「妹コンプレックス」を拗らせた私が自信を取り戻した方法
こんにちは!
限界共働きフルタイム34歳、二児の母の「ゆう」です。
このnoteでは、4年間の育児休業後、自分では気が付かない間に容姿が変わってしまった私が、自分を少しずつアップデートしていく奮闘記を書きたいと思っています!
まだnoteを始めたばかりで不慣れな点があると思いますが、自分自身に真剣に向き合い、読んでくださった皆様に少しでも何か感じていただけたら嬉しいです。
①コンプレックスとは?
さて、皆様は、「コンプレックス」はありますか?
人は誰でも、得意なことがあれば不得意なこともあります。この世に「完璧な人間」はいません。
多かれ少なかれコンプレックスは誰しも抱えているものですよね。
一見、あなたからすと「羨ましい」と感じている身近な友人・同僚・家族も、実は人に言っていない悩みや不安があるかもしれません。
■コンプレックスの原因
コンプレックスは、人格形成期である「幼少期~思春期」の頃に受けた影響が大きく関係しています。
例えば、
・幼少期に親から十分に愛された記憶が無い
→常に自信がなく、人から認められたい気持ちが人一倍強い
・学生時代に、何気なく容姿をいじられた
→人からどう見られているか常に気になり、消極的な性格になった
・受験で失敗し、全く希望していない学校に進学した
→自分は劣っていると考え、何事に対してもやる気がなくなった
などです。
周りの同級生や大人との関わり合いの中で、「自分が認められない」と感じる経験をしたり、「人と比べられてしまった」経験があると、周りに比べて自分は劣っているのだという劣等感やコンプレックスを抱きやすくなってしまいます。
まさに私自身も、クラスメイトから言われた容姿に対する何気ない一言が原因で、大人になってからもずっと心がモヤモヤしていました。
②コンプレックスは誰でもある
今回メインで書きたいのは「妹コンプレックス」についてですが、コンプレックスとしてよく知られているものとしては、次のようなものがあります。
本当に、悩みは尽きないですよね。
■容姿コンプレックス
顔や体形など、容姿のコンプレックスに悩む方は特に多いはずです。
例えば男性であれば、
・身長が低い
・髪の毛が薄い
・体毛が濃い
・肌が荒れている
女性であれば、
・一重、目が小さい
・太っている
・鼻が低い、大きい
・肌の色が気に入らない
容姿に関する劣等感やコンプレックスの原因は、多岐に渡ります。
他人からすれば全く気にならないようなことでも、劣等感やコンプレックスの原因を持つ人からすると、人生を左右するほど深刻な悩みになることがあります。
ここ数年、より手軽に美容整形を行う方が増えており、美容整形の広告も多数流れてきますよね。また、男性でも、脱毛や肌管理を行っている方も多いと思います。
■学歴コンプレックス
これは自分の学歴を他人と比べて、劣っていると感じる劣等感やコンプレックスです。
こちらも、お悩みの方が多い項目ではないでしょうか。
例えば、
・〇〇大学に入れなかったから、自分はダメな人間だ
・〇〇大学卒の人に比べて、自分は劣っている
・大学に行っていないから、高卒の自分は頭が悪い
・〇〇大学卒業の人より、自分は格上だ
などです。
就職活動を行う際には、自身の学歴を書きますよね。よく「学歴フィルター」という言葉がありますが、実際に学歴によって仕事内容や給料が変わってくる企業も多々あります。
よって、この学歴コンプレックスは生涯向き合うコンプレックスになってしまう可能性も高いです。
また、似たようなものに「職歴コンプレックス」というものがあります。一流企業に勤めている、または勤めていたことを「出来る人間だ」としてレッテルを張り、他人と比べ、自分を卑下してしまいます。
■恋愛コンプレックス
恋愛コンプレックスとは、周りの同年代に比べて、自分の恋愛経験が少ない場合に「恥ずかしい」と感じるコンプレックスの事を言います。
例えば
・恋愛経験がないことが知られると恥ずかしい
・恋愛できない自分は、男性・女性として劣っているのではないか
・性経験をしていないが、あるように偽っている
・恋愛経験が無い事をバカにされるのではないか
ある程度の年齢になってくると、自然と周りの人々が恋愛をしている。それなのに、自分だけが恋愛経験や性経験がないという状況になると、自分は男性・女性として劣っているのではないかと感じるようになります。
恋愛コンプレックスを抱いてしまうと、なかなか恋愛に踏み出すことが怖くなってしまいますよね。
また、似たような言葉に「青春コンプレックス」という言葉があります。青春時代と言われる10~20代の頃に、青春を感じるイベントが出来なかった事を悔やむ心理状態の事を青春コンプレックスと言います。
③私は妹コンプレックス
■姉妹・兄弟は比較される
「兄弟コンプレックス」という言葉は聞いたことがありますか?
