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まずは50:50の世界で
私が小さいころ母は厳しくて
(と私は感じていて)
友達の悪口を言ったり愚痴を聞いて欲しいことがあっても
「でもそれはあなたにも原因があったはず」と言われていた
当時の私が「絶対に私は悪くない」みたいな
頑なな態度だったから
母もそう言っていたのだと思うが
それにしてもフラストレーションは大きくて
最初は私も余計頑なに「私のせいじゃない」と思っていたのだった
それでも言われる機会が増えてくるとだんだんと
「私は本当に悪くないのかな」と疑いを持つようになる
これっぽっちも自分のせいではない、と言い切れない部分もあったから尚更だ。
徐々に私は極端にも「自分に100%の原因があるのだ」と思うようになっていった。
何か問題が起こったり人のせいにしたいことが起こったら
自分の何が悪かったのか
どこを改善できたのかを考える
何も原因がないように思えたら
無意識で自分が何か原因を作ったに違いない、と思う。
おかげで私は自分の行動を振り返って
深くまで考えられるようになったし
「無意識」が持つ可能性の大きさも
実感することになった。
と同時に、とても苦しくなったのも事実だ。
常に自分が悪い、と思う世界は
私から自信を奪っていったし
自分の手の届く範囲、結果の予想できる範囲で行動するべきだ、と
世界を狭めもした。
だけど今度は次第に
自分に100%の責任があって自分で事態をなんとかできたはずだ、と思うことは
大きな思い上がりなのではないかと感じるようになった。
この世の中には自分では到底できないことが溢れているのに
自分に起こる事態を全て自分でなんとかしようなんて
できるはずがない、と当たり前のことに思い至ったのだ。
だから私は50:50で世界を見てみようと決めた。
何かが起こったら
それが良いことでも悪いことでも
半分は自分の影響、
もう半分は外部の影響。
良いことだったら自分の何が良かったのかを考える。
好ましくないことだったら
自分ができたこととできなかったことに振り分けて
同じことが起きないために
自分ができることを考える。
そうすると自分の気持ちも少し楽になるし
今の自分にできること、できないことが見えてくる。
半分と思えば
人を責める気持ちの重さは
自分を責める気持ちの重さと一緒であるべきだから
自分にも他人にも少し優しくなれる気がする。
本当はどっちが正しいなんて
誰にも断言できない。
長い目で見て自分と他人を信頼できるように捉えたらいい、
というのが今のところの私の結論。
長い人生だからなるべく心地よくい続けられる方法を選びたいね。