している様から「ここだ!」と直感的に入局を決めました。

こうして僕の形成外科医人生は日本医大形成外科学教室からスタートしました。そこから再建外科・マイクロサージャリーという分野に本格的にどっぷり浸かり、形成外科専門医も取らせていただいて、がんセンターや大学病院本院・分院、市中病院で10年以上、手術三昧の日々を送らせてもらいました。かけがえのない仲間にも恵まれ、まさに青春そのものでした。

頭頸部の再建手術を執刀中の様子


なぜ今になって、美容外科なのか

形成外科はその専門性の高さから、形成外科領域の中でもさらに分化した専門分野を突き進むことでスペシャリストとなる運命にあります。一つの分野でも突き進めばスペシャリストとなる中、それが2つになったら?3つになったら?まさにオンリーワンの存在となるでしょう。


再建外科を極めたなどと口が裂けても言えませんが、ふと他の分野に目を向けた時に、美容外科に親和性の高さを感じました。その理由としては、再建外科は疾患で損なわれてしまった状態(マイナス)からスタートし、なるべく元の状態(ゼロ地点)を目指すものであったのに対し、美容外科は元の状態(ゼロ地点)からさらなる高みであるプラスを目指すものになり、そのベクトルが同じであると感じたからです。

また、一旦保険診療の枠を飛び出してしまえば、治療の幅は飛躍的に広がります。例えば乳がん治療のために大切な乳房を失い、これを再建する場合、ここ日本においては保険診療内での再建手術でもかなり満足度の高い結果が受けられますが、元の乳房の再現性をさらに高めたい、あるいはより美しく仕上げたいというご要望が出てきた場合、これらに再建外科医としてお応えするのに美容外科を避けては通れません。保険外診療の手技が取り扱えるということは即ち手持ちの武器が増える、といった感覚です。


さらに現実的な話もさせてもらうと、再建外科は野球でいうところのクローザーであり、登板が遅い分、帰宅時刻も遅くなります。外科医は一般的に皆遅くまで仕事をしているものですが(全世界的にその状況も変わりつつある中で敢えて言わせていただいております)、その皺寄せは一体どこに行くのか。答えは当然、”家族”です。それが自費診療の現場においてはというと、ある程度は毎日定時での帰宅が可能となり、かつ得られる報酬形態も保険診療のそれとは大きく異なっています。


「美容外科=儲かる」というイメージが世間的には先行していますが、これは本質的には不正確です。自分で努力した、あるいは自分で結果を出した分だけ、それに見合った正当な対価を得ていることをより実感しやすいのが美容外科であると僕は思います。反面、保険診療には付帯しないようなリスクも存在します。


時間と経済面の両面での余裕が生まれるのは家庭運営上とても大きく、仕事面においてもよりプラスに働きます。”良い仕事は良いプライベートから”という基本はどの職種においても逸脱しないと思います。なぜ美容外科を選んだのかという動機で経済面の話が出てこない医師を僕は一切信用しません。これらを総じて考えた結果、再建外科と美容外科の両面を併せ持つ医師を目指そうと思い、現在に至ります。


SNS全盛の時代に僕ができること

今やSNSは社会の最深層まで浸透しており、老若男女、誰もがいつでもどこでも発信者になれる時代です。これは幸せなことでもあり、逆に言うと恐ろしいことでもあります。SNSによりfreshな情報を取り入れることが出来る反面、正しくない情報を握らされてしまい、気づかず誤情報を発信してしまうリスクすらあります。特に医療においてそれは極めて深刻です。

医療従事者にも発信者は多く、特に美容外科でSNSを利用しない医師はアッという間に時代に取り残されてしまうでしょう。上記リスクを孕むSNSですから、医師の発信する一つ一つの情報には重大な責任が伴います。気軽にポンポンとアップされる先生もいらっしゃるとは思いますが、僕の場合は論文を含めたソースをしっかりと含蓄して記事化するため、ひとつひとつに時間を要する可能性があります。


ですがその分、信頼のおける内容とすることを心がけていきたいと思っています。美容医療についても同様です。薄利多売を狙ってスピード勝負でガンガン手術をこなすだけの時代は終わりに近づいていると感じます。美容医療も細分化が進むと同時に、よりお客様一人一人にとって何が必要で、何が必要でないのか。そこをしっかりと見極め、総合的に実践できる医師が求められる時代です。


とは言え、まだまだ僕個人のSNSでの発信力としては極めて力不足であることを痛感しております。皆様の「スキ」、「フォロー」、本当に励みになります。ありがとうございます。応援していただけるよう、精進いたしますので、今後ともどうかよろしくお願いします。


他のSNS媒体もちょこちょこ触っていきます。ご意見・ご感想、お待ちしております。




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