理解されない! 被害者の正当な奇行
正当な奇行……?
奇行が……正当!?
という感じであるが、そう。まさにその通り。
前回の記事で、異常な状況では異常な反応を
示すのが正常なのだと書いているが、
その正常さを示す異常な反応として
被害者のあるあるな奇行を書こうかと思う。
まず、逃げて然るべきなのに
きっぱり決別することができずに
よりを戻してしまったり
戻らなきゃ! という気持ちに駆られてしまうということ。
これは被害に遭っていない人からすると
相当に理解不能なことである。
ぶくぶく沸騰している鍋に落ちて死にかけたのに
休息を終えるやいなやまた自分から
熱湯につかりに出かけてしまうようなものだからである。
常人ならつま先をつける前に
湯気で伸びてしまうところを、
被害者は好き好んで鍋底にへばりつこうと
しているようにも見える。
全身大やけどをしたのになぜ?
鍋から離れて隣のそうめんゆつに浸かるのではダメなのか?
……ダメなんだ、これが。
それがコントロールされている被害者というものだから。
いくつか前の記事に書いたように、
この人にもいいところがあるだとか、
きっと変わってくれるなんて思っているうちに
熱湯で茹でられて麻痺してしまっているのだ。
もう何が何だか被害者自身もわかっていない。
ここまでくると、外部の人間が
数ヶ月は常に気にかける覚悟で
引き剥がさないと助からない可能性が高い。
被害者のメンタルが弱ければ命が危ないこともある。
ではここで運良く鍋がなくなったら
被害者はどうなるだろうか。
日にち薬というくらいだから、
時間とともに回復して
数ヶ月でなんともないようになるだろうか。
いいや、そんな簡単なことであれば
被害者はとうに自力で鍋をひっくり返してる。
たとえ鍋が消えたとしても、
被害者は鍋を捜してうろつくことになったり、
なぜ自分が茹でられ全身やけどを
負わなければならなかったのかを考え続けたり、
自分の至らなかった点を探し続けたり、
なぜ自分があんなことにならなければ
ならなかったのかを悶々と考え続けることになる。
精神的被害やコントロールの程度が
ひどければひどいほど、
被害者のそういった苦悩は続いていく。
これは地獄以外の何物でもない。
そしてその苦悩に疲れ果て、
解決のないたらればの質問や相談を繰り返したり
自分が悪かったのだと罪の意識を抱えすぎるあまり
命をどうにかしようとしたり、
自分さえ変われば、自分さえ我慢すれば
もう怒られることはないと考え
様々な奇行に打って出ることになる。
罪悪感が強いのは言うまでもない。
お前が悪いと全ての責任を押しつけられ
そう思い込むようコントロールされてきたのだから。
そのために加害者を擁護しまくる被害者もいる。
第三者から見れば奇行、愚行である。
これは、
加害者をかばうとは何事か?
被害者にも相当の落ち度があることを
自覚しているからそうなるのではないか?
という被害者にとっては散々な思われ様になる。
被害者がもしよりを戻そうものなら
あれだけ相談に乗ったのに! やめとけって言ったのに!
あいつもわかったように話していたのに、戻るんかい!
意味わからんわ! 呆れた。
となるのがオチである。
これも第三者から見れば十分な奇行であって愚行だ。
だが考えてみてほしい。
被害者の破壊された精神でまともなことが
わかるというのだろうか。
なんて書くと過去の自分をバカにしているようで
なんというかいやな気持ちになるが、
しかし被害者は正常な判断や思考ができなくなっているのである。
多少モラハラに理解のある人でも
お手上げだとなってしまうくらいには破壊されているのである。
自分の意思だけでよりを戻すのをぐっとこらえられない、
というのもむしろ普通のことではないか。
……と、被害に遭った今では思う。
だけど第三者はほんとうにわからない。
純粋な気持ちで意味不明で理解不能だとなっている。
第三者が悪いわけではないが、
この構造のおかげで被害者はさらに傷つくことになるのだ。
私は、相手を擁護したり、必死でいいところをアピールしたりした。
だけど、ひどいことをされたはずなのに
そんなことを言うのが理解できなかったのか、
聞かされた相手は目を丸くして
まじかよ……大丈夫か? という顔をしていた。
正直かなり悲しかったし悔しかったし
好きでそうしたわけではなくて
自動的にそうなってしまったから恐ろしさを感じた。
被害者はこうして知識のない第三者に軽蔑されていく。
優しい人でも、いい人でも、知識がなければ
加害者の主張通り被害者の頭が元からおかしいのか、
被害によって認知が大きく歪んでしまってるのか
見分けがつかないことが多い。
もし仮に運良く見分けてもらえても、
回復が遅ければ付き合いきれない、と
離れて行かれる可能性も大いにある。
そうやって被害者は加害者のいうように
多くの人におかしいと認識されて
孤立してしまうこともある。
傷つけてきた人のことなんか嫌いで当然なのに
それを擁護したり元に戻ろうとしたりするのは
常人には考えにくいことだと
被害者は一応心にとめておかなければならないらしい。
がんばろうな。
離れてからも耐えなければならないことは、
私たちにはまだたくさん残っている。