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生きるとは生きることである

先日友人たちと話していて
「生きるとはどういうことか」という壮大な話になった。

アカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞したある監督が
「生きるとは生きることである」と語っていたとのこと。
そもそも後者の「生きる」がわからないから
前者の「生きる」の意味もわからない。
「生きるってどういうことですか?」となったのだ。

その後別の話の流れで
死ぬまでに手に入れたいと思うことは何か、と聞かれた。
そんな重要な問いに自分がその時なんと答えたのかを
恐るべきことに忘れてしまったのだけれど
質問をしてきた彼女に聞き返すと
「うーん、私は今の私のままでいいかもしれない」と言った。
その時「ああ生きることは生きることである、こういうことなんだ、きっと」と思った。

私は自分の欠点をよく分かっているし
日々反省だらけで今の自分のままでいることを許容していない。
その時友人に話した喩えは
白いキャンバスに黒いポツポツした点があって
欠点を直していくのはその黒いポツポツを
上から白く塗り直していく感覚。
真っ白になったと思ったら次の黒い点がまた見えてきて
それをまたせっせせっせと塗り直していく感じ。
一生これを続けていくことが生きることなんだろうなと今の私は思っている。

「生きることは生きるということ」を頭で考えると理解できないのだが
無駄を徹底的に削いだようなシンプルな感覚であるというのは
直感的に理解できて
一生白を黒に上書きし続けていくような
頑張ったり、意識をそこに向けたりするようなものではなく
人間だけでない全生物に通じる、何かしらの感覚なんだろうなと思うのだ。
そこに自意識が存在しないというか。

その境地に行くまでの途方もない道のりを感じる。
私が黒を白に塗りつぶさなければと半ば強迫観念のように思っているのは
「あるがままの自分でいい」と受け入れることが
自分を甘やかしたり強欲になったり、誰かに無理を強いたり何かを期待することと同義になっているからだ。
そこには強烈な「自意識」というものが存在していて
私はその自意識でもって自分に足りないものを直視して
それを塗りつぶすことに躍起になっている。

本当はそうでなくて、
自分という存在を超えた「統一的な和」の部分、
今の人間の世界を超えた、もっと広い、全歴史、全生物という枠組みの中に
自分がどうハマっていくか、というのがより重要なのだろう。
「(自分が)より良く生きる」ことよりも「自分の役割をどう全うするか」
言い訳せずにその視点をどう常に持ち続けるかというのは
一つの大きな課題になりうる気がしている。

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