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全否定する人は、…
ぼくは中高大と卓球部だが、唯一師匠と崇める人がいる。
師匠とは大学時代に出会った。元卓球強豪校出身の、居酒屋の店長だった。大学2年生の頃、お酒も飲めないのに毎週のようにお店に通い、
終電間際、時には徹夜で卓球について説教をされ続けた。
「あいつはなんで金払ってまで怒られにくるのだろう」
そんな声を耳にしたこともある。
しかし、当のぼく自身は、全く辛いと感じることもなく、
師匠のもとに通い続けた。
人によっては、「なんであいつは、師匠の言うことは聞くんだろう」
と言っていた人もいたらしい。
師匠と出会って1年が経った頃、
こんなやりとりをして笑い合ったことがある。
師匠「全否定してくれる人ほどありがたい人はいないよな(笑)」
ぼく「いやー、間違いないっすね(笑)」
ぼくと師匠にとっての「全否定」とは、
「相手の話をすべて聞いて、すべて否定すること」なのだ。
つまり、「こちらの話を全部聞いていくれること」が大前提となる。
世に言う「全否定してくる人」とは、言い換えると
「頭ごなしに否定してくる人」だと思う。
要するに、それは単なる「話を聞かない人」ではないだろうか。
そんなものは、ぼくと師匠からすれば否定にもなっていないのだ。
師匠は、ぼくにとって誰よりも「全否定」が上手な人だった。
口癖のように、
「俺がやってやったことなんて、お前の話をちゃんと聞いて、
噛み砕いて言い換えてやっただけだからな。」
と言っていた。
(ただし、それらは「クソ」「ボケ」「4ね」などの暴言付きである。)
そして、ささやかながらも結果を出した時は、ぼくがお店で支払うよりも何倍も高いお寿司を深夜に振る舞ってくれたこともあった。
師匠はそんな人だった。
たいした結果は残せなかったが、師匠に「全否定」され続けた日々は、
ぼくの人生でもっともエキサイティングで、
今も卓球を楽しめている根底にあるものだ。
そんなやりとりをして間もなく、師匠はお店を去ってしまった。
ぼくは、強制的に師匠から卒業させられることになった。
最後の教えは、「俺がしてきたことを、お前も誰かにして消化しろ」だった。
そんな都合のいい相手いるかよと思った。
数週間後、自分よりも何倍も卓球が強い後輩が弟子にやって来て、
ぼくが「全否定」をする日々が始まることを、その時はまだ知らない。