兄弟や姉妹は、同じ親を持つという性質上、「お兄ちゃんは〇〇なのに」や「妹と違って〇〇」といったように比べられやすいですよね。
例えば、
・お兄ちゃんは勉強ができるのに、自分は頭が悪い
・弟は母親から愛されているけど、自分は興味をもたれない
・妹は運動神経がいいのに、自分は運動が苦手
・お姉ちゃんは美人なのに、自分は可愛くない
例を挙げ始めると、キリがないくらい沢山コンプレックスの原因があると思います。
また、最近では、菅田将暉さんの弟で歌手の「こっちのけんと」さんも、兄弟コンプレックスを告白しています。
幼いころから容姿が良く、頭も良く、現在も俳優としても活躍している完璧な兄と比較され、いじめにもあい肩身の狭い思いをしてきたようです。
現在は、双極性障害を患いながらも、歌手として「はいよろこんで」で紅白にも出場し、とても活躍されています。
このように、1番身近な家族である兄弟と比べられてしまうと、劣等感を持ちやすく、コンプレックスの大きな原因になってしまいます。
また、兄弟へのコンプレックスを強く感じる原因として、「両親からの愛情の差」が影響する例がよくあると思います。
自分が親になり改めて感じますが、親も普通の人間です。子供との相性もありますし、愛情の大きさも様々な要因によって変わってしまうものです。
例えば、私の友達は2歳下の弟がいますが、「母は弟ばかり依怙贔屓している」「私は誕生日しかプレゼントを買ってもらえなかったのに、弟はお願いすればなんでも買ってもらえる」と言っていたことがありました。
そのように、「兄弟差別」がある場合、よりコンプレックスを抱きやすくなるかと思います。
でも私の両親は、全くそのような差別をする人ではありませんでした。
私の両親は、「姉妹差別」は一切なく、平等に接してくれました。
勉強や運動で姉妹を比較するようなことも一切なく、毎日ご飯をつくり、習い事や塾の送り迎えをしてくれた、優しい両親です。
ただし、家族以外の人は、そうはいきません。
幼少期~思春期の間、ずっと「妹と比べられている」と感じてきました。
妹とは幼稚園~高校まで同じ学校に通っていたし、習い事も同じところでやっていたので、一緒にいる時間がすごく長かったです。
私は、努力しなくても元々生まれながらにして容姿が整っている妹のことを、常に「羨ましい」「ずるい」と感じていました。
■人気者の妹の存在
兄弟、姉妹って、1番最初に自分と比較する対象じゃないでしょうか?
