やっぱり自分の頭がおかしかったのではないかという葛藤


 尋常ならざる被害をもたらすモラハラ。

その被害の全貌は被害に遭っている最中はもちろん、
被害後もかなり長く尾を引く。

ひどいときには何年も。

 その苦痛は計り知れず、
複雑性PTSDと診断される人もいるほど。

 その中でもとりわけ多いのではと思われる、
やっぱり自分がおかしな人間だったのではないかという苦悩。

 結論から言うと、
被害者の頭はおかしくはない。

「でも、だって、感情を抑えられなかったり
今までにないくらいの憎しみを感じたり、
相手を擁護しつつ相談をして呆れられたり……」

と自分がおかしいことの証明なら
いくらでもできそうな勢いの被害者は多いらしいが、
大丈夫。おかしくなどない。

 異常な状況下では以上な反応を示すのが正常だと、
どこかの誰かが本に書いていた。

 自分はモラと出会う前から
感情を抑えられないような人間だっただろうか?
そんなにもひどい憎しみを何もされてない人間に抱くか?
批判と擁護が共存するなど
モラと出会う前の自分にできたか?

NOだろう。

異常な環境で助けもなく
ただ罵倒されるだけの日々を送れば
誰だって精神に異常をきたす。

そしてそれは人には理解され難い。

 えげつないモラハラを受けて人格まで歪んでしまった、
外界の全てがこわくなってしまった、
何もかもが信じられなくなってしまった。
こんな状態にまで追い込まれる経験をする人はなかなかいない。

だから家族や会社の同僚にある程度は理解されても
壊れた精神からくる言動を理解してもらうのは難しい。

その理解の難しさもあって、
理解してもらえないということはやっぱり自分が……
と被害者の思い込みは固まっていくのである。

 いいかい? 被害者は何も悪くない。
悪いといっても、通常の範囲内では悪いかもしれない。
だが罵倒されるほど悪いわけがない。

お前のせいだとか、お前はおかしいだとか、
普通は違うだとか、そこまで言われるほどダメなのであれば
ここまで生きてくるのに相当苦労したはずである。
だけどそれなりに生きてきた。

 たとえ少し変わっていたとしても、
価値観の相違があったとしても、
常識を少し知らなかったのだとしても、
モラハラをされていい理由にはならない。

そんなことで頭がおおかしい人間だなどという
評価が下るわけではない。
し、人間そのものに評価など本来ないはずだ。

 誰だってモラハラ環境に閉じ込められていれば
発狂の一回や二回はある。
私は片手では足りないほど気が狂った。

安心していい。みんな、おかしくない。
私が保証する。

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