3/17-30 佐藤俊造の全貌展
遅ればせながらシリーーーズ(A)
2021年3月17日(水)~30日(火)まで大分市のアートプラザで開催されていた「佐藤俊造の全貌展」。
大分県日出町に生まれ、上京して築地の水産会社で働き、美術制作を始め、世界を旅して大分に戻ったのち制作を続けるも2010年に57歳で亡くなった美術家、佐藤俊造(さとうしゅんぞう)。チラシに「知られざる画家の~」とあるように、今回初めて知る。
絵画に関する語彙が薄いほうの(ゆ)メンバーなので、写真をばしばしあげます。絵画にも展示にも、気迫というのか、なにか力の凝縮を感じた。
平面から
立体から
大きいシリーズから
小さいシリーズから。パキっとしたのから
もにゃっとしたのから
細かいドローイングから。
同人誌から。
ここまで1階。すでに90点くらい飾ってある(だったはず)。
2階にあがると、妙な密度と荒々しい木材での展示。
佐藤さんはいっとき(1981~83)横浜のBゼミという美術研究所(関係ないけど私はその後継?のBlanclassに時々遊びに行っていた)に通っていたそうだ。その師の一人であった田中信太郎さんの作品も、展示してあった。
本展企画者のひとり木村秀和さんの解説によると、「完成度の高い作品を作り切って残してゆくという、作家としての基本的な姿勢の徹底ぶりは、ベーシックゼミナール時代の先生だった田中信太郎さんの影響によるところが大きいようだ」と。
その向かいに呼応するような、佐藤作品の展示↓
そんな、佐藤俊造の全貌展。
と、思いきや。全貌ではないのです。もう一つ行われていた企画が、「一点美術展」。
1県内(外)に100か所以上に、佐藤作品を展示。お店やら、会社やら、施設やら、場所も幅広い。もともと展覧会自体を知ったのも、よく行くお店に作品が飾ってあったからだった。
農作業の手伝いなどで生計を立てながら制作を続けていた佐藤俊造を、「辺境にあって淡々堂々と労働と芸術の日々を完遂した」と評する企画者の言葉が力強い。日々体を動かし、自然に触れ、「花の木砦」(「花の木」は地名)と名付けた家兼アトリエで創作を続けていた、その心中はどんなものだったのだろうか。
まだまだ全貌にはたどり着けない。彼の上梓した短歌集「虹 夏草 泥亀」も読みたいし、死後に日出町につくられた花の木美術館にも立ち寄りたい。
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