モラハラとわかっていながら離れられなくなる魔法

なんで一緒にいたの?

離れられなかったの?

と、真性モラの本性と遭遇したことがない人は

きっと思うことだろう。

私も思う。

離れればいいいじゃん。

それですむ話なんだし、と。

ところがどっこい。

被害に遭ってみてそれが簡単ではないのだと

まざまざと思い知ることになったのだ。

まず、ひどい被害に遭ってしまう人は

だいたい決まった特性がある。

というか、同じような思考に陥る。

だから抜け出せるわけがないのだ。

そんな決まりきったパターンにはまらない人が

軽傷のうちに逃げ出せるか、

無傷のうちに笑いながら逃走できるのだ。

モラハラだ、こわい、いやだ、

離れたい、と思うのは当然である。

なのになぜ離れることができないのか。

なぜ、離れても戻ってしまうのか。

簡単である。

簡単すぎて笑えて情けないけれど、

それは被害者がいい人だからである。

懐に入れた人を簡単に見限るような

人ではないからでしかない。

モラハラをするような人でも

いいところは一つくらいある。

地獄のような日々を繰り返すあまり

その人をいいなと思った日のことなど

忘れてしまうものだけど、

必ずいいところを感じていたはずである。

というか、悪いところ100%な人間は存在しないし

いいところ100%な人間も存在しないので

当然といえば当然だけど。

そのいいところを後生大事に、といった具合に

「この人にもいいところがあるんです」

と抱えて我慢を続けてしまうから、

逃げ遅れて焼け焦げてしまうのだ。

共依存というのも、自認したくはないけれど

もちろん起こる問題である。

自分が悪いところを治せば

いつか暴言を吐かないでいてくれるようになる。

私が支えれば、性格が変わるかもしれない。

なんていう具合に、自己犠牲の果てに

幸せがあるのではないかと

おめでたい頭で考えてしまうのである。

私ももれなくそう考えて

逃げ遅れたうちの一人だ。ウケる。

断言しておくが、

モラがおかしくなってから一年経っているのであれば

もうその言動が変わることはない。

例外は認めるが、

精神疾患にでもなって

寝床から這い出ることもままならないような

状態にならなければ改善は難しい。

人が変わるのは基本的に、

人格を再構成する必要に直面したときだけである。

離婚や転職などのちょっとやそっとじゃ

根本から変えることはできない。

この事実を知らず、

期待をかけて待ってしまう。

そしてボコボコにされる。

いい人は、相手は変われると信じている。

さらに言うなれば、いい人であればあるほど

相手の中に隠しに隠した傷があって

その大きな傷のために

あり得ない言動をしているのだと気がつける。

そこに同情して愛で包もうとし、

内側から焼き尽くされてしまうのだ。

ほんと笑えないおそろしい話。

そうこうしているうちに、

あ、ダメかも、と気づくタイミングも

出てくるけれど、その頃には

もう半ば手遅れになっていることが多い。

モラハラによって自分が無価値であるかのように思え、

何をする気力もなくなっていたり、

愚痴はこぼすけれど、モラハラ環境から

脱出しようとしなくなっていたりするのだ。

そこを見て、こいつもこいつでおかしい

となるのが外野の常であることを思えば

被害者にとってこれほどつらいことはないなと思う。

結局、ズタボロになって疲労困憊した被害者は

精神を病み、加害者のいうような

ほんとにおかしな状態になってしまうのである。

こうなった被害者の言動を加害者はさらに

攻撃材料としてうまくまとめあげ、

被害者をさらなる地獄の淵へと誘い込んでいく。

被害者の逃げ場はいよいよなくなる。

洗脳されていて、離れようにも離れがたく、

なぜか離れても「戻らなければ」と

思ってしまうようになる。

この思考が実にきつい。

めちゃくちゃきつい。

ハリーポッターに出てくるディメンターに

全身を吸われるがごとくの苦痛を伴う。

吸われたことないから実際は知らんけど。

ここまで落ちると被害者は

モラにお前が悪いと言われたことを

素直に受け取るような精神状態になってしまう。

なんとも地獄。

私もこの地獄の中にいたのか、

とふと思う。

まだ抜け出たと胸を張れるわけではないけれど、

少なくとも精神は前より安定した。

こんなのダメだ、苦しい、悲しい、つらい。

離れなきゃ私ほんとうにダメになってしまう。

そう感じて、離れることを決心し、

何度も離れようとしたけれど

ストーカーのように押しかけられ、

強引に引き戻されることを繰り返し、

最後には自発的に戻るようになっていたのは

今では思い出とも言いたくない出来事だった。

もちろん相手だけが全面的に悪いわけではない。

用意周到に離れる準備をしなかった私も悪い。

(と思うけれどこれも微妙で、

そんなことをあの錯乱状態でできるはずなかった)

だけど過失割合は明らかに

相手の方が上であることは確かだ。

私は相手を監視したことはない。

暴言を吐いて人格否定をしたこともない。

ストーカーもしていない。

アポなしで家に行き、出てこいと言ったこともない。

電話越しに何時間も説教をしたこともないし、

自分の正当性を証明するために

モラ以外の人間を悪く言ったこともなかった。

被害者になってしまう人は、

細かく見ていくと、いい人であって

過失割合が圧倒的に少ない場合がほとんどだ。

まれに仁義なきモラハラ合戦(表現を拝借)

の場合もあるけれど、

たとえ相手がいやがることをしたとて

譲り合いでなんとかなる場合がほとんどで、

それもモラがするような激しいものではないことが多い。

それに、相手がいやな思いをするからといって

簡単にやめることができないことも世の中にはある。

被害者は罪悪感を植え付けられすぎているけれど、

その罪悪感は9割以上が偽物だと気づいた方がいい。

この人はいつか変わる、だとか

自分が愛を持って接すれば傷が癒えるだとか、

そんな優しいことを思っているから

知らぬ間に茹でガエルになってしまうのだから。

いい人は洗脳、マインドコントロールのわなにはまりやすい。

モラハラはそれを活用して攻撃を激化させる。

耐えようとして道半ばでくじけてはいけない。

とっとと逃げないと。

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