人生には割り算の余りがある
割り算の答えで割りきれなかった「余り」
人生にはこの「余り」がよくある。
割り切れないこと
解決できないこと
納得いかないことなど
「余り」として心に刻まれていく
その「余り」は新しい「余り」ができても消えない。古い「余り」と入れ替わることなく、古い「余り」に積み重なっていく。
割り切れないこと時が経てば上手に割り切れるようになったり、「余り」の出ない割り算が出来るようになったり、それでも心に刻まれた過去の「余り」は減らない。
「余り」の出ない割り算が出来るようになるのではなく、「余り」を溜め込む場所が広くなったり、深くなったり大きくなるだけ
そして、いつか死ぬ時、この「余り」がゼロになっていくのかな
それとも、「余り」も天に持って行くのかな。
40代の頃思っていたことだ。ノートに書いてあった。
その頃の自分に言いたい
「余り」は
消えていくものもある。
薄くなっていくものもある。
ずっと残っているものもある。
でも、いいじゃない。
全部、全部自分だから
大丈夫。
全部含めて良い人生だったナって終われれば。
ねっ!
お付き合いありがとうございました。