私には、2歳下の妹がいます。
最近は、様々な理由から「選択一人っ子」の家庭も多いと思いますが、アラサーの私が幼少期の頃は兄弟がいる人も今より多かった印象です。
大人になり社会に出ると、世の中には様々な人がいて、容姿はもちろん、物事への考え方・感じ方、得意不得意もそれぞれ異なっていると実感しますよね。
ただ、特に小さい頃は、「家庭と学校だけが自分の世界」になってしまうので、どうしても兄弟と比較してしまうことが多いと思います。
私は、幼い頃から、妹へのコンプレックスを強く持っていました。
■私のスペック
〇顔小さい、上半身が華奢、要領が悪い
×一重、鼻が大きい、肌が汚い、下半身が太い、足が短い
■妹のスペック
〇美人、色白、美肌、二重、全体的に華奢、細い、要領がいい
×特になし
妹は、芸能人になれるような「絶世の美女」ではありませんが、色白な細身美人で、「欠点のない見た目」なんです。
顔・身体ともに全体のバランスが良く、整っている。例えば「鼻が大きい」「下半身が太い」などの私の欠点を全て無くし、綺麗に整えた上位バージョンのような存在です。
ちなみに性格も良く、頭も良いです。
さらに、要領も良いんです。
家庭と学校しか世界を知らない当時の私にとって、完璧に近い存在でした。
私は、昔から妹が羨ましくて仕方ありませんでした。
■妹と全然似ていない私
私が中学3年生の頃、2歳下の妹が同じ中学校に入学してきました。
当時、その中学校には様々な学区から生徒が集まっていたので、私に妹がいることを知らない人もたくさんいました。
ある時、体育の授業で移動する必要があり、私は女友達数人と廊下を歩いていました。すると、偶然、妹の教室の前を通ったんです。
普段、わざわざ妹の教室に行くことはありませんでしたが、偶然通りかかったし、休み時間中だったので、何気なく教室を覗いてみました。
すると、友達に囲まれた楽しそうな妹の姿がありました。性格も良く、可愛い妹はクラスの人気者で、妹の席を中心に自然と友達が集まっていました。(少なくとも私にはそう見えました)
「おぉ…」と少しその眩しい状況に戸惑いながらも、「やっほ~」と声をかけて、手を振ってみました。
すると、それに気づいた妹が手を振り返してくれ、「お姉ちゃんだよ~」と周囲の友人に紹介していました。
すると、妹の友達グループの中で割とイケイケなタイプの女の子がボソッと「全然似てないね~」と言ったんです。別に意地悪な言い方をされた訳でも、笑われた訳でもありません。
本当に似ていなかったので、中学1年生が素直に「似てない」と言ってしまっただけなんです。
これ、容姿にコンプレックスがない人にとっては、姉と妹の何気ない日常ですよね?
でも、私には、
・え、お姉ちゃんは不細工なんだ
・妹は可愛いのに、どうして似ていないんだろう?
・あんな姉ちゃんなんて、恥ずかしいね~
そう、聞こえてしまいました。
容姿にコンプレックスがあり、既にネガティブな感情になっている状態なので、他人からどう見られているか異常に、病的なほどに気になってしまうんです。
■有名な妹と平凡な私
もう1つよく覚えているのは、高校生の頃。
高校も同じだったので、私が高校3年生の時、妹は高校1年生です。
妹は相変わらず容姿端麗でしたが、まじめな性格で、恋愛にも全く興味がないタイプでした。
私は、妹がいることを隠してはいませんでしたが、積極的に公言もしていませんでした。
ちなみに、妹に嫉妬を感じつつ、表面上は普通に接していたので、とくに不仲ではなかったです。
ある時、家で何気なく学校生活について話をしていました。妹は、当時、彼氏はいませんでした。
だから、内心、安心していたんです。
私は、小学生から「モテたい!」という気持ちを強く持っており、中学生以降はメイクの研究など少しでも異性に可愛く見られるよう努力していました。
一方、妹は、さっぱりした性格で、所謂「男受け」するような服装・態度を好んでいるタイプではなかったんです。
しかし、さりげなく「好きな人いないの~?」と聞いたところ、「全然興味がない」「あ、でも、この前お姉ちゃんと同じ学年のBさんにアドレスを聞かれたよ!」とさらっと何事もなく言っていました。
Bさんは、長身で、バスケ部の、女子に人気の男子でした。
びっくりして、いつ接点があったのか聞くと、「下校しようとしたら呼び止められて」でアドレスを聞かれたと言っています。
