
私の中の〇〇さん
最近見つけた私の中の私に、「ブラーブ」と名前を付けた。
ブラーブは、ミニオンズに出てくるキャラクターで、ミニオンズにバツを与えようとして一緒に遊んじゃう、私からしたらとっても愛おしいキャラだ。
そんな名前を付けてみた私の中のブラーブってなんですか?というと、
「頑張り&貢献って当たり前」という思い込みのこと。
最近見つけた、愛おしい自分なのでブラーブという名前を付けてみた。
ブラーブを見つけるまでの苦しみ
そのもやもやは、常に私とともにあった・・・
相手が自分とは全く関係のない話題で、相手が頑張ったことを話すと「おお~、すごいね!」と言うもののいまいち共感できず、なんかもやもやする・・・
※話題を共有してることについてはもちろん共感します!
周りが大変なのを目の前にしても、自発的に手伝わない人を見ると「なんでやらないの?」ともやもやする・・・
コーチングを学んで、相手と自分の境界がはっきりしてきても「もやもや」がなくならなかったので、なんでこういう時に私はもやもやするのかなあ・・・とずっともやもやしてました。
もやもやの原因
ある日、コーチングの講座で「自分の思い込み」を自分の役割とともに書き出すワークをやった。
その時に、「母」「コーチング学ぶ人」という役割と紐ついて出てきたのが
人や社会に貢献したい
ということだった。
これはとても私が大事にしている価値観だが
貢献しなければならない/貢献したいと思うのは当たり前
となることもある。
こういう風に裏面の価値観となった時を深堀りしていくと、貢献しないといけない→それはなぜ?→「役に立たなければ認められてこなかった」からとなり、「認められないという恐れ」から自分は頑張らないといけない→「頑張ることは当たり前」→「当たり前だから関係ない人にわざわざ言う程のことではない」という流れで自分の中でつながった。
だから自分に関係ないことで人が頑張ったことを話されるともやもやしていたのか!とその時腹落ちした。
私の中で頑張ることは当たり前であり、人に言う程のことではないからだ。
貢献すること/頑張ることが当たり前
これは私の強みであり、弱みでもある。
私は当たり前に頑張れる人となると強みだが、頑張ることは当たり前というフィルターで物事を見ると、人のことを過小評価してしまったり、頑張ったことを言われても「それっていう程の事?」となりもやもやしてしまう。
貢献するのが当たり前となると強みだが、貢献していない人を見るともやもやする。
この2つの価値観は、自分にとっては大事な価値観だし、これからも大切にはぐくんでいきたいもの。
でも、その物差しで人を測るともやもやしてしまう。
物事の捉え方を決めているのはすべて自分だなとあたらめて感じた気づきだった。
ブラーブから思うこと
その大事な自分の価値観にどんな名前がいいかな?と考えた時、子供と一緒に繰り返し見たミニオンズの「ブラーブ」が浮かんできた。
なんでも楽しんじゃう、自分大好きなブラーブ(本当はハーブだけど・・・)
もやっとしたときは「おっ!ブラーブようこそ!!」と思い、改めて自分と他人の境界線を意識したいと思う。
人にはその人を輝かせる様々な光がある。
頑張ったことはどんなことであれ、その人にとっては人に言うに足ることだし、私の思う貢献とは別の貢献をその人はどこかでしているのだ。
それ以来、自分に関係ないことでも「頑張ったんだな」とさらりと受け流せるようになり、もやもやすることは減った。
私の思う貢献をしてなくても「別のことしてるかもしれない」と思うと、そのことにこだわらなくなった。
クライアントさん募集しています!
自分の中の〇〇さんを一緒に見つけてみたくなった方はぜひ!