はぁ、やっぱり可愛いと、男性の方からどんどん寄ってくるんですね。
嫉妬と羨ましさで親友にすぐに電話したところ、さらにショックな出来事が。「ゆうの妹がかわいいって高校でかなり有名だよ」と教えてくれたんです。
なんだか、身体の力が一気に抜けてしまいました。
妹が入学して、まだ1、2ケ月くらいの出来事です。
ただ普通に生活しているだけで「可愛い」と有名になっていた私の自慢の妹。
羨ましく、妬ましかったです。
④コンプレックス解消法
そんな私ですが、コンプレックス解消に向け、特に次の3つを意識して生活しています。
今は正直、自分のことが結構好きなんです。
■思い込みを捨てる
私は当時、
・妹と比べて、私は容姿が悪い
・妹と比べて、私は要領も悪い
・団子鼻・赤面症は、一生治らない
・運動も勉強も得意じゃない
・何の取り柄もない、ダメな人間なんだ
そう強く思い込んでいました。
でも、アラサーになり、社会人・母として経験を積んだ今、それは間違った思い込みだったと気づいたんです。
例えば、仲の良い友人と「クラスメイトや同僚の中で、誰が1番タイプか」といった話をきっと1度はしたことがあると思います。
その時、全員一緒の人を指しましたか?
きっと、友人の答えの中には「え?その人のどこが良いんだろう...」と感じた人も含まれていたと思います。
それと同じように、妹のような整った顔が好きな人もいれば、私のような親しみやすい顔が好きな人も絶対にいるんです。
劣等コンプレックスを抱く人は、気にしている事について絶対的な「負の感情」を持っています。
例えば、高校の時の「妹がかわいい」という話も、決して「でも姉は不細工だよね」と言われた訳ではないんです。むしろ、姉妹なので、今思うと似ている部分も多々あります。
それに、友人も意地悪な気持ちで「妹が可愛いって有名だよ」とわざわざ私に話してきた訳ではないはずです。
友人は私の妹とも接点があったので、きっと「可愛い妹がいて羨ましいな」という気持ちだったと思うんです。
コンプレックスがあると、このように劣等感を原因に否定的な感情を持ってしまいやすいです。
しかし、自分が気にしていることは、周りから見れば大したことがないというのが真理です。
自分の劣等感やコンプレックスは自分だけの思い込みであるということに気付けば、コンプレックスの克服に一歩近づくことができます。
私のおすすめは、1度、信頼できる友人に自分の劣等感やコンプレックスについて思い切って相談してみることです。
自分が自分のことを異常に気にしているのと同様に、良い意味で他人も自分のことにしか興味が無いので、他人からしてみれば大きな問題ではないのです。
思い切って自分の1番気にしていることを打ち明けてみると、それを問題だと思い込んでいるのは自分だけであり、他人の目を気にするのは無駄だということに気付けるはずです。
■自分らしさを見つける
私が最も効果的だと思っているのが、コンプレックス以外に目を向け、「自分らしさを見つける」ことです。
コンプレックスがあり、「自分は〇〇で劣っているから、何をしてもダメだ」と諦めてしまっている状態だと、そのことばかり考えて余計にネガティブになってしまいますよね。
本当にやるべきことが疎かになることもあるかと思います。
でもそれは、コンプレックスを理由に現実逃避をしてしまっているのです。
本来頑張るべきことを、「劣等感を理由にして頑張らない言い訳にしてはいけない」と私は考えています。
一度コンプレックス以外のことに目を向け、何か1つでも、「自分にはこれがある!」と思える「自分の心の拠り所」を自分で作ってみてください。
「自分が熱中して取り組める」
「自分らしくいられる」
「人より少し得意かもしれない」
そのような趣味や特技は必ず見つけられるはずです。
例えば、
■スポーツ
→フットサル、野球、マラソン、ウォーキング、ヨガ、ボウリング、ゴルフ、テニス、筋トレ、ダンス
■音楽関連
→音楽鑑賞、楽器の演奏、カラオケ、合唱、ゴスペル、バンド活動
■アウトドア関連
→キャンプ、旅行、ドライブ、釣り、登山、食べ歩き
■鑑賞
→映画鑑賞、ドラマ鑑賞、観劇、スポーツ観戦、読書
■創作関連
→料理、絵を描く、手芸、ハンドメイド、DIY、陶芸、園芸、書道
■その他
→華道、茶道、資格検定、ゲーム、動画編集
などです。
いかがでしょうか?
私は「妹は可愛いのに、私は可愛くない」ことに長年悩んできましたが、それって、悩んでもすぐに解消できることではないですよね。
そんなことをずっと一人で悩んでいるのは、もったいないんです。アラサーになり、とくに時間は有限だと実感しています。
ちなみに私は、「勉強」が割と好きなので、ネガティブなことを考えてしまいそうな時は、できる限り「勉強」をしています。
例えば今行っているのは、資格試験の勉強や、昇格試験の勉強、PCスキルアップなどです。
「自分にも得意なことがある」ことは、私の中で大きな自信に繋がっていますし、ネガティブなことを考える時間も減りました。
人は暇だと、良くないことばかり考えてしまいます。
コンプレックス以外に目を向け、「自分らしさ」を探しましょう。
自然とコンプレックスについて考えるネガティブな時間も減ってきますし、「頑張ってやってきた」「自分はこんなこともできる」という自信は、あなたを内面からも輝かせてくれます。
■「正しい努力」は絶対に報われる
コンプレックス解消法としてご紹介した、「思い込みを捨てる」「自分らしさを見つける」の2つは、メンタル面に効果的な解消法です。
でも、この2つに取り組んだとしても、どうしても解消したいコンプレックスもきっとあると思います。
そこで必要なのは、「正しい努力」です。
理想と現実を比べて落胆してしまう時間を、「理想を現実に変える努力」という解消方法の時間に変えてみてはいかがでしょうか?
例えば、私は中学生の頃から「鼻が不細工」なことに悩み、
・セルフ鼻のマッサージ
・鼻叩き
・鼻クリップ
・鼻を高くする体操
などを長年行ってきました。
相当の時間を費やしたと思います。
しかし、どれも根本的な解決には至りませんでした。
しかし、33歳の時に出会った画期的な方法により、完全にコンプレックスを解消することができたんです。
同様に、例えば体形に劣等感やコンプレックスを持っている人は、まずは悩む時間をダイエットに励む時間に変えていきましょう。
セルフのダイエットでも、例えば、ランニング、食事制限、体重記録、半身浴、マッサージなど、沢山の選択肢があります。
自身の生活や、体質、生活習慣を振り返り、「正しい努力」を続けることで少しずつ効果が見えてくるはずです。
また、セルフのダイエットでどうしても解決できない場合には、例えばプロの手によるマッサージやエステ、パーソナルジムで運動という方法もあります。
また、近年は医療ダイエットも手軽に挑戦しやそか、脂肪溶解注射、脂肪吸引、脂肪冷却など、様々な選択肢がありますよね。
1つの悩みに対して、方法は無限にあるんです。
「自分に合うコンプレックス解消方法」を見つけるために、まずは行動を起こしましょう。悩んでいる時間がもったいないです。
劣等感を持つ人がすぐにコンプレックス解消方法を見つけ、自分に自信を持てるようになることは難しいことだと思います。
しかし、劣等感の原因を考え直したり、自分の心の在り方を変えてみたりする時間を少しずつ増やすことで、必ずコンプレックス解消に近づけるはずです。
暗い感情にどっぷり浸かってしまうのではなく、「正しい努力」で着実に行動していくことで、解消方法も自ずと見えてきます。
最後に、私の座右の銘は、
「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」です。
これは上杉鷹山(うえすぎ ようざん)の歌で、
「やればできる、やらなければできない、何事も。できないのは、(その)人がやろうとしないからだ。」
という意味なんです。
人生100年時代。「やればできる」と信じて、これからも自分のコンプレックスに向き合い、前向きに生きていきたいと思っています